「忘れ物をしたら学習に参加させない」の是非を問う(庄子寛之)

「忘れ物をしたら学習に参加させない」の是非を問う(庄子寛之)
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体育帽子を忘れたら授業を見学させる?

 皆さんの学校では、体育の際に体育帽子を忘れたら、授業に参加することができるだろうか。私が所属していた学校では、体育着を忘れた時はもちろんのこと、体育帽子を忘れた場合も授業に参加することはできなかった。体育着を忘れたのに体育の授業に参加させてしまえば、次も忘れてしまうかもしれない。「やりたいのにやれない」という経験を通して、この子が忘れ物をしないように教育している、という理由で見学させていた。

 若い教員だった私にとって、それは当たり前で、疑う余地もなかった。しかし、本当にそれでよいのだろうか。子供たちが本当に学ぶべきことは、単に忘れ物をしないという習慣だけなのだろうか。もっと大切な学びの機会を奪っているかもしれないと考え直す必要があるのではないか。

算数の教科書を忘れても「見学」にはならない矛盾

 では、別の教科について考えてみよう。例えば算数の教科書を忘れた場合、「あなたは算数の教科書を忘れたから、今日の算数は受けられないね。廊下から見て勉強してね」とはならない。そんなことをすれば、体罰として問題視されるだろう。この点については、多くの人が当たり前だと思うはずだ。

 しかし、これは非常に不自然なことである。体育の帽子を忘れただけで、体育の授業はできないのに、算数の教科書を忘れても算数の授業は受けられる。この矛盾は、私たちが無意識に持っている偏見に基づいているのかもしれない。体育は楽しいものだから忘れ物をしたらやらせない、算数は楽しいものではないから忘れ物をしてもやらせる。体育は遊びで、算数はつらいもの。このような考えが根底にあるのではないだろうか。そうであれば、大きな勘違いである。

プールの健康観察表のはんこ忘れ問題

 現在、水泳学習の時期である。家庭で体温を測り、保護者が健康観察表に「参加」のはんこを押していなければプールに参加させない、というルールがある学校も多いのではないか。私が勤めた3校でもそうだったし、今も多くの学校が同様のルールを持っている。しかし、体調不良などの理由ではなく、はんこを忘れただけで水泳学習ができないことが、本当に良いのだろうか。

 保護者の許可がなければ入らせられないという気持ちは、理解はできる。何かあった時、はんこを忘れたのに入らせた学校が責任を問われることは考えられなくもない。しかし、本当にそんなことがあるのだろうか。

 前提にはんこがあろうがなかろうが、水難事故は起こしてはならない。はんこがない子は保健室で体温を測り、問題なければ入らせるようにする。また、そもそもはんこという文化に依存せず、メールで許可を取れるようにする、もしくは入らせない場合のみ保護者が連絡するようにすれば、担任の負担も減るだろう。

「罰で忘れ物をなくさせる」という考えを捨てる

 年間の水泳学習の回数はそう多くない。天気のことも考えたら、数回しか入れないことも予想される。また最近では暑過ぎても入れない。寒くても暑くても入れない水泳学習は、1回1回が非常に大切である。体調不良などがないのであれば、できる限り入らせてあげるべきだ。

 水泳学習で保護者のはんこを忘れてプールに入れない子や、通常体育で帽子がないから授業に入れない子は、どう思うのだろうか。「ぼくが悪いから、次回から必ず持ってこよう」と思う子もいるかもしれないが、ほとんどの子が「先生はやらせてくれなかった」という思いを持つだろう。こうした経験は、担任や学校への不信感につながることが多い。罰を与えることで忘れ物をなくそうとする考え方は、現代の教育においては見直すべきである。

 大人だって忘れ物をする。忘れ物をしたからといって、会社の仕事をしなくていいということはないし、その日の仕事が倍になるような罰を与えられることもない。学校だけが、まだまだ古い考えで行われている。そのことを自覚すべきだ。

 不登校は急激に増えている。教員になりたい若者は減っている。「学校は昔からこういうものだ」ではなく、社会の変化に合わせた柔軟な姿勢をとるべきだ。子供たちが将来の社会でどのようなスキルや経験を必要とするのかを考え、それに応じた教育を提供することが求められている。

子供たちに本当に必要な学校文化、夏休みを機に対話を

 子供たちが大人になった社会がどうなるのかを考えながら、学校文化を作るべきである。私は最近、鉛筆もノートも持っていない。パソコンさえ持っていけば、忘れ物はないのだ。パソコンに全ての情報が入っているからだ。スマホがあれば、現金もほとんど必要ない。家の鍵もスマホで管理できる。時々、充電器を忘れて困る程度である。

 そんな時代において、子供や保護者が準備しなければならないものが多過ぎる。各教科の教科書、ノート、漢字ドリル、計算ドリル、体育着、ハンカチ、ランチョンマットなど、多くの持ち物を管理するのは大変であり、一つくらい忘れてしまうのは当たり前であるという意識を持つべきだ。忘れたことではなく、ちゃんと持ってきているものに注目して賞賛し、忘れたものは「次は頑張ろう」と、その子に寄り添って、忘れないようにするにはどうすべきかを考えるべきだ。

 その時に、罰で忘れ物をなくそうなどと考えてはいけない。時代遅れも甚だしい。皆さんの勤めている学校では、必要性の薄いルールはないだろうか。この夏休みに見つめ直し、夏休み明けに話し合うきっかけにしてみてはどうだろうか。

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