学校でこそ子どもの権利保障を こども大綱を考える(室橋祐貴)

学校でこそ子どもの権利保障を こども大綱を考える(室橋祐貴)
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 現在、こども大綱が策定されようとしている。こども大綱とは、政府全体のこども施策の基本的な方針で、今後5年程度の政策や目標が盛り込まれる。年内には政府のこども政策推進会議でこども大綱案が了承され、閣議決定される見通しだ。

 これまでの子どもや若者に関する大綱から、どう変わったか。こども基本法ができたことによって、良くなったのだろうか。結論からいえば、子どもや若者の社会参加・政治参加に触れていた「子供・若者育成支援推進大綱」に比べると、だいぶ良くなっており、ようやく国際水準になったように感じる。

 具体的にどう変わったのか。重要なポイントを解説しながら、それでも足りない点について言及したい。

支援・保護対象と見なされてきた日本の子ども・若者

 まず、現状の若者政策はどこに課題があったのか。これまでの最大の課題は、子ども・若者が支援、保護の対象であり、権利の主体になっていない点だ。その背景には、子ども、若者は未熟であり、意思決定に参加させる必要はない(間違った判断をする)というパターナリスティックな価値観がある。

 「子供・若者育成支援推進大綱」という名前自体にその精神が表れているが、主な対象は困難を抱えた子ども・若者であり、支援対象者としての子ども・若者像が想定されていた。一見、困難を抱えた子ども・若者をメインに据えることは正しいように感じるが、これによって事後的な、部分的な施策にとどまり、そもそも社会的逸脱を防ぐための包括的・普遍的な施策、構造的な見直しが進まないなど、弊害は大きい。

 例えば、個別にアプローチしようとすると、まずは相談体制を作り、個別に対応しようとする。もちろんこれも重要だが、個人の問題ではなく、社会の構造の問題、つまり多様な個人が生きやすいように各自が権利行使できる環境を作れていない社会の問題として捉え直すと、アプローチ方法が変わってくる。

 実際に、筆者が視察に訪れたスウェーデン大学の学生組合では、アンケートを通して学生のメンタルヘルスが悪化している状態を把握した後、ストレスを与えている学習環境を変えるために、テストが終わってすぐに次の課題に移るのではなく、休みを入れるなどの要求を行い、実現している。このように構造的に変革することで、学生全体のメンタルヘルスを改善した。

「影響力」が抜け落ちた子どもの参加

 それに対し、9月末に中間整理として公表されたこども大綱の案では、子どもや若者が権利の主体として明確に位置付けられており、ターゲットも、一部の逸脱した子ども若者だけでなく、全ての子どもが主眼に置かれており、高く評価したい。

 他方、いくつか重要なポイントが抜けている。

 まず、子どもや若者の意見を尊重することは言及されているものの、最重要ワードである「影響力」という言葉がこども大綱の案には入っていない。そもそもなぜ、子どもや若者の意見を聞く必要があるのか。それは、社会の一員として、自分自身のことや、社会のことに影響力を発揮してもらうためである(自己決定権や意見表明権の保障、民主主義の実現)。

 だからこそ、欧州の若者政策の文章には必ずといって良いほど、「影響力」あるいは「エンパワメント」という言葉が入っている。エンパワメントとは、権限を与えるという意味で、影響力を与えると同義である。これは幼少期から意識されており、スウェーデンの幼児教育の基本方針には、「子どもの参加と影響力」という項目が作られている。

 「影響力」を与える権利を保障するために、「参加」の機会を保障するのである。要は、「参加」だけでは不十分なのだ。「影響力」を与えなくては意味がないどころか、むしろ弊害すらある。形の上では参加していても、影響力を与えられなければ、「自分には力がない」というように学び、声を上げようとしなくなるからである(学習性無力感)。

 残念ながら、現状の日本は既にそうなっている。

 日本若者協議会が約800人の高校生に実施したアンケートでは、「児童生徒が声を上げて学校が変わると思いますか?」という問いに対し、約70%の高校生らが「(どちらかというと)そう思わない」と回答している。

 その理由として、「(生徒会の)候補者が何度も校則を変えると言ってきたけど、変わったことはない」(鳥取県・私立高校 生徒)、「実際に学校に陳情したことがあり、受け入れる旨の回答をもらったが、後にほとんど対処してもらえていなかったことがわかった」(奈良県・私立高校 生徒)、「どうしても変えたいという要望を持ち、声を上げたとしても、『それはしょうがない。生徒なんだから』とまるで取り合ってもらえないから」(千葉県・国公立中学校 生徒)--などが挙げられた。

 学校内で声を上げてきた経験から、こうした感覚に陥っている様子がうかがえる。つまり、「参加」したことが、社会に対する参加意欲を増すどころか、逆にマイナスの影響を与えてしまっているのである。

 そして、日本では肝心の目的が抜け落ちているために、政府の子どもや若者の意見を聞く事業も、アンケートやヒアリングといった影響力の小さい事業であることが多く、小さい会議には若者が入っていても、重要な会議(首相官邸が主導する会議体や省庁の主要な審議会)には入っていない。

 他方、影響力を重視した欧米の子ども・若者の参加は大きく異なる。

 高校生の時から、重要な意思決定の場である、教育委員会や審議会に入っていることは珍しくなく、フランスではあらかじめ中央教育審議会に4人の高校生枠が設けられており、全国組織から選出される。

 スウェーデンでは、新しく法律を制定する際は、必ず、法案に関わるステークホルダーの合意を得るプロセスが確立されている(レミス制度)。若者に関する政策を通すときは、若者協議会をはじめ、若者団体が議論に参加し、政策決定に関与している。

 さらに、リソースに欠ける若者でも社会に影響を与えられるように、若者団体に多額の経済的支援を行っている。スウェーデンでは、子ども・若者団体に限定して、年間約45億円の助成金を出し、フィンランドでは、ユースワークのために年間94億円ほど政府から助成金が出されている。

 もちろん、こうした国では、政府がお金は出しても、活動内容に口は出さない。支援・保護対象ではなく、権利の主体として、子ども・若者を見ているために、主体性を尊重するのである。

 このように一貫して、若者に影響力を与える(エンパワメント)ために、若者政策を整備しており、日本は根底にこの考え方が抜け落ちているために、不十分な施策ばかりになっている。

 現在議論されている「こども大綱」の案でも、「若者が主体となって活動する団体等の活動を促進する環境整備」という項目は入っているが、エンパワメントや財政的支援など、もう一歩踏み込んだ記述が求められる。

政府から独立した国内人権機関設置の必要性

 さらに、こども大綱の案がEBPM(エビデンスに基づいた政策立案)や子どもの権利影響評価に触れていることは評価できる。だが、これまで子どもの権利や人権が十分に保障されてこなかった大きな理由の一つが、政府から独立した国内人権機関がないことである。

 こども基本法の成立過程では、「こどもコミッショナー」についても議論が行われたが、実効性を持たせた形で子どもの権利保障を進めるためには、外部からの評価や権利救済が欠かせない。現に、今の学校では、生徒会などを通して、明らかに人権侵害である校則の見直しを訴えても、児童生徒の声が反映される体制にはなっていない。

 国内人権機関(国家人権委員会)が設置されている韓国では、国家人権委員会が校則の調査を行い、行き過ぎた校則を定めている全ての学校長に対して校則改正と指導見直しの勧告を出している。こども大綱の中身をきちんと実現させるためにも、「国内人権機関の地位に関する原則(パリ原則)」や「子どもの権利委員会の一般的意見第2号(子どもの権利の保護および促進における独立した国内人権機関の役割)」に沿った、国内人権機関の設置が求められる。

教育分野での子どもの権利保障

 最後に、もう一つ重要な軸が、学校教育の現場をどう変えていくかだ。前述の学校内民主主義に関するアンケート結果にあるように、現状の学校は民主主義の場として機能していない。さらに、最近では中学受験から始まる激しい受験競争や、幼少期からの「評定」など、不登校の児童生徒や自殺者数の増加に見られるように、管理型で、画一的な、過度に競争的な教育環境に子どもたちが苦しんでいる。

 多くの子どもたちにとって、日中最も多くの時間を過ごすのは学校である。その学校の場で、子どもの権利が保障されていなくては、いくら他で保障されていても不十分である。

 こども大綱の案では、周知については触れられているが、周知だけでは全く不十分であり、文科行政や教育委員会、学校長が責任を持って子どもたちの権利を保障しなければならない。

 「こどもが安心して過ごし学ぶことのできる質の高い公教育の再生等」という項目もあるが、学校の民主化を進めることや、過度に競争的な教育環境の是正、体罰(不適切指導)の防止など、学校内で子どもの権利を保障するために、より具体的な記述が求められる。

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