3月8日に答申が手交された次期教育振興基本計画は、2023年度から5年間にわたる日本の教育政策について、「持続可能な社会の創り手の育成」と「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」という2つのコンセプトの下、5つの基本方針と16の具体的な目標を掲げ、「今後の日本の教育政策を指し示す羅針盤」(渡邉光一郎・中教審会長)と位置付けられている。識者からは「学校の教員は日本人が持つ協調型の価値観にもっと自信を持っていい」(永田恭介・筑波大学長)とする学校現場へのエールや、一斉一律を続けてきた学校教育のスタイルに「変化をつけていく段階に差し掛かっている」(細田眞由美・さいたま市教育長)と転機への対応を求める指摘、「概して総花的。重点的に進めるべき政策と予算の裏付けを明確に示してほしい」(喜名朝博・全連小顧問)と学校現場が抱える課題を直視するよう求める声が上がった。
永田恭介・筑波大学長、中教審副会長
「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」を日本の教育政策のコンセプトとしていく上で、今回はっきりしたことは、日本の持っている価値をきちんと見える化し、それに根差した教育を考えなければいけない、ということだった。それが何かを考えていく中で、専門家の内田由紀子・京大教授から「獲得型と協調型の幸せがある」という整理が示され、とても分かりやすくなった。
OECDの教育におけるKPIは、獲得型の幸せを基調とする質問項目でできていると考えられる。それに対して日本の子供たちは協調型の価値観に囲まれて育っているので、そのままOECDのアンケートに答えると、自己肯定感が低いという結果になる。だからといって、「日本は日本でいい」と言いたいわけではない。自分たちの立ち位置を明確に自覚するためには、獲得型と協調型の両方から考えていかないといけない。
日本の子供たちは「自分自身でものを考え、課題解決を図る」という獲得型のウェルビーイングについては点数が低いかもしれない。けれども、協調型のウェルビーイングでは「自分が幸せになると同時に、周りも幸せにならなければいけない」という互恵的な考え方になるので、日本の子供たちはきっと高い点数を取る。そのような両面がある中で、これからの日本の教育は、世界基準と日本の基準をうまく擦り合わせられるようになっていかなくてはならない。
今の日本の初等中等教育がいいのかと考えると、以前は科目ごとに本当に優れた成績を出す小学校や中学校があったのに、それが崩れてきている。子供たちの学びを支えるスピリットやマインドがある学校や教員がいて、その人たちは教え方もうまくて科目ごとの知識や理解を押し上げてきたのではないだろうか。この点を私たちは考えて行かなければいけない。
一方で、協調的な幸福感を目指すという点では、子供たちはすでに互恵的な価値観をよく分かっていると思う。こうした互恵的な協調型の価値観の大切さはだんだん世界各国にも広がっており、国際的なプラットフォームでも認識されている。日本が発信する機会も今後増えていくだろう。
だから、これからの日本の教育は協調型の価値観に自信を持っていい。特に学校の教員たちは互恵的な考え方を身に付けている子供たちが育っていることに、もっと自信を持ってほしい。その自信が日本の教育そのものへの自負にもつながるのではないか。
日本の教育がこれまで子供たちの自己肯定感を十分に高めることができなかった背景には、評価の問題があると感じている。日本人にとっては、他者による評価が非常に重要になることが多い。例えば、サッカーの国際試合でも、相手チームの監督のコメントが必ず新聞記事に載る。つまり、相手に褒めてもらうと安心したりバランスが取れていると納得したりする。そのように、自己肯定感につなげている。
けれども、自分を評価するのは自分自身でなければ、本来、自己肯定感は高まっていかない。これは日本の文化に根付いたものかもしれないので、簡単には変わりそうにないが、学校現場の教員は、人の評価よりも自分自身の評価を大切にするようにしてほしいし、子供たちにもそのように接してほしい。それが日本社会に根差したウェルビーイングの向上にもつながっていくと考えている。
細田眞由美・さいたま市教育委員会教育長、中教審初等中等教育分科会臨時委員
とても妥当な基本計画だ。変化の激しい時代にあって、われわれが大切にしてきた不易の部分に加えて、とにかく変化に対応できる、人としての強さが大切になる。子供たちには、新たな価値を創造し、自分たちが変化を起こしていく力を身に付けてほしい。その点で、教育政策の目標4に「グローバル社会における人材育成」、目標5に「イノベーションを担う人材育成」が入ったことは評価したい。
新たな価値を創造する人材育成には、探究的な学びやSTEAM教育が重要だ。今年1月、本市では「イノベーションプログラム」として市立高校生10人を米国のシリコンバレーに連れていき、起業家が投資家に対して事業のプレゼンをするピッチコンテストを見学した。同時に、生徒自身が考えたアイデアについても投資家から意見をもらった。投資家からは「失敗することを恐れるな。とがったイノベーションを期待している」との言葉を掛けてもらい、生徒たちは「視野が広がった。自分の進路についても、世界中が進学先だと思うようになった」と語っていた。
シリコンバレーで使われる言語は英語だ。英語は世界を見る窓であり、世界とつながる道具にもなる。教育政策の目標4に「グローバル社会における人材育成」では、外国語教育の充実が基本施策として盛り込まれている。英語教育に力を入れている本市では、小学校から中学校に上がる際に英語でつまずかないよう、発達段階に応じた「縦のつながり」を重視している。また英語以外の教科でも英語を取り入れるような「横のつながり」も有効だ。
目標5「イノベーションを担う人材育成」の基本施策には、女性の活躍推進も挙げられている。私が大宮北高校で理数科をスタートさせた時、当時の数少ない女子が「小さい頃から算数や数学、科学が大好きで、両親が背中を押してくれた。理系に女性が少ないのは、男女の能力差というよりも、社会的なバックアップの問題ではないのか」と、元気よく語っていたことを思い出す。今後しばらく女子の理工系進学を奨励し、手厚いバックアップをしていけば、理工系に進む女子はおのずと増えていくのではないか。
国内に目を向けると、24万人を超える不登校児童生徒がいる。同じ年代の子供が同じ時間に、同じ学びに向かうという、延々と続いてきたこのスタイルに、変化をつけていかなければならない段階に差し掛かっている。世界的に見て、日本がイノベーションで後れを取ってしまい、かつてのようなプレゼンスを示せなくなった理由は、みなが同じスタイルで学ぶ教育から脱却できないことが一因ではないか。
今こそ、一人一人の子供が持つポテンシャルに合わせ、個別最適な学びが提供できるような学校教育が必要だ。次期計画においては大きな変革が求められるし、社会もそう期待していると感じる。
喜名朝博・国士舘大学体育学部こどもスポーツ教育学科教授・全国連合小学校長会顧問
基本計画という性格上、仕方がないことかもしれないが、概して総花的であると感じた。特に学校現場の喫緊の課題である、教員不足や教員の処遇改善などの課題にあまり触れられておらず、具体的な対応策がないことが気になった。
疲弊した学校現場に教育の理想を語っても、受け止めるだけの余裕はない。教員不足が質の低下を招き、授業改善どころか、学級崩壊を起こさずにいるだけで精いっぱいだという学校がある。70歳を超えた教員経験者に頼み込んで来てもらっている学校もある。答申に並んでいる施策を見ても「今の状況でこれは無理だ」というのが現場の本音だろう。
また次期計画では、「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」が主要なコンセプトとなった。新しい概念だが、参考資料として示されている説明は分かりやすく、学校・学級経営のキーワードになると感じた。ただ、あえて獲得的・協調的と分け、「日本社会に根差した……」と限定したことで、グローバルに発信すると言いつつ結局、内向き志向を強め、結局は何も変わらないということにならないか。ただの流行語で終わらないよう、本質的な理解が必要になる。
そもそも利他性、協働性、社会貢献意識などに至る前に、「明日の朝ごはんをどうしよう」と困り果てている子供たちもたくさんいる。保護者の経済格差が子供たちの体験格差を生み、分断を招いている。ICTの活用についても、家庭に機器がそろっていて抵抗なく使いこなせる子供と、そうでない子供がいる。そうした実態に目を向け、実効性のある対策を取っていかなければ、ウェルビーイングという言葉だけがむなしく響くだけになってしまう。
答申には「学制150年の節目」という表現が出てくる。そのわりに、現行の第3期教育振興基本計画の評価・検証や、総括が十分になされているようには思えない。150年間の制度疲労を改善する必要があり、中でも教員の待遇改善や学校教育の在り方の見直しといった、一刻を争う課題に取り組んでいかなければならないはずだ。
次期計画に盛り込まれた教育政策の目標は16個と多い。「とにかく取りこぼさないように網羅した」という印象だが、どの政策を重点的に進めるべきなのか、どのように予算の裏付けがなされるのかを明確に示してほしい。同時に、これまでやってきた取り組みを「減らす」「やめる」という決断も必要だ。中教審の別の部会で検討されている取り組みもあるが、それらとの整合性やつながりが、もっと見えてくるとよい。