障害のある特別な支援が必要な学生が、自分のヘルパーとなる学生を面接し、共に学び、共に過ごす学校━━。デンマークのフォルケホイスコーレ(北欧独自の17歳以上を対象とした全寮制の学校)の一つで、北欧有数のインクルーシブ教育のモデル校である「エグモント・ホイスコーレン」(以下、「エグモント」)の教員と学生43人がこのほど来日した。3月23日には埼玉県の国立女性教育会館を会場に、脊髄小脳変性症を患う車いすの学生とそのクラスメート7人が北ヨーロッパ最高峰ガルフピッゲン山の登頂を目指したドキュメンタリー映画「リース遠征隊」の上映会が開催された。来日した学生や教員にエグモントでの学びや生活について聞いた。
「エグモント・ホイスコーレン」は、デンマーク・ユトランド半島にあり、約220人の学生が在籍している。このうち、約4割は筋ジストロフィーなどの遺伝性疾患や、脳性まひなどの運動機能障害、自閉症などの発達障害など、身体・知的・精神にさまざまな障害のある学生だ。中には人工呼吸器をつけている学生もいる。
障害のある学生は、国のアシスタントヘルパー制度を用いてクラスメートでもある障害のない学生を雇うことで、食事や排せつ、買い物や旅行といった日々の暮らしを営んでいる。ここで数年を過ごし、地域社会で自律して生きていくための準備をしていくという。エグモントには約40人の教員と、約30人のアシスタントティーチャーがおり、その他にも常勤のヘルパーなどが常駐している。
エグモントで教員として16年勤務しているミケール・キアク・イエンセン氏は、同校について「障害のある学生も多いので、教育活動を行う中でさまざまなアプローチをしていく必要があるが、不可能なことはないと思っている。何が必要かは、その時々で考えてやっている」と話す。例えば、筋ジストロフィーの学生はくぎを打つことはできない、と普通は思うだろう。しかし、エグモントでは、「どんな助けがあったら彼がくぎを打つことができるのか」を考えていくという。
「一番大切なのは、学生がそれぞれ自分のできる最大限のことをやっていくことだ。私たちエグモントの教員は、誰も特別支援教育のスペシャリストではないが、それが良いのだと思っている。対等に付き合っていくことが大切だ」と述べる。
今回、教員3人、アシスタントティーチャー5人、学生35人が来日。そのうち、8人は車いすなど介助が必要な学生だ。学生のニコライさんは「日本に着いて街歩きをした時、たくさんのお店の立ち並ぶ通りがあり、デンマークとは全然違う雰囲気だった。見たこともない標識やアニメキャラがたくさんあり、多くの色で溢れていて、圧倒された」と、日本の印象を語る。
ニコライさんは今、左半身にまひがある車いすの男子学生の支援をしている。2人の女子学生とともにチームとなり、シフトを組んで交代で支援に当たっているそうだ。「私は彼の腕や足となって動いているが、同時によい友達でもある。この学校では障害のある学生とない学生が、スポーツやアート、陶芸などを一緒に楽しみ、一緒に生活をして、こうして一緒に旅行もする。デンマークでも珍しい学校だ」と話す。
エグモントでの日々について、「人を助けるということは、忍耐力と、何とか分かり合おうとする気持ちが求められるのだと分かった。人間が2人いれば、2つの違った欲求や目標があるということで、自分の好きなことだけやっていればいいというわけではない。パートナーが何を求めているのか話を聞いて、自分のやりたいことを調整していくことで、2人の希望をマッチさせていく。いつも完璧に物事が運ぶわけではないので、試行錯誤をしながら、どうやったらうまくいくか、一緒に考えている」と語ってくれた。
今回、上映された「リース遠征隊」は、2015年8月、急速に進行する脊髄小脳変性症の一種である「マチャド・ジョセフ病」を持つヤコブ・リースさん(当時22歳、今回の上映会の6日前となる今年3月17日に亡くなった)と、エグモントのクラスメート7人がノルウェーの北ヨーロッパ最高峰ガルフピッゲン山を登頂した時の様子が収められたドキュメンタリー映画だ。ヤコブさんは、病気の診断から6年経過した遠征時には、車いすで生活し、発話や嚥下(えんげ)障害もあり、終日介助が必要な状態だった(映画のトレーラー映像)。
ヤコブさんはこのプロジェクトのために特別に制作された車いすに乗り、それを仲間たちが押し進んでいく。標高2469㍍、険しい道のりが何度もある中、車いすを持ち上げたり、ヤコブさんを背負い抱えたりしながら、頂上へと挑んでいく。実は、このメンバーの誰もがこのような山に登ったことはなかった。映画の中で、メンバーの一人が「この完璧な仲間は君が選んだんだ。僕らを信じるかい?」と問い掛け、ヤコブさんがうれしそうに「うん」と答える姿が印象的だ。
上映後、ヤコブさんの担当教師として6年間共に過ごしたというミケール氏は「出会った最初の頃は、ヤコブはしゃべることも歩くこともできた」と病気の進行の速さを語った。「このプロジェクトは、ヤコブがエグモントのアドベンチャーコースで学んでいくうちに、ガルフピッゲン山登頂の夢を抱き、そこから仲間を募り、教員のアドバイスも受けながら進めていった。思っているようには簡単には進まなかったが、さまざまな困難を克服しながら、登頂に向けて頑張った」と説明した。
映画を見た人からは「かなり過酷なプロジェクトだったと思う。『危ないんじゃないか』『やめた方がいいんじゃないか』という懸念は、どうやって乗り越えていったのか」との質問があった。それに対し、ミケール氏は「彼らは実のところ、そんなにリスクを感じていなかった。若いし、なんでもできると思っていて、それが成功につながった理由の一つだと思っている。すごく大変なミッションを前に、お互いの信頼が前提にあった。プロジェクトの過程で、介助する側、される側というのではなく、お互いがお互いを頼り合う関係になっていき、強い絆が生まれていった。こうしたスペシャルな経験をすることが、人生において素晴らしいことなのではないか」と話した。