AIを使いこなす未来で役に立つ能力を考えるのが、学校が果たすべき役割ではないか━━。ベネッセ教育総合研究所教育イノベーションセンターが主催する第1回「未来の教育を考える会」がこのほど、大阪市内の会場で開かれた。関西を中心に全国各地から教員や教育関係者、保護者ら150人以上が参加し、これからの教育について考えた。会の前半には、ベネッセ教育総合研究所教育イノベーションセンター長の小村俊平氏が「AIはこれからの教育と学びをどう変えるか?」をテーマに、また、元文科省職員で現在は広島県福山市教育委員会参与の寺田拓真氏が「アメリカから見た日本の教育」をテーマに講演した。
小村氏はChatGPTなど生成AIとの付き合い方について、「そこに便利な道具があれば使うのが人間のさがだ。学校での使用を禁止しても、子どもたちは見えないところで使うだけで、問題の先送りになるだけ。AIを効果的に使いこなす方法や、AIを使いこなす未来で役に立つ能力を考えるのが、学校が果たすべき役割ではないか」と訴えた。
また、「以前は、一部のプロが創造・表現する時代だった。それが今やAIによって、誰もが気軽に創造し、自由に表現できる時代になった」と述べ、そうした時代における教育や学校の変化について、「短期的には教育の方法が変わっていくだろう。具体的にはAIによるハイフィット化とハイタッチ化だ。学習進度だけでなく、興味に応じた内容の個別化ができるようになる。また、先生よりもAIの方が親切で相談しやすい」と予測した。
さらには、中長期的には教育の重心が変わるとし、「これまではアウトプット・結果を評価していたが、AIによって結果が改ざんできる時代になる。そうすると、どうやってつくったか、どのようにAIを使ったのか、といったプロセスが大事になり、そのプロセスをどう評価するかという時代になっていく」とした。
便利な道具があって、自由にしていいと言われても、何をしたらいいのか分からずに指示待ちの子どもたちが多いことに危機感を示す小村氏は、「どんなに創造し、表現できるツールがあったとしても、自分が表現したいものを持っていないと意味がない。だからこそ、子どもたちの中に確かな実感や、自己肯定感が生まれるための実体験、試行錯誤が必要だ。そうした経験をできることが学校の大切な役割になる」と強調した。
続いて昨年12月に米国ミシガン大学教育大学院を修了し、今年度から広島県福山市教育委員会の参与を務める寺田氏は、「アメリカから見た日本の教育」をテーマに講演。ミシガン大学教育大学院では、学習科学の知見などに基づき、テクノロジーの活用や、カリキュラムや学習環境のデザインなどについて学んできたという。
あるとき、大学院で「日本の学校教育を一つの英単語で表すと?」と質問された寺田氏は「Assimilation(同化)」と答えたと振り返った。「日本の学校教育は、『赤信号、みんなで渡れば怖くない』よりも、むしろ『青信号、だけどみんな止まっているから私も止まれば安心』というように見える」と指摘した。
こうなった原因について、法的拘束力を持つ学習指導要領など中央集権が強いことや、学校や教員が「外に開いてはいけない」と思い込んでしまっている自前主義なところ、教員が学ぶ時間がないことなどを挙げ、「こうした日本特有の事情はあるものの、日米ともに教育を行動主義から社会構成主義へと変えていこうとしており、直面している課題は同じだ」と述べた。
また現状について、「日本でも米国でも行動主義はいまだに根強く、いろいろな場面で出てくる。そもそも社会システム自体が行動主義に支配されている状態の中で、学校が社会構成主義に変わろうと戦っているような状態だ」と指摘。「社会構成主義への転換は、ある種の社会変革だ。いろいろ頑張って取り組んでも、なぜ進まないのか、なんでこうなってしまうのかと思い悩む教員もいるかもしれない。しかし、社会改革という大きなチャレンジをしているのだから、そんなに簡単にシンプルには進まないものだと捉えてほしい」と説明した。
その上で、社会構成主義への転換を実現するためには、「さまざまな学びが有機的につながるラーニング・エコシステムが必要ではないか」と提起。「学校の先生だけではなく、あるいは学校だけでなく、子どもたちの学びはいろいろなところに転がっている。それを有機的につないでエコシステム化しようというのが、米国の学習科学における最先端の考え方だ。それがつくれたら、大きな社会変革に向けたうねりとなり、結果として子どもたちがより豊かに学べ、社会の中でより生き生きと活躍できるようになっていくのではないか」と訴え掛けた。