こども基本法が子どもの権利の尊重をうたっても、子どもたち自身や周りの大人が子どもの権利について理解しなければ、権利の保障に結び付かない――。こんな問題意識に基づき、日本ユニセフ協会が進めているのが「CRE」(Child Rights Education=子どもの権利を大切にする教育)だ。耳慣れない言葉だが、一体どんな内容なのか。学校にどのような効果をもたらすことが期待できるのか。こども大綱を巡るインタビューの最終回として、同協会学校事業部の池田礼子さんに話を聞いた。
――CREという言葉自体が、まだ日本ではほとんど知られていないと思います。そもそもCREとは何なのかというところから教えてください。
ユニセフは世界の子どもたちの支援活動に携わっている国連の組織ですが、日本ではどちらかというと発展途上国や紛争地域の子どもたちに向けた活動をしているイメージが強いかもしれません。しかし、ユニセフが対象としているのは先進国も含む「全ての」子どもたちです。特に1989年に国連で子どもの権利条約が採択されて以降、全ての子どもの権利の実現と、子どもの権利を守っていくことがその使命となっています。
そんな中で、CREは15年ほど前に英国で始まり、欧州で広がっていった取り組みです。英国では認証方式によるCREを展開しており、子どもの権利がどれくらい守られているかによって学校に称号が与えられます。まず学校がCREへの参加を表明すると、最初はブロンズからスタートし、外部評価で活動成果が認められると徐々にシルバー、ゴールドへと上がっていく仕組みになっています。
CREは「権利としての学び」「権利についての学び」「権利を通しての学び」「権利のための学び」の4つの側面で構成されています。
「権利としての学び」は、教育の権利の保障で、これは日本では実現できているように見えますが、例えば障害のある子や不登校の子ども、外国籍の子どもなど、全ての子どもの学びへのアクセスという視点で考えていく必要があります。
「権利についての学び」は子どもの権利条約や子どもの権利について、学校の授業などを通じて理解することです。先生も子どもたちも共に学ぶことが大切です。
そして、少し分かりにくい言葉ですが「権利を通しての学び」もとても重要で、子どもの権利が学校のあらゆる場面で考慮され、子どもの権利が守られる環境をつくるということが凝縮されています。例えば、子どもたちにとって安全な設備が整えられているか、発達障害や学習障害のある子どもたちが適切なサポートを受けながら、その子に合わせた方法で学べる環境になっているか。子どもたちが多様性を認め合う関係性を築き、暴力や差別から守られているか。大人がきちんと子どもたちの意見や思いに耳を傾けることができているかといったことです。
最後の「権利のための学び」では、子どもの権利について学び、権利が保障された環境で育った子どもたちが、自らの権利を享受するとともに、今度は他者に目を向けて、他者の権利のために行動する力を養うことを目指します。
さまざまな学校の教育活動とこの4つの側面は、枝葉のように関連付けられ、学校を子どもの権利を実践し、守っていく大きな木として捉えているのがCREです。
――CREが日本で始まったのは、何がきっかけだったのでしょうか。
日本では3年ほど前からCREを始めていますが、英国のような仕組みを日本で導入するのは難しいので、まず一つは「権利についての学び」に力を入れています。なぜかと言えば、やはり日本では子どもの権利についての理解がまだまだ進んでいないということが背景にあります。
それでも、CREを日本で本格的に始めようと私たちが考えるきっかけになったのが、ユニセフのイノチェンティ研究所が2020年に出した報告書『レポートカード16』でした。その報告書では先進国の子どもの幸福度を「身体的健康」と「精神的幸福度」、「スキル」の3分野で比較しているのですが、日本は「身体的健康」が1位だったにもかかわらず、「精神的幸福度」は37位だったのです。「スキル」は27位だったのですが、これも学力的スキルは上位だった一方で、「すぐに友達ができる」という社会的スキルは下位であるなど、日本の子どもの歪な状態が浮き彫りになりました。
それまでは、子どもの権利が社会に知られておらず、抵抗感すら残っている日本でCREを始めるのには慎重だったのですが、この結果を前に、全ての子どもの権利を実現していくのがユニセフの使命である以上、日本でもCREを推進しなければという方針になりました。それと軌を一にするかのように、政府でもこども家庭庁を創設する機運が高まり、こども基本法が成立しました。これらの進展は私たちがCREを日本国内で展開する上で大きな励みでもありますし、インセンティブにもなっています。
――日本ではどのような形でCREに取り組んでいるのでしょうか。
CREを始める第一歩として私たちが具体的に提案している実践の一つに、「学級目標づくり」があります。日本では多くの学級で4月の初めに学級目標を考えると思うのですが、その際に子どもの権利条約の各条文に規定されている子どもの権利についてカード教材などで学び、その上で自分たちのクラスの学級目標を考えてもらうのです。
実際にこの実践をやってもらった学校の先生からは「条約の28条の教育を受ける権利や29条の教育の目的を知ったことで、子どもたちの学習意欲が高まり、主体的に学ぶようになった」「個性の強い子が多く、それが衝突の原因になっていたクラスが、お互いの個性を尊重して、多様な個性を生かしていくクラスになった」などの声が寄せられています。
道徳やSDGs(持続可能な開発目標)をはじめ、各教科の学びとの相性もいいそうです。この学級目標づくりで最初に子どもの権利条約について子どもたちに教えると、「うれしかった」「安心した」という言葉がよく返ってきます。自分に権利があるということを知って、もっと自分のことを大切にしたい、他者の権利を大切にしたいと考えるようです。学年が上がると、さらに世界の子どもたちの権利が守られているか、ということにまで視野が広がります。
こうした子どもたちの思いは、自己肯定感の土台になるものです。
文部科学省は今、子どものウェルビーイングの向上を掲げていますが、子どもの権利が守られている環境を整えることは、子どもたちのウェルビーイングに直結するのではないでしょうか。いずれ、学習指導要領に子どもの権利が位置付けられたり、大学の教職課程で教員志望の学生が学んだりするようになれば、CREももっと注目されるのではないかという期待もありますが、日本ユニセフ協会としては、CREの取り組みを地道に広げていこうと思っています。
――日本の教員自身は、子どもの権利についてどう捉えているのでしょうか。
CREや子どもの権利をテーマにした研修会をやってほしいという要望をいただくことは徐々に増えてきました。研修を受けた先生からは「子どもの権利を教育のバックボーンにしていくというのが、いかに大切なことかが分かった」「CREを自分たちの学校の教育環境に生かしていきたい」などの、ポジティブな反応をいただいています。
研修に参加している先生方に、子どもの権利のカード教材を渡して、カードを見ながら学校で十分に守られていない権利について話し合ってもらうと、とても議論が盛り上がります。ある先生は「宿題をやってこない子どもには休み時間にやらせるようにしていたが、それは31条の休み、遊ぶ権利を奪っていたのかもしれない」と振り返っていました。悩ましいですが、大事なのは子ども自身とも対話すること、やってこなかった宿題の対応を子ども自身も考えることではないかと思います。そのような過程で、責任感や主体性も育っていくのではないでしょうか。
日本では学校だけでなく社会も含めて、権利と義務が対になっていると認識されていることが多いかもしれません。権利は、あたかも義務を果たした上での条件付きのものであるかのように捉えられているのです。もちろん、子どもにも責任ややるべきことなどはありますが、人権は全ての人に無条件にあるものです。
実は、「学級目標づくり」の最初の子どもの権利について学ぶ授業では、導入で子どもの権利の前に人権について話します。人権は子どもも大人も全ての人が持っているものだということを、みんなに気付いてほしいと思うからです。教師と子どもという関係の前に、一人の人間同士として、まずはお互いを尊重する姿勢を持ってほしいのです。
子どもの権利とは、子どもたちが身も心も健全に育ち、可能性を伸ばすために必要なことなのです。そう考えると、もともと先生たちが目指しているものと一致するのではないでしょうか。
また、子どもの権利条約の各条文について、忙しい先生方に一つ一つ覚えてほしいと必ずしも思ってはいません。でも、「生命、生存および発達に対する権利」「子どもの意見の尊重」「子どもの最善の利益」「差別の禁止」という、子どもの権利条約の4つの基本原則は心に留めて、子どもたちと向き合っていただきたいと思います。子どものことを考えるときには常に忘れずにいてほしい原則であり、これらを守ることは、子どもたちが心も体も健やかに育つために必須だからです。
日本ユニセフ協会では3月まで、子どもの権利に関するパイロット調査の参加校を募集しています。学校の中での子どもの権利について12項目の質問に絞って、ウェブアンケートで先生と子どもたちに答えてもらうものです。このアンケートを通して、各学校が子どもの権利の視点から日々の教育活動を振り返ってもらう機会になればと思っています。
実は日本の学校は、通常の授業の他に学校行事なども多く、学力だけではない、協調性や多様性も含めたさまざまな大切なことを学んでいます。教師も教科指導だけでなく、生活面を含め子どもたちのあらゆる面をサポートしています。これは子どもの権利の面から見ても素晴らしいことですが、あまりにも多くのことを学校で抱え込み過ぎて、教師や子どもの負担が大きくなってしまっている側面もあるかもしれません。また、協調する力を育むことはとても大切だと思いますが、協調性を求められ過ぎるあまり、同調圧力に苦しめられてしまうこともあるかもしれません。
だからこそ、本当に今の学校の実態が、全ての子どもたちにとって、安全で安心して学べる環境になっているのか。子どもたちが健やかに育ち、可能性を伸ばすことのできる環境が整っているのか。子どもの権利を基に、今の学校を見つめ直してみませんか。
【プロフィール】
池田礼子(いけだ・れいこ)
慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、ジュネーブ国際問題研究大学院(Graduate Institute of International Studies in Geneva)にて国際関係学の修士号を取得。UNICEF、UNHCRおよび国連本部にて、開発協力、人道支援、アドボカシー活動などに携わる。現在は、(公財)日本ユニセフ協会にて主に「子どもの権利を大切にする教育(Child Rights Education(CRE)」事業を担当。