「公立学校の教員として、自分が働く学校が選べないんですか…? そんな制度だったら、自分が教員になるかどうかはちょっと分からないですね…」
オランダの教員養成課程に所属する3人の学生から依頼を受けて、日本の公立教員における専門性の向上について話をしたことがあった。「日本の公立学校の先生たちはどのようにして専門性を発揮するのか」。その質問に対して私たちは、教員養成や公立教員の人事制度にまで掘り下げて、互いに話をした。
その時、学生たちから発せられたのが冒頭の言葉だった。私は驚いた。なぜなら学生である彼らが「日本は本当にその人事制度を通して、教職に携わる人々の暮らしが豊かになると考え、その結果、国全体の教育が発展し、未来の市民を育てられると考えているのか?」と、日本で長い間「当たり前」とされている教員養成や、教育公務員と呼ばれる人たちの教職員人事の在り方に食い付いてきたからだ。
しかも彼らいわく、教育に関わる人間が働く学校を選べるのは、オランダに限ったことではないと言う。かつて大阪府で公立高校の教諭として勤務していた私たち夫婦は、教育公務員と呼ばれるかつての自分たちを取り巻いていた人事制度が、あまりにも不自由だったということに気付かされることになる。
話をさかのぼろう。1917年、つまり今から100年以上も前に、オランダでは「設立の自由」「理念の自由」「方法の自由」が憲法23条を通して教育に認められ、現在も一部の特別な私立を除いて、公立私立問わず広く「公教育」と呼ばれている。現地校に子どもが通い始めて5年目の保護者としては、一般的なオランダの人々の多くが「教育は無償のものである」と捉えており、同時に「公教育で十分」という考えからも、公教育に対する信頼がうかがえる。
一方で、そのように感じることができる要素の一つとして、オランダに学区制が存在しないことが挙げられるだろう。この国では子どもが初等教育(4歳から入学可、5歳から義務教育)を迎えるにあたり、保護者は「子どもが通う学校」を選択し、希望する学校に申し込む。学校の定員によっては希望がかなわないこともあるが、「学校が選べる」という自由と、「自ら選択した」という責任を彼らに同時に与えていることは明白だ。そしてその「学校」は、教育活動を行う教職員にとっても選べる場所なのである。
私自身、現在はオランダの現地校で英語教員として勤務している。個人的な経験を話せば、勤務先の学校を探すためには講師登録も必要なかった。「TTO(Tweetalig onderwijs)」と呼ばれる「オランダ語+英語」の2カ国語教育に力を入れる学校を勤務先として選んだのは、教育史の中でも「成功」と称されたオランダのバイリンガル教育に多大なる興味を抱いていたからだ。
必要書類を添え、自分の興味関心や強みを表現したメールを校長に直接送ったことで返信があり、面接の機会を得た。後日の面接の中で、彼女は私の過去の経験ではなく「あなたはどんな人間か」ということに焦点を当てて質問をし、彼女自身も今の自分が何を考えて教育に携わっているかを語ってくれた。また、後に勤務先となるこの学校がどのようなビジョンを持ち、私がそのビジョンについてどう思うかを深く問うてくれたように思う。
幸運にも校長は私を気に入ってくれたようで、VOG(無犯罪証明書)を発行して勤務が始まったが、最初に彼女が発したのは「急激に何かを始めるのではなく、ゆっくりなじんで欲しいの」という言葉だった。
新しい組織に入る時、周囲や自分自身が劇的な変化を期待すると、それがショックになり得ると彼女は繰り返した。「菜央がこのチームに合うかどうか、ゆっくり見極めてね」と彼女は笑顔で続けた。それはつまり「合わない場合は去る選択もあるが、私の仕事はあなたがここで働きたいと思えるような環境を作ることだ」ということを意味していたように思う。
「教職員が自ら勤務先を選べる状況において、管理職に求められるのは、与えられた予算の中で魅力的な学校作りを行う能力。それは決して児童生徒に対する意味合いだけではなく、教職員にとって働きやすいチームを作れるかどうかによるのよ。菜央は今のチームに満足している? 自分たちのチームで改善したいことがあれば、あなたもまたチームにとって、心地よい場所を作る構成員だということを忘れないで欲しいの」
ほほ笑むみながらそう話す私の勤務先の校長。そしてどうやら、そう考えているのは彼女だけではなさそうだった。そうでなければ、2023年度に出されたオランダの小学校で働く教職員にまつわる、次のような興味深いデータは上がってこなかっただろう。
教員の労働市場に関して調べている「アアバイズマルクトプラットフォーム ポー(Arbeidsmarktplatform PO)」の調査結果によると、オランダの初等教育においての教員不足は深刻で、特に管理職の人員不足が著しい。国内レベルで見ると、教育を巡る課題は山積していると言える。しかし一方で、現職の教職員に対して仕事の満足度について尋ねたところ、その回答は非常にポジティブなものが多いことが分かった。
例えば▽仕事に(非常に)満足している 84%▽組織の中で自立した存在として仕事ができている 92%▽自分以外の教職員とよく協働できている 88%▽肉体的に満たされた状態で仕事ができている 94%――などが挙げられる。一方で▽給与に満足している 42%▽仕事量に満足している 45%――など、教職という職業に対して政府や社会が必要以上の要求をしていることや、職業的価値を正当に評価していないことに不満を感じていることが分かる。
また、雇用適性に関する回答としては▽今の雇用主(学校団体)で自分に適した役職が見つけられる 61%▽別の雇用主(学校団体)で自分に適した役職が見つけられる 87%――と回答している。
この結果から言えることは、彼らは自分で自分が働く場所を選ぶことができると感じていることだ。仮に今の職場では、教員としての資質や能力を開花させられなかったとしても、それが可能であると判断できる場所を求めながら、教員として働き続けられると考えているということだ。さらに言えば、前述した初等教育における教職員の仕事に対する満足度は、「自分で選べる」というところが発端となっているのかもしれない。
日本の新年度を迎えた4月、私はSNSに「日本の教育公務員における人事異動について思うこと」というタイトルを付けて投稿をした。すると想像以上の反響があり、私が主催するオランダ学校視察ツアーのかつての参加者や、現職の教職員からたくさんのメッセージをいただくことになった。そこには「自分の意思や希望が全く反映されていない人事異動に落胆を隠せない」というものも多く見られた。
今、日本の公教育に教職員として携わる人たちは、自分がまるで「駒」のように扱われていると感じているのかもしれない。社会で「子どもたちに主体性を」と叫ばれる中で、教育活動を通してそれを伝えるべき公立校教員が、「自分が働く場所」さえも選ぶことができないことに不満を感じ、憤りを感じているのかもしれない。
与えられた箱の中でやりくりすることを望んでいるのは誰なのか。その箱の中の存在の多くがそれを望んでいないのであれば、それはシステム自体がエラーをきたしているということではないだろうか。
【プロフィール】
三島菜央(みしま・なお) オランダ在住、元公立高校英語教諭。教員としてのキャリアと子育ての両立に苦労する中で「世界一子どもが幸福な国」で教育と社会がどのように関わり合っているのかに興味を持ち、2019年に家族でオランダへ移住。現地小学校で英語教員として働きながら、教育関係者向けの学校視察ツアーのコーディネートなどを行う。視察やインタビュー、ボランティア活動を通して見えるオランダの社会と教育について発信中。