「主体的・対話的で深い学び」の3つのポイント(奈須正裕)

「主体的・対話的で深い学び」の3つのポイント(奈須正裕)
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資質・能力を育むために必要な学びの在り方

 学力論が資質・能力を基盤としたものへと拡張されるのに伴い、授業づくりの在り方にも変化が求められる。その基本的な考え方を表したのが「主体的・対話的で深い学び」の実現である。2016年12月21日の中教審答申(以下、答申)では、次のように説明されていた。

 「『主体的・対話的で深い学び』の実現とは、特定の指導方法のことでも、学校教育における教員の意図性を否定することでもない。人間の生涯にわたって続く『学び』という営みの本質を捉えながら、教員が教えることにしっかりと関わり、子供たちに求められる資質・能力を育むために必要な学びの在り方を絶え間なく考え、授業の工夫・改善を重ねていくことである」(49㌻)。

 この記述から、3つの重要なポイントが浮かび上がってくる。

 その第1は、主体的・対話的で深い学びとは、「子供たちに求められる資質・能力を育むために必要な学びの在り方」だということである。

 主体的・対話的で深い学びとは、教師の教授行為ではなく、子どもの側に生じる学びの質を指し示す概念である。教師が対話的な活動を指示すれば、子どもたちは対話を行いはするが、そこでどのような質の対話的な学びが生じるかは、また別の問題なのである。

 残念ながら現状では、主体的な学び、対話的な学び、深い学びを3つの独立した要素と解釈し、しかもそれぞれに対応した場面や活動を学習指導案上に形式的に設定することでよしとするなどの動きも散見される。個々人に選択を委ねることで主体的な学び、対話的な活動の場面を5分間設けることで対話的な学び、振り返りの場面の設定をもって深い学びと称するといった具合である。

 もちろん、個々の工夫それ自体は必ずしも無効ではないだろう。しかし、それらが子どもの有能さをどのような筋道で、どのように高めると見込んでいるのか。そのことをしっかりと考え、明らかにする必要がある。

創意工夫に基づく指導方法の不断の見直しと「授業研究」

 第2は、主体的・対話的で深い学びの実現とは、上記の「必要な学びの在り方を絶え間なく考え、授業の工夫・改善を重ねていくこと」であり、「特定の指導方法」を唯一絶対のものとして固定的に指し示したりはしないということである。

 ここで大切になってくるのが、学校と教師の「創意工夫に基づく指導方法の不断の見直し」(答申48㌻)である。注目すべきは、それがわが国の実践的伝統であり「国際的にも高い評価を受けて」いる「授業研究」によって効果的に成し遂げられるとの見解が示されている点であろう(同㌻)。授業の刷新とは、行政や学者からのトップダウンではなく、「教員がお互いの授業を検討しながら学び合い、改善していく『授業研究』」(同㌻)のような場を基盤とし、教師を主体とした絶えざる日常的営みとして進められていくべきなのである。

 そこでは、目の前の子どもの姿を共通のよりどころとし、個々の教師の納得をもって特定の方法が採用されていくことが重要である。また、そのような日常を通してこそ、授業づくりや教育方法の開発を、自律的で創造的に展開できる教師ならびに教師集団の力量を培うことができる。

人間の生涯にわたって続く「学び」という営みの本質

 ポイントの第3は、「人間の生涯にわたって続く『学び』という営みの本質」を捉えることが大切であるとの指摘である。

 裏を返せば、これは従来の授業づくりが十分に「学び」という営みの本質を捉えていなかったことを示唆している。実際、心理学や学習科学など「学び」に関する近年の研究は、少なくとも以下の3点について、私たちが授業づくりの基盤として無自覚に抱いてきた「学び」の観念とは大いに異なる事実を数多く見いだしてきた。

 (1)子どもは豊かな既有知識を携えて学びの場に臨んでいる。

 (2)学びは常に具体的な文脈や状況の中で生じている。

 (3)学びの意味を自覚し、さらに整理・統合する必要がある。

 従って、これらを踏まえることが、主体的・対話的で深い学びの実現には不可欠である。次回以降、具体的な子どもの姿や授業の景色に即して考えていきたい。

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