多様な子供たちへの対応が課題となる中、特定分野で特異な才能のある児童生徒の支援が始まっている。インクルーシブ教育で知られるフィンランドの出身で、才能教育を専門とする神戸大学大学院人間発達環境学研究科のエルッキ・ラッシラ助教は今年7月、保護者や学校関係者、研究者らとともに、特異な才能のある児童生徒の支援に向けた研究会を立ち上げた。ラッシラ助教はフィンランドと日本の教育、それぞれの強みと課題を指摘しつつ、「日本でも、現状の学校教育の枠組みを大きく変えることなく、こうした児童生徒のニーズに応えることができる」と話す。
――フィンランドの学校現場では、特異な才能のある児童生徒をどう支援していますか。
実はフィンランドでも、特異な才能のある児童生徒に特化した教育は珍しく、一般の教員はあまり意識していないようです。ただ、フィンランドでは教員に高い専門性が求められ、学校現場ではいわば「教員任せ」にされている部分がありますので、学習指導要領や教科書の内容をどれだけ教えるかなども、専門家としての教員の判断で決められます。この柔軟性が結果として、特異な才能のある児童生徒に適した教育スタイルになっています。1クラスの人数がおよそ25人、小学校低学年は20人ほどで、教員が1人の学習者に割くことができる時間が日本より長いという背景もあります。
授業の中で教員は、習熟度別のグループを作ったり、先取り学習をさせたりすることもあります。通常の授業に参加しなくても、内容を理解しているなら、別のプロジェクトに取り組んでもよいとする場合もあります。
これらは、才能教育の研究で好事例とされている取り組みですが、だからといってフィンランドの教員がみな、才能教育の知見を持っているわけではなく、もともとインクルーシブな教室になっているから、その中で自分の指導をそれぞれの学習者に合わせやすくなっている、というのが実情です。ただ結果として、学習障害のある子などに比べて、能力の高い子のニーズは優先度が低くなり、ないがしろにされることもあります。
――特異な才能を持つ児童生徒をめぐる、日本の学校教育の状況をどう見ますか。
社会的・文化的に見て、日本もフィンランドも、子供たちを平等に扱うことへの信念が強くあり、公的な才能教育はありません。ただ平等に関する解釈はかなり違っていて、日本では個々の学習者に最も良いものかどうかは別として、全員にチャンスを与えることが重要とされるのに対し、フィンランドではそれぞれのニーズを重視して、必要な子供には手厚い支援を与えるという考え方をします。
日本では教育の目的を「人格の完成」に置いていることもあり、ある特定の分野だけの知的発達を支援するというよりは、同じ年齢の子供たちと学び、生活することを通じて、能力のバランスの取れた「いろいろなことがある程度できる、凸凹の激しくない人間」を育てることに重点が置かれる傾向が強いです。教員の力量やカリキュラム編成の仕方にもよりますが、できるだけ多くの子供たちに当てはまる形をベースにして、余裕があればアレンジするというやり方が一般的です。1クラスあたりの子供の人数が多いので、個別の対応も難しいでしょう。
特異な才能のある児童生徒にとって、日本の学校では「流される」ことも簡単にできます。良い成績を取っていれば何も言われないし、才能は学校以外の場所で伸ばすと決めている子もいます。フィンランドなら、学校でも学びを深めるための別の措置があったり、個別のプロジェクトに取り組ませたりするところですが、日本ではそれが容易ではない。公教育のシステムや教員の考え方が硬直化している部分もあると感じます。その結果、特異な才能のある児童生徒は、学校で「何も得られない」という感覚を抱いてしまい、学校を自分の居場所と感じられないこともあります。
――逆に日本の教育システムの中で、こうした児童生徒を支援する上での「強み」となる部分は何ですか。
日本でも、現状の学校教育の枠組みを大きく変えることなく、特異な才能のある児童生徒のニーズに応えることができると思っています。授業の中で発展的なタスクを与える、児童生徒同士の学び合いを促す、才能のある児童生徒に教員のアシスタントの役割を与える、といった対応に加え、同僚の教員や管理職、保護者、才能教育の専門家と連携することや、教員自身が指導力の向上をはかることもできます。
そもそも、日本の学習スタイルは、能力の高い子供たちの一部には適しているように感じます。日本の伝統芸能の修練で語られる「守破離(しゅはり)」の考え方のように、明確な目的の下で、師の教えや型をまねすることから始め、段階を踏んで上達していき、最終的には型を破って独創性を発揮する。そういう学び方を好む学習者が一定数いるのは確かです。
さらにフィンランドと比べて、日本に優位性があると感じるのは、社会教育施設などの学校外の学びの場が多いことです。大学などの高等教育機関だけでなく、博物館や図書館、伝統文化に関する場も多いですし、高い技術を持つ民間企業もたくさんあります。学校教育とうまく連携できれば、特異な才能のある子供たちの学びに役立つはずです。
――日本では、才能教育に対する抵抗感もないとは言えません。
スポーツやアートなどの分野では、才能を伸ばす特別なプログラムがあってもさほど問題視されないのに対し、学校教育で扱うような知的な分野については、才能のある子供を特別視することに対し、社会の強い抵抗があります。
才能教育の先進国である米国でも、才能のある子供を選抜しようとする場合に人種の問題などが絡み、不平等や社会の分断につながるリスクが指摘されています。またフィンランドにも、特異な才能のある児童生徒に対して「能力が高いから、特別な配慮はいらない」「特別なことをする時間がない」と思っている教員がいるのも事実です。
日本のような平等への意識が強い国で一番、抵抗感が小さいのは、やはりインクルージョン(包摂)の方法ではないでしょうか。その意味で、文科省が打ち出した「多様性の一環として支援する」という方向性は、大きな摩擦を生まない、良いアプローチだと感じます。学校現場の先生にもイメージしやすいでしょう。学習を深め、広げるというのは、才能教育の中での「拡充」という概念に当てはまりますし、特異な才能のある児童生徒への支援に向けたファーストステップになるはずです。
特定分野で教員より優れた知識を持つ子供たちを「扱いづらい」と感じることがあるかもしれません。その時は「教える」というより「学ぶ機会を作る」ということを意識してほしいと思います。教員が何でもかんでも知っている必要はありません。特定分野では、子供たちの方がより多くの知識を持っている場合もあるでしょう。教員が学びのファシリテーターとしての役割を担うことが、とりわけこうした子供たちと向き合う時には大切になります。
――教員にはどのような支援のノウハウが必要になりますか。
私が担当する教員養成課程の授業では、良い指導とは何か、「教師」として行動するとはどういうことかなど、教員としての土台となる一般的な素養や知識を身に付けるとともに、「特異な才能のある子供たち」という学習者がいることを知ってもらいます。そうした知識がなくても、「指導していても反応がない」「物足りなさそうにしている」と気付く教員もいますが、目に見えにくいタイプの子供たちもいますから。
その上で、そうした子供たちの関心を引き出すための内容や伝え方、通常のカリキュラムを超える体験や学びやすいスタイル、個別最適な学びの中での対応の仕方など、ニーズに応えるための「武器」を学んでもらいます。才能や特性をどう見いだすか、学習をどう観察し、評価するかといった観点も大切です。とはいえ、教員一人だけでは対応しきれないこともあるので、学校外の専門家などと、ネットワークを作ることも考えておく必要があります。
他方で、既に学校現場の経験がある教員は、過去に才能のある児童生徒に出会ったことがあり、自分なりに工夫をしてきたなど、すでに「引き出し」を持っていることもあります。教員養成課程の学生とは出発点が違うので、これまでのやり方に軌道修正が必要かどうかを考えながら、教員養成課程で学ばなかったところを補っていく形になります。ただ、こうした研修は日本でもフィンランドでも、まだまだ十分には行われていないので、今回私たちが立ち上げた研究会でも知見を蓄積していきたいと思っています。
他の児童生徒と同じように、才能のある児童生徒にとっても、支援・指導などの土台となるのは、教師・児童生徒・家庭の間の強い信頼関係、コミュニケーション、そして教授法の高いスキルです。そのため、才能教育など分野別の学びと共に、教師としての一般的な学びも重要になります。
【プロフィール】
ラッシラ・エルッキ・タピオ(LASSILA, Erkki Tapio) フィンランド・オウル大学博士課程修了。2007年に交換留学生として初来日。13年に再来日し、北海道大学で若手教員の仕事上の人間関係や感情に関する研究、教員養成課程の学生を対象とした研究などに従事。18年、才能教育に関する米国視察を機に研究の幅を広げる。20年に3回目の来日を果たし、愛媛大学客員研究員としてSTEAM教育・理科教育の観点から見た才能教育などを研究。21年から現職。現在、JSPS科研費の助成を受け、日本文化・社会と教育システムの特徴を踏まえた、才能教育における教員育成の方法を研究している。