前回のオピニオン欄「若手教員の二極化 現場での育て方を見直すべき時に」では、若手教員が二極化している現状や、若手教員が苦しむ事態の解決が重要課題であること、ベテランや管理職は学校の最上位目標が「全ての子が安心して学び合える場にすること」であるという大前提をしっかりと押さえた上で、下から若手を支え見守るべきだと述べた。
今回は、大阪市立大空小学校での事例を基に、若手教員をどう育てるかについて伝える。
大空小学校の9年間でどう若手教員を育てたか。スタート地点は「ベテランや管理職が自身の経験値に基づいて若手教員を指導する」というあしき当たり前を全て捨て去り、考え方を大転換させるところと定めた。その上で若手育成の柱としたのは、1~5年目の若手教員によるチームをつくり、「学校のリーダー」にすることだった。
例えば運動会。校務分掌も全て転換させ、「運動会のことは体育部会で決める」「ベテラン教員が中心になって議論を進める」などという前例踏襲は捨て去った上で、若手チームに「学校のリーダー」となってもらい、対話を繰り返しながら重要事項の決定を進めてもらう。子どもにとって一番身近な若手が、子どもたちと「どんな運動会をつくろうか」と話し合い、いろいろなプランニングをするのだ。
私たちベテランはそのプランを聞き、「ここはどうしたらいいと思うか」などと問われたら、自身の経験やさんざん繰り返してきた失敗などを踏まえて、「こんなふうにしましょうか」と提案する。ベテランの間で共有していた考えは「どんなことがあっても私たちが若者を下から支える」ということだ。ミスや思いがけない見落としなど、残念な出来事は当然出てくる。そうしたさまざまな「漏れ」や「こぼれてきたもの」は下にいるベテランがしっかりすくい上げて受け止める。
学校の中には、若手同士が排除し合ったり、過剰な競争意識でつぶし合ったりするところもあるという話は、これまで嫌というほど聞いてきた。子どもにとって一番身近な存在として活躍するはずの若手にこうしたことが起きるのは、残念でならない。
若手は互いに助け合い、補い合ってこそ一層力を発揮する。そうした考えで、大空小学校では若手がチームをつくり、学校をけん引する存在になるような仕組みにした。若手チームの名前は「リーダー研」から略して「L研」、一方のベテランチームは「B研」として、「B研がL研を支え、L研が学校を引っ張る」といった役割が明確になるようにした。
こうした話をすると、「Bはベテランの頭文字でBですか」と尋ねられることがあるが、ベテランの本来の頭文字はVであり、「B研」の「B」は、大空小学校のベテラン層が当時50代女性ばかりだったことから、「私たちはババア研」と自称していたという由来がある。この名称については校務分掌に関わることなので大阪市教育委員会にも届け出たが、指摘などは特になかったのでこのまま使用していた。
この「L研」に入るか「B研」に入るかに年齢制限はなく、本人の自己申告のみで決まるものだった。導入した最初の年の4月、初の顔合わせで「ふたを開けてみないと分からない」と話していたが、実際はやはり若手はみんな「L研」で、「B研」はベテランばかりだった。冗談交じりで「一人ぐらいB研に来ないか」と若手に声を掛けたが、「遠慮しときます」と返された。
それからの9年間で「L研」は順調に育った。当初の若手は中堅になり、「B研にはまだ入りたくないし、L研にいたら発言権を持ってしまいそうだ」と、新たに「C研」を立ち上げた。「C」は中間を意味するセンターから取っている。
これは大空小学校の一事例で、他にもさまざまな手段が可能だと思うが、重要なのは若手が学校で伸び伸びと成長できる環境をつくることだ。ベテランや管理職が進む方向を定めてしまっては、若手は自由に息が吸えずしんどい気持ちになるだろう。
必要なのは、最上位目標さえ見誤らなければどんなに失敗してもいいという気持ちで、若手を下から支えることだ。失敗すればするほどベテランと若手の信頼関係がつながる。若手が失敗すれば子どもと若手がつながる。そうして教員が主体的に育ち、ベテランも若手も含めたみんなが互いに適切な依存をし合えて対話できる環境が整えば、やがて自律した学校現場が確立していくのではないか。