政府の2025年度予算編成方針となる「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」が閣議決定され、公立学校に勤める教員の月給に上乗せ支給されている教職調整額の水準について現行の4%から10%以上への引き上げが必要とした中教審の提言(審議まとめ)を踏まえ、「教師の処遇を抜本的に改善する」ことが明記された。およそ半世紀ぶりとなる教員の待遇改善について、元文科副大臣の鈴木寛東大教授・慶大特任教授に聞いた。鈴木氏は「国民の理解が深まった」と評価する一方、「学校現場を支える総人件費の抜本拡充という点では、国民的な支持が盛り上がるまでには至らなかった。これでは教員を十分には増やせないし、教員の質を高める研修に十分な環境を確保することもできない。公立学校のじり貧は止まらないことになる」と指摘した。2回に分けて掲載する。
--文部科学省によると、教員の給与水準は1980年度時点で一般公務員よりも7.42%高かったけれども、その後、一般公務員の処遇改善や行財政改革が行われ、現在は優遇分がほとんどなくなっています。今回、教職調整額が10%以上に引き上げられると、教員の給与水準は一般公務員に比べて再び7%程度優遇されることになるとみられています。
この議論が起こる前に比べれば、教員の置かれている現状と制度について「教員は大変なんだ」「時間外勤務に見合った手当が支払われていないんだ」ということを、より多くの人が知るようになりました。国民の理解が深まり、一定の改善となる結論を見たことは良かったと思います。
しかしながら、財政当局はいまも「文科省予算の範囲内でやりくりしろ」という姿勢にみえます。従前から私が申し上げてきた総人件費の抜本拡充という点でみると、国民的な支持が盛り上がるまでには至りませんでした。少子化対策のように「異次元」になっているかというと、「異次元の教育政策」にはなっていません。
教職調整額の引き上げはもちろん大事なのですけれども、総人件費を拡充しないまま、それを優先してしまうと、教員の定数増が後回しになってしまう。そうすると、学校現場の教員が増えないので、教員の労働時間は減らない。処遇も働き方も両方合わせて改善しないといけません。今後大切になってくる教育の質の向上は、研修に教員が時間を十分な時間を割けるかどうかがポイントとなります。これは研修期間中の代替要員となる教員の人数確保に大きく左右されるので、そこも進まないことになります。
--今回の制度改革は、抜本的な改革とは言えないという評価ですか。
「児童生徒の満足」(Student satisfaction)と、「教員の満足」(Teacher satisfaction)と、「納税者の満足」(Taxpayer satisfaction)の三者は、トレードオフな関係です。今まで「教員の満足」をあまりにも軽視してきたために三者のバランスが失われ、エコシステムが崩壊し危機に陥っています。それが今回の制度改革によって、少し持ち直したということです。
今回の措置によって止血はなされましたが、健康体になっていくためには、今回のことで気を抜いてはいけない。健全なエコシステムになっていけるかどうかは、まさにこれからの議論、さらなる納税者の理解の増進にかかっています。
結局のところ、教員の総人件費が足りないのです。総人件費が確保されれば当然、教員を増やせるし、教職調整額ももっと増やせる。場合によれば、時間外勤務に対する手当化もできる。教員が増えれば、研修にあてる時間も増やせるし、あるいは研修で学校を離れる教員の代替要員を確保する手当にも使えるわけです。
だから、教員の総人件費を増やす議論を続けなければなりません。
--逆説的にうかがいますが、今回、教員の総人件費を抜本的に増やす議論にまで広がらなかったのは、なぜだと考えますか。
今回の議論を見ていて思ったことは、前から言っている話ですけれども、社会全体から見ると、教育は子供を育てている2割の家庭の問題になってしまっているということです。国民の8割は教育問題に対して、あまり関心を持っていない。普通なことをやっていたのでは、教育に対する投資を増やさなければいけないという議論にはならないのだと改めて認識しました。
国民・納税者の支持が得られないわけですから、教員の総人件費の抜本拡充は、非常に難しいと言わざるを得ません。その中で、文科省はよく頑張ったと思います。一方で、少子化が加速する中で学級数が減れば、義務標準法の規定で教職員定数は自然減となっていきます。
--骨太の方針では、24年度から3年間を「集中改革期間」と位置付け、25年度には給特法改正による教職調整額の引き上げのほかにも、小学校高学年の教科担任制を拡大することを盛り込みました。26年度には小学校で進めてきた35人学級を、中学校にも年次進行で適用することも検討されそうです。
そうした施策を次々と打ち出すことで、教職員定数の自然減の部分をとにかく戻して、総数をキープし続け、教員の総人件費をなるべく減らさないことが文科省の現実的な戦略になっているわけです。国民の十分な支持が得られない中では、毎年の予算編成でそこを頑張り続けるしかない。その点において文科省はとても頑張っています。
ただし、この繰り返しを続ける限り、公立学校のじり貧は止まりません。
--公立学校の教員を抜本的に増やしていくために、義務標準法で教職員定数の基礎定数の算定に使われる係数の「乗ずる数」を引き上げるべきだという見方もありますが、中教審特別部会の審議まとめではそうした議論があることをテイクノート(明記)した上で、「検討を深めることが望ましい」として実質的な議論は先送りしました。
その議論を深められないのは、中教審特別部会がいくら言ったところで、なかなか実現が難しい話だからでしょう。それでもテイクノートは大事なことです。もしも世の中の風が変わり、教育に追い風が来るときには、それに乗れるようにしておきましょうということです。でも、国民の支持が広がらないことを考えると、国政レベルではなかなか実現は難しいと思います。
--一連の議論では、教員の時間外勤務に対して、一定の教職調整額を支払う現行の仕組みを改め、労働基準法にのっとって手当を支給するべきだという意見も強く出されました。ただ、自民党特命委員会や中教審特別部会はそうした時間外手当の支給を求める意見を退け、その流れを受けて政府が予算編成方針として骨太の方針を閣議決定した形になっています。
今回の決着はやっぱり財政の枠組みの縛りありきだったということです。教員の時間外勤務を手当化しようと思うと、予算額を固定できなくなる。それに対して、教職調整額の枠組みを堅持すれば、教職員定員を決め、そこに教職調整額を掛ければ人件費総額が決まります。年初の予算編成時に人件費総額の上限を確定できる仕組みです。
でも、実績ベースの時間外手当を支払う制度を導入したとたんに、人件費総額が年度末まで分からなくなります。教員の時間外勤務に応じて、補正予算を毎年組み続けなければならなくなる。あるいは補正予算が組めなかった場合には、年度末の2月や3月には不払いが生じる。こうした制度的難問を抱えています。時間外勤務の手当は、国、都道府県、市区町村が3分の1ずつ負担しますから、それぞれの自治体の財政事情も絡んできます。
だから、財政当局を含めて議論はしたけれども、教職調整額のスキームを崩すことは、やっぱり不可能だった。結局のところ、教職調整額を残すか残さないかについては、結論ありきの議論でした。このため、教員給与の上乗せ分を現行の4%からいくらまで上げるのかという攻防になった。こうした構図の中で、教職調整額を「10%以上」に引き上げることを勝ち取った文科大臣をはじめ、関係者の努力は高く評価されていいと思います。
ただ、もう一段大きく見て、この構造をどう考えるのかも議論を深めるべきです。問題は義務教育費の国庫負担制度にも及んできます。
一般地方公務員は、教員と違って、国庫負担制度にはなっていませんので、地方自治体が基本的に決めることができます。しかし、一般公務員の場合、自治体の財政負担能力に違いがあるために都会と地方の給与格差が広がるばかりです。この方式を教員にも適用すると、財政力のない地方自治体は教員給与を下げざるを得ず、ますます教員確保ができなくなります。こうした事態を避けるため、国庫負担制度は残すべきです。しかしながら、そうなると人件費総額をあらかじめおおむね確定させておかねばならないので、教職調整額制度を維持せざるを得ないこととなります。なかなか、悩ましい議論なのです。
このあたりを踏まえずに、時間外勤務の手当化ができなかったことだけをただ批判する報道もありました。だからこそ、もっと関係者間でしっかり議論し、トレードオフの構造をきちんと理解しないといけないのです。
同時に、今回の議論が技術的な議論に終始し過ぎたことも気になっています。これは教員だけではなく、一般公務員も含めた問題ですけれども、世の中の若い人たちの「公務員離れ」、中堅教員の中途退職に歯止めをかけることが相当難しくなってきています。結局、日本国民は、公務員に対してその苦労に見合った、あるいは能力に見合った待遇をする国民ではもはやないことが、今回、改めて分かってしまいました。
その結果として優秀な人材が民間に流れ、公務の衰退や脆弱(ぜいじゃく)化が止まらない。公務員を大事にしないと、公務の質が下がります。行政サービスが弱くなり、格差が広がる。こうした流れになっても富裕層は困らない。富裕層は子どもを私立学校や塾に託せばいいからです。この循環で本当にいいのか、国民みんなが教員を含めた公務員にどのようなまなざしを送るのかが問われています。このままでは、教員を含めて公務員の士気は下がるばかりです。行革をやり過ぎた政治家、それをあおったマスコミ、それを支持し続けた納税者、これらの長年のツケが回ってきているのです。この社会の構造自体を議論しないといけません。
公立学校の教員に優秀な人材を確保し続けるために、どうするべきなのか。出口のない難しい話であることが改めて明らかになったと言えるでしょう。
(次回に続く)