本連載で米国の公立学校の教員の給与が他の産業と比べて極めて低いことは、すでに何度か指摘してきた。今回は米国における教師の給与水準と、教員の性別による格差の問題を取り上げる。全国教育協会(National Education Association)が相次いで教員の賃金に関する調査結果を報告している(調査結果は全国教育委員会の機関誌『NEA Today』の11月3日号の「Closing the Gender Pay Gap in Education」と、10月3日号の「Teacher ‘Pay Penalty’ Reached Record High」に掲載されている)。
教育の重要性が指摘される一方、公立学校の教員の金銭的待遇は極めて厳しいのが実情である。生徒の公立学校離れが進み、公教育の相対的な地位の低下も見られる。米国では公然と「公教育の終焉(しゅうえん)」が叫ばれ、私学だけでなく、チャーター・スクールやホーム・スクールで学ぶ生徒の比率は着実に高まっている。
「Teacher ‘Pay Penalty’ Reaches Record High」は、2022年の教員の給与は同じ大学教育を受けて、他の産業で働く専門職の給与よりも26.4%低いという調査結果を報告している。これは過去最高の格差である。21年では格差は23.5%であり、さらに広がっている。同報告は、この賃金格差を「Teacher Penalty(教師に対する罰)」と厳しい呼び方をしている。ペナルティーは1996年と比べると4倍以上拡大している。「過去20年間に教員の賃金は同じ資格と持つ専門職と比べると、一貫して低下してきた」。こうしたペナルティーが教員不足の大きな要因であることは、本連載で繰り返し指摘してきた。また、この現象は米国にとどまらず、先進国に共通した現象である。
『NEA Today』の記事「Closing the Gender Pay Gap in Education」は、教員の間に男女の賃金格差が存在すると報告している。同記事には、ウィスコンシン州バローナ市の特別教育に専心し、多くの実績を上げてきた31歳の女性教員の例を取り上げ、彼女よりも経験が11年も短い男性教員が採用され、その男性教員の年収が彼女よりも1万1466㌦多かったことを知り、彼女は「気分が悪くなるほど驚いた」と語っていると書いている。
彼女が働いていた市では、他の女性教員も、経験が短く、同じ仕事をしている男性教員よりも年収が2万㌦少なかったと報告している。同様の格差に気が付いた女性教員たちが、賃金差別の廃止を求めて訴えた。教員組合の要求で、市の教育委員会は差別を受けていた女性教員に賃金の後払いや金利などを含め45万㌦の和解金を払った。同時に教育委員会は、今後、同様な差別は起こらないと約束した。こうした動きを受け、同州では「Fair Pay Now」という運動が始まった。教員組合の指導者は「教育委員会が差別に加担したら、組合は正義が実現するまで運動を止めない。全ての教育者は公平で、予測でき、透明性のある給与をもらう権利がある」と語っている。
女性に対する賃金格差是正の動きは1960年代に始まっている。63年にケネディ大統領は「Equal Pay Act」に署名している。当時、女性の賃金は男性の59%であった。その後、格差は縮小しているものの、女性の賃金は2002年で男性の80%、22年で82%にとどまっている。女性教員の賃金は男性教員の74%弱であり、他の産業よりも改善のペースは遅い。
Pew Research Centerの調査「Gender Gap」(今年3月1日)は、「ジェンダーによる賃金格差は過去20年間、ほとんど縮小していない」と指摘している。さらに同調査は「なぜ賃金格差の縮小の動きが21世紀に入っても停滞しているのか理由は分からない」とし、さらに「大卒間の男女の賃金格差はほとんど縮小していない」し、「若い時より高齢者になればなるほど、男女の賃金格差は拡大している」と指摘している。
筆者は日本においても、米国の例は無視できないと思っている。日本でも遠からず、教員に対する「能力給の導入」が議論されるようになるだろう。賃金における「査定部分」が増えれば、格差は現実のものになりかねない。能力差は当然評価されるべきであるが、同時に「公平で、透明性のある給与体系」を確保することも重要である。