平和を維持する学び 「ぼくたちの哲学教室」の校長に聞く

平和を維持する学び 「ぼくたちの哲学教室」の校長に聞く
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 グローバル化が進み、さまざまな価値観を持った人々の共生が課題となっている。その間にある分断を乗り越えるため、哲学を教育活動の中に取り入れた学校が、英国北アイルランドのベルファスト市にある。4~11歳までの子どもたちが通うカトリック系のホーリークロス男子小学校では、ケヴィン・マカリーヴィー校長が中心となり、哲学の授業がカリキュラムの中に位置付けられている。その実践を記録したドキュメンタリー映画『ぼくたちの哲学教室』が5月27日から日本でも公開されるのに合わせて、ケヴィン校長とナーサ・ニ・キアナン監督が来日した。コミュニティーや子どもたちの未来のために、なぜ哲学に行きついたのか。ケヴィン校長とナーサ監督に、同校の実践の意味を聞いた。

「考えることによって、考えることを考える」

 ケヴィン校長を中心に同校で行われている哲学の教育実践には、さまざまなスタイルがある。科目として設定されている哲学の授業があるのをはじめ、他教科の中にも哲学のエッセンスが取り入れられており、さらには、子ども同士でトラブルが起きた後のケヴィン校長と子どもの対話の中などにも、子どもが自分のしたことを振り返り、今後どうするかを考えるためのツールとして哲学が用いられている。

 哲学の授業で設定される問いやテーマには、さまざまなやり方があるという。学校の中で子どもたちが直面している課題を取り上げることもあれば、教科の学習に絡めてその担当の教師が子どもたちに問い掛けることもある。社会的な問題を集めたテキストの中から選ぶこともあるという。

 子どもたちに哲学を教える狙いを、ケヴィン校長は「考えることによって、考えることを考える、ということをしてほしい」と表現する。「自分の意見があったとしても、他人の意見を聞いて、それが良いと思えたら考えを変えてもいいと思えること。そして、聞いたことの全てを受け入れるのではなく、『もしかしたらこうじゃないか』と問いただす、それが必要だ。今、私たちが住んでいる世界は、本当に新しい世界だ。最終的に、平和に和解ができる。そういう世界が将来実現すればいいと思っている。例えば、私たちはソーシャルメディアやテレビや新聞など、いろいろなものから情報を得ているが、それをうのみにするのではなく、もしかしたら違うのではないかと考える。そしてチャレンジする。そういうことをやってほしいという思いで取り組んでいる」と強調する。

哲学の授業で対話をするホーリークロス男子小学校の子どもたち(© Soilsiu Films, Aisling Productions, Clind’oeil films, Zadig Productions,MMXXI)
哲学の授業で対話をするホーリークロス男子小学校の子どもたち(© Soilsiu Films, Aisling Productions, Clind’oeil films, Zadig Productions,MMXXI)

 一方で、こうした授業をするのは、教師にとっても大きな挑戦になる。それについて問うと、ケヴィン校長は「先生はそこにいるファシリテーター。先生はあくまで子どもに質問をしていく役。だから、哲学の知識がなければ授業ができないわけではなくて、子どもが他の子どもの意見を聞けるように促すことが役割だ」と説明する。例えば、子どもの発言に対し、先生が「どうして、そういうふうに思うの?」と聞いてあげる。同じように「もうちょっと説明してくれない?」「これはどういう意味?もう少し別の言葉で説明してくれない?」「では、どういう例がある?」「それってどういうときにそうなるの?」「どんなことがあると起きるの?」など、子どもの思考を掘り下げる問いを投げ掛けることが、哲学の授業においてはより重要になるのだという。

哲学で学校を変える、コミュニティーを変える

 今でこそ学校生活のあらゆる場面で哲学が浸透している同校だが、最初にケヴィン校長が哲学に取り組む提案をしたとき、最大の障害となったのは同僚の教師やスタッフたちだったという。そこでケヴィン校長は、実際に自らがやって見せることで説得を試みた。

 一番下の学年である4~5歳のクラスに入り、子どもたちを馬蹄形に座らせると、ケヴィン校長はこう問い掛けた。

 「エイリアンっていると思う?」

 すると子どもたちは「そんなのいるわけないじゃん」と当たり前のことのように反応を返した。その理由は「会ったことがないから」だと、どの子も口々に言う。ケヴィン校長は次に、同じ質問を今度はケヴィン校長に投げ掛けるよう子どもたちを促す。

 「エイリアンっていると思う?」と子どもたち。ケヴィン校長は「私はいると思うよ。地球はこんなに小さくて、宇宙はこんなに大きい。その中に私たちはいるわけだから、こんな大きな宇宙の中に人間だけしかいないわけがないじゃないか」と応じる。それを聞いた子どもたちの中には「もしかすると宇宙人はいるかもしれない」と考えを変える子が出てくる。

 また別の授業では「ドーナツの穴はドーナツの一部か?」という問いを立てて考えることにした。ある子は「ドーナツの穴は何もない部分だ」と答えた。「でも、もしそのドーナツを私が一口食べたら、その食べて欠けた部分も、何もない部分になるよね?」とケヴィン校長が指摘すると、今度は別の子が「何か(something)だけれど、何もない(nothing)部分」と答えた。どういうことなのかと尋ねると、その子は「何かあると思って穴の中に指を入れたら何もない。これこそが、何か(something)だけれど、そこには何もない(nothing)」と説明してみせたそうだ。

 「それを見ていた先生がすごくびっくりして、そして分かってくれた。私たちがやろうとしていることは、単にクラスの中で哲学をしようということではない。学校全体の文化として哲学を実践しようとしている。個々の子どもたちだけではなくて、コミュニティー全体が哲学を学んでほしい」とケヴィン校長。その思いが表れる場面として、映画の中でも保護者に向けて、ケヴィン校長が家庭の中で子どもと哲学で対話することを勧めているシーンや、思索を重ねる少年を描いたホーリークロス男子小学校の実践を象徴する壁画を制作するシーンもある。

保護者との対話を想定したロールプレーを子どもと行うケヴィン校長(右)。あらゆる学校の教育活動に哲学のエッセンスが入っている(© Soilsiu Films, Aisling Productions, Clind’oeil films, Zadig Productions,MMXXI)
保護者との対話を想定したロールプレーを子どもと行うケヴィン校長(右)。あらゆる学校の教育活動に哲学のエッセンスが入っている(© Soilsiu Films, Aisling Productions, Clind’oeil films, Zadig Productions,MMXXI)

 そして、この映画そのものが哲学を学ぶ格好の教材でもある。ナーサ監督らは現在、子どもたちや教師を対象に、この映画を見て哲学的な問いを考えるプロジェクトを始めている。この映画を企業の研修で使いたいという話が出ることもあるという。

 「哲学と聞いた途端に、私たちはつい、偉い学者のものだと思ってしまって、学校に導入するのはすごく難しく、子どもには関係のないものだとすら思えてしまう。私たちが始めたプロジェクトはまだパイロット段階だが、映画を使って、先生も巻き込んで、みんなで哲学を体験してもらうことを考えている」とナーサ監督は意気込む。

「家族」という言葉に込めた、平和を託す子どもたちへの思い

 ベルファスト市はかつて、北アイルランド紛争でプロテスタントとカトリックが激しく対立した歴史を持ち、今も両者の地区を隔てる「平和の壁」が市街地を分断している。

 ある歴史の授業を捉えたワンシーンでは、実際の当時の写真を見せながら、ベルファスト市で起きたプロテスタントとカトリックの対立を取り上げる。その記録は子どもたちにとって、両親や祖父母から実体験を聞かされる「記憶」でもある。口々に子どもたちが言葉を発する中で、ある子どもは「2つは全く違う人種だ。カトリックはアイルランド人でプロテスタントは英国人。どっちも違う国だし、言葉も違う」と主張する。教師がその子に「つまり、政治や宗教、文化が違えば、一つにはなれない?」と尋ねると「そうだ」と答えが返ってくる。しかし別の子はこう答える。

 「みんな同じ一つの家族だ。このクラスの誰に聞いても、おばさんとか親戚の中に絶対、プロテスタントがいると思う。なのに同じ言い争いを延々繰り返して、くだらないし、意味ない。50年も前に起きた昔の話だ。もう誰も気にしていない。血の色は同じだし」

 このシーンをはじめ、映画の中では家族という言葉が随所に登場する。「この家族というテーマはすごく重要で、子どもとその親だけではなくて、学校もある意味で家族。私たちが住んでいるコミュニティーも家族。映画の中で子どもがこう発言したのは、決して私たちが言わせているのではなく、子どもの自発的な言葉だ」とナーサ監督。映画の中では、対立が起きた当時の映像と現在を、同じ場所で対比したカットも随所に散りばめられているが、「アーカイブ映像を入れ込みながら、この場所がどういうコミュニティーなのか、どういう歴史的背景があって、なぜここに哲学的な考え方が必要なのかということを描いている。今は平和だけれど、この平和はすごくもろい。この平和を得るために努力しなければ、平和は崩れてしまう。それを見た人に分かってもらいたかった」と、その意図を説明する。

インタビューに応じるケヴィン校長(右)とナーサ監督
インタビューに応じるケヴィン校長(右)とナーサ監督

 「私たちがやろうとしているのは、将来のために子どもたちの声を引き出したいということだ。たとえこれから先、感情が乱れてしまうような出来事があったとしても、自分たちの感情はきちんとコントロールできるものであるということを、子どもたちに知ってもらうこと。それが自分たちのためにどういうことなのか、そして世界のために良いことなのか、平和を本当に求めているのか、平和以外のことをなぜ必要とするのか。それらを常に自分たちで考えて考えて、考えることをやめないことを、子どもたちに学んでほしい」と、子どもたちの持つ考える力に地域の平和を託すケヴィン校長。「ぜひ先生も含めて、いろいろな人に映画を見て、インスピレーションを受けて、私たちもやってみたいと思ってほしい。しかしやはり、こちらから『こうなんだ』というのではなく、『どう思われましたか?』と問い掛けるものでありたい。映画を見た後に『どう思いますか? あなたのお考えは?』とお互いに対話してもらえたら」と話す。

「ぼくたちの哲学教室」

北アイルランドのベルファスト市にあるホーリークロス男子小学校では、哲学の授業が行われている。プロテスタントとカトリックの対立が長く続いた歴史を踏まえ、地域の平和を維持し続けていくために実践される「哲学」を軸にした教育が訴え掛けるメッセージを、ケヴィン・マカリーヴィー校長の視点から浮き彫りにする。5月27日から東京都渋谷区のユーロスペースほか、全国で順次公開。

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