この3年間で、変化に強くなった━━。政府の方針でマスクの着用が任意となった卒業式が各地で執り行われている。さいたま市立浦和南高校(田邉広昭校長、生徒937人)でも3月10日、保護者や来賓なども参列する中、卒業式が行われ、3年生306人が巣立ちの日を迎えた。式では3~4割の男子生徒がマスクを外していたものの、女子生徒はほぼ全員がマスクを着用して参加した。部活動も盛んな同校の生徒からは「部活動もままならない時期もあったが、仲間と意見をぶつけ合いながら乗り越え、結果も残せた。いろいろなことが今まで通りにはいかなかったが、私たちは変化に強くなったと感じている」と力強い言葉が聞かれた。
3年生には2月21日の登校日に、卒業式のマスクの通知について伝えられ、着用は個人の判断に委ねられた。また、国歌や校歌、式歌はマスクを着用し、全員で歌った。3年生はこの3年間、合唱する機会はなく、校歌さえも歌う機会がほとんどなかったそうで、その影響か校歌斉唱時には歌詞カードを手にする生徒も見られた。生徒によると、「高校1年の時に音楽を選択していなかった生徒は、歌詞がほぼ分からない」とのことだった。
田邉校長は式辞で「この3年間は何をするにも大きな制約があった。今後はマスクの着用も個人の判断に委ねられる。みんなの主体的な判断が尊重される世の中をつくっていこう」と述べ、「高校を卒業してからの方が、人生はずっとずっと長い。これからも学び続けてほしい。先生たちは生涯、あなたたちを応援している」とエールを送った。
卒業生の答辞に立った松下侑生さんは「入学して待っていたのは、画面の中にいるクラスメートだった。思い描いていた高校生活とは程遠かったけれども、いつしか気のおけない仲間ができていった。2年生の時は、長崎への研修旅行が計画されていることを聞いて、みんなではしゃいだことを覚えている」と高校生活を振り返った。そして、「これからどんな道を進むのかは、その人次第だ。しかし、この学校で過ごした私たちならば、望んだ目的地にたどり着ける」と前を見据えた。
3年生の学年主任の秋元勝教諭は、生徒らの入学当時のことを振り返り、「入学式をやったことはやったけれども、事務的なことばかりだった。これからどうなるのか、私たち教員も全く先が見えなかった」と話す。入学後に行われるオリエンテーションや学校行事なども一切できない状況だった。
初めて教材を配布したのも、Zoomでホームルームを始めたのも、入学式から1カ月以上たった5月に入ってからだった。「生徒たちは『高校って何なんだろう』と悶々とした日々を過ごしたのだと思う」と語る。6月からようやく分散登校が始まったものの、授業時数が足りずに夏休みも短縮されるという異例続きの1年だった。
部活動も活動自体ができなかったり、さまざまな大会が中止になったり、縮小されたりした。それでも、3年生の田村真優さんは、バトン部の部活動に打ち込んだ日々をうれしそうに振り返る。「バトンを高校に入って新しく始めた人も、ずっとやってきた人もいた。いろいろな意見があって、ぶつかり合うこともたくさんあった。でも、それをみんなで乗り越えた経験はとても大きな意味があった」と話す。バトン部は昨年7月に行われた「全国高等学校ダンスドリル選手権大会」で初優勝を果たした。今月下旬には米国で行われる世界大会に出場することが決まっており、田村さんも渡米予定だ。
予測困難な時代を経験したこの3年間を踏まえ、松下さんは自身が考えるこれから必要な力について、「情報を得る力」だと語る。「待っているだけではつかめない、自分でつかまなければつかめない情報もある。先が見えないからこそ、これからも自分で情報を得る力をつけていきたい」と強調する。
また、田村さんは「予想外のことが起きたりしたときに、いかに強い気持ちを持ち、ぶれないで進んでいけるかが必要とされていると思う。部活動のコーチにも、3年間、『変化に強い子たちであってほしい』と言われ続けてきたし、私たちは変化に強くなれたと思う。卒業後、それぞれが自分の道を進んでいくには、さらにその力が求められるのではないか」と話してくれた。
近年、生徒から学校に贈呈する卒業記念品は、学校備品のことが多かったそうだが、今年は「ソメイヨシノ」の木が贈呈された。秋元教諭は「桜の木なら、50年、100年、共に育っていってくれるだろう。いつでもあの時の3年間を思い出せるのではないか」と目を細めた。