緊急時の教育支援と人間の安全保障 ECW事務局長に聞く

緊急時の教育支援と人間の安全保障 ECW事務局長に聞く
インタビューに応じたヤスミン事務局長
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 今、世界各地で紛争や災害などにより、子どもたちの学びが脅かされている。2016年の世界人道サミットで、世界初の緊急時の教育支援に特化した多国間援助機関として設立されることになった「教育を後回しにはできない(Education Cannot Wait)基金」(ECW)のヤスミン・シェリフ事務局長が3月7~8日に、緊急時の教育支援に対する日本政府の働き掛け強化を求めて来日した。8日に教育新聞のインタビューに応じたヤスミン事務局長は、岸田文雄首相が掲げる「人間の安全保障」のコンセプトに共感するとともに、日本のような他者への思いやりを大切にした教育が、今こそ世界に必要だとの認識を示した。

緊急時の教育に対し、日本政府は支持を

――日本ではあまりECWの活動は知られていないように思います。今回来日した目的は何でしょうか。

 私たちは国連の枠組みの中にあるグローバルな基金です。事業を現地で運営するのではなく、国際機関や市民団体と調整して、より質の高い案件を現地に届ける、触媒となる基金として運用しています。さまざまな支援団体をつないで相乗効果を持たせながら、教育支援のためのプロジェクトやサービスを現地に届けているのです。私たちは全体的・包括的アプローチで、国連の食糧農業機関(FAO)や難民高等弁務官事務所(UNHCR)、ユニセフなどの国際機関をはじめ、セーブ・ザ・チルドレン、ワールド・ビジョンといった市民団体が連携して働いていけるように調整しながら支援を行います。例えば水や住居、女子教育、心のケアなど、いろんな側面を一括・包括的に捉えながら、必要な資金を調整して子どもたちに届けるのが目的です。

 昨年の国連教育変革サミットで、岸田首相は世界で5人いる「教育チャンピオン」の1人に任命されました。教育を支援する世界のリーダーとして、国連事務総長から指名を受けているのです。

 岸田首相は昨年9月の国連総会で一般討論演説に立ち、「人間の安全保障」というコンセプトを打ち出しました。ぜひとも、この「人間の安全保障」の理念に基づいた教育支援をしていただくことに期待しています。

 今年は広島でG7が開かれますが、実は、G7のメンバーの中で唯一ECWに拠出していないのは、日本だけなのです。そういう意味でも、G7の他のメンバーと一緒に、日本政府は緊急時の教育における支持を表明してほしいと願っています。

――なぜ日本はECWに拠出していないのでしょうか。

 これはおそらく、日本政府にしてみれば、私たちを知る機会がないということがあると思います。私たちはまだ設立から10年もたっていない新しい基金です。今回来日して、外務副大臣はじめ多くの国会議員とお会いすることで、私たちについてもっと理解を深めていただきたいと思っています

日本の学校が重視する「思いやり」が世界を変える

――日本は発展途上国などに向けて、日本の学校教育システムを「輸出」することに積極的です。ヤスミン事務局長の目から見て、日本の学校教育の優れているところは何だと思いますか。

ヤスミン事務局長は日本政府の支持と、思いやりを大切にする日本の学校教育の広がりに期待を寄せる
ヤスミン事務局長は日本政府の支持と、思いやりを大切にする日本の学校教育の広がりに期待を寄せる

 岸田首相の掲げた「人間の安全保障」は、非常に重要なコンセプトで、国家の安全保障よりも先に来るべき概念だと言えます。人間中心の観点から見据えないと、国家は語れないということです。今、日本の教育では、他者への思いやりや、人の立場に立つこと、人を助けることが重要視されていると聞いています。そのように互いを尊敬し、助け合う気持ちは、まさに日本がこの社会で実現していることであり、他国に届ける価値のあるものです。そういう考えが広がることで、戦争や紛争もなくなるでしょう。今もなお、戦争や紛争が各地で多く続いているのは、他者を思いやったり、相手の立場になって考えてみたりすることが忘れ去られている結果だとも言えます。

 学校で読み書きを学ぶことはもちろん大事ですが、若い人や子どもたちが学校に通っている間に、そういった人の心を思いやる大切さ、人の立場に立って考える人間性を学ぶことはより一層重要になっていくでしょう。その意味でも両親や教師の果たす役割はとても大きいです。

――ウクライナ紛争やトルコ・シリアでの地震、アフガニスタンにおける女性が高等教育を受けることへの規制など、今もなお各地で子どもたちの学びの保障が脅かされる事態が起きています。改めて、世界はこの問題に対しどう結束していくべきでしょうか。

 私たちの活動は子どもたちが教育の機会に取り残されないことを非常に重要視しています。児童婚や暴力、戦争などのさまざまな問題に対して、教育は必要です。教育があってこそ、そういうことをなくすことができる。今までの人道支援では必ずしも教育は重視されてきませんでした。しかし、私たちは教育が人道支援の中でも必要なものであり、それを基礎にして、安全な場所で過ごしたり、戦争や紛争、暴力を防いだりする手段になると思っています。つまり、教育がその人の人生を変えるのです。そこにECWの役割があります。

 戦争はすぐに終わるわけではなく、戦争が終わった後もその影響は長期的に残り続けます。そういった意味では、人道支援からスタートして長期的な支援としての教育まで見据えていくことが、平和の基礎となるはずです。そこに日本が活動できる分野があるのではないかと思っています。

 私はパレスチナで活動していたときに、インフラ整備のプロジェクトに関わったことがあります。そのとき、パレスチナの学校の修復・再建をしていく中で、日本の建物の耐震構造のノウハウが生かされていました。資金の拠出だけでなく、こうした部分でも日本が貢献できることはたくさんあると思います。ECWとしては、そういう日本ならではのノウハウを現地のパートナーを通じて広げていくことで、日本の貢献につなげることもできると考えています。

パンデミックで浮き彫りとなった不公正な世界の現状

――新型コロナウイルスのパンデミックでは、各国でオンライン授業が普及しましたが、課題や格差も指摘されています。

 今回のパンデミックのときに、私たちも現地に赴き、結果として3000万人の教師と子どもたちに支援を届けることができました。オンラインによる教育は、何よりもまずインフラの整備が必要です。例えばウクライナやモルドバといった国ではそれが可能でも、アフガニスタンのようにインフラが整っていない所では現実的ではありません。シリアのように戦争によってインフラが破壊されたところでは、解決策にすらならないのです。レバノンはインフラが整っていますが、私がそこで出会ったシリアの難民家族は、子どもが4人いてスマートフォンは1つしかありませんでした。彼らにオンライン授業をするのは、早急な解決策としてはやはり無理があります。

 新型コロナウイルスのパンデミックは、新しい技術にスポットライトが当たった一方で、世界の不公正、不均衡な現状を私たちに知らせることになりました。教育の支援をする際にも、経済的・社会的不公正をただして、その観点から支援を届けなければいけない。ECWが活動している国は、低所得層が多くいたり、インフラが十分になかったり、紛争でインフラが破壊されたりしています。そこでの支援では、テクノロジーと共に考えなければいけない側面として、不正義や不公正の問題があるのです。

――そうした国では、学校の再開も遅れていると聞きます。オンライン授業だけでは補えない、リアルな学校だからこその学びをどう保障していくべきでしょうか。

 オンライン授業は、いろいろな人が共に学ぶことを基本とした伝統的な学びを完全に代替することはありません。学びには、人間と人間の触れ合いがどうしても必要になると考えています。私たちも非常にそれを重要視していて、私たちが助成している案件の9割以上はオンラインによるものではありません。私たちは特に設備、教材、教師のトレーニングに力を入れているプロジェクトに対して多くの助成をしています。

教師は平和を届けるメッセンジャー

――日本の学校でも、国連の持続可能な開発目標(SDGs)を授業に取り入れ、世界の問題を自分事として捉える取り組みが広がっています。改めて、日本の教師にどんなことを期待しますか。

 一番重要なのは、教師が子どもや両親、社会から尊敬される存在であり、子どもたちにとってのロールモデルになっていることです。日本の学校で他者を思いやることを学んだ子どもたちは、やがて、自分たちがコミュニティーの一員として存在していることを実感し、人への思いやりを実践しながら暮らしていくことになります。

 まずは教師が、この日本の良さを子どもたちに伝えていってほしい。それがあってこそ、国際機関や国際基金を通して、他の国に日本の良さを広めることもできます。そしてだんだん、世界が変わっていくのです。その意味でも、やはり教師は重要な役割を担っているのではないでしょうか。子どもたちにとって教師は、両親に次いで重要な存在です。教師が平和を届けるメッセンジャーとして活躍できると考えています。

【プロフィール】

ヤスミン・シェリフ(Yasmine Sherif) ECW事務局長。国際人道法や人権法を専門とする弁護士として、国連や国際NGOで30年以上にわたり活躍。アフガニスタンをはじめ、世界で危機にひんしている地域での活動に従事してきた。2017年にECWに参加し、事務局の設立に携わる。ECWの設立から5年足らずで、教育の危機にあった35カ国に約10億ドルを助成するなどの成果をあげる。22年にはECWを代表してマザー・テレサ賞を受賞した。

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