能登半島地震で被災した児童生徒の学校への受け入れについて、阪神・淡路大震災や東日本大震災で被災した児童生徒を受け入れた学校の教育実践記録を調べてきた研究者たちが提案をまとめ、2月29日に公表した。「阪神・淡路大震災や東日本大震災では、いずれも受け入れ先は47都道府県全てに及んだ。能登半島地震でも同じことが起きているとみるべきだ」と指摘し、被災した児童生徒の受け入れは全国の学校にとって共通の課題だと強調した。
提案をまとめたのは、大森直樹・東京学芸大学教授、大橋保明・名古屋外国語大学教授、中丸和・日本学術振興会特別研究員の研究グループ。3人によると、災害によって被災前とは別の学校(受け入れ校)で教育を受けた児童生徒は、1995年1月に発生した阪神・淡路大震災で最大2万6341人、2011年3月の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故では最大2万5751人おり、いずれの災害でも受け入れ校は全て都道府県に広がっていた。こうした学校での教育活動を「受け入れ教育」と呼び、実践記録を調べてきた。
研究グループは能登半島地震の受け入れ校が参考にできる実践例を①安心な出会いを準備する②故郷のことを普通に話せる教室を作る③転入してきた子供のつぶやきと表情から学ぶ――などの観点で紹介した。①としては、いつ被災した児童生徒が転入してきてもいいように、あらかじめ受け入れ教育の在り方を考えておくことを挙げた。
②の事例としては、福島県から東京都内の小学校に転入した5年生の家庭訪問で教員が「福島での生活を教えてください」と言い、クラスの子供たちが福島の自然や文化の豊かさを知るようになった結果、転入した子供が6年生になったときには故郷のことを普通に話せる教室になっていたケースを紹介。兵庫県では、岩手県と福島県の「いかにんじん」という郷土料理を給食のメニューに加え、子供たちと教職員が東北の文化を知ることで、転入した子供が故郷の文化について自然に話せる環境を作っていた学校もあった。
大森教授は「被災して受け入れ校に転入した子供は、自分だけ故郷を離れてしまったことに罪悪感を持つことが多い。子供たちの言葉にはさまざまな喪失感もあるし、その苦しさを共有してもらえない孤独感も記されている。それを受け止めていく教育をすることが一番大きな課題になっていると思う」と述べた。
東日本大震災の発生時、福島県の大学教員として自身も被災した経験を持つという大橋教授は「学校の教員にとって転入生の受け入れは今までもやってきていること。だが、被災した子供の場合には、そこに苦しさを持っていることを教員は自覚してほしい。(東京電力福島第一原発事故では)『原発いじめ』という言葉があって、出身元を隠さなければ行けなくて、何回も転校を繰り返した子供もいた。教員はそうした子供の状況を分からなかったのが現実だったかもしれないが、子供たちみんなにとって良い学校にしてほしい」と訴えた。
中丸研究員は、能登半島地震で被災した石川県で1月7日から子供の支援活動を続けている実体験を踏まえ、「学校現場の教員や行政担当者、保護者の話を聞いてきたが、子供や教員がいかなる課題に直面しているのか、まだ分からないことが多い。だが、学校現場の教員が困ったときに参照できる考え方や実践はこれまでの研究によって蓄積されている。特に『受け入れ教育』は、被災した石川県のみの問題ではなく、全国の学校にも共有し、当事者として考えるべきことに踏み込んだ考え方であり、それを発信することはとても重要だと考えている」と語った。