インドを取材中の知人のジャーナリストから、今のインドは20年前の中国に似ているという連絡があった。このジャーナリストは中国を専門としており、中国事情に精通している。急激な経済成長は、変化に対応できないさまざまな問題を引き起こす。特に教育問題が深刻である。中国は高度成長の時代に急激に大学を設立した。現在の中国の最大の問題は大卒者の失業である。中国政府は若者の失業率の発表を中止したので、その実態は分からないが、若者の失業率は30%を優に超えていると言われている。
インドも同じような状況が見られる。中東のメディア『アルジャジーラ』は5月15日に、「India’s silent youth crisis: College-educated but poor than a farm land (インドの静かな若者の危機:大学教育を受けたが、農業労働者より貧しい)」という記事を掲載した。同記事によると、若者の失業者の3分の2は大学教育を受けているという。
2014年にナレンドラ・モディ首相は、10年間に2億5000万人の雇用を創出すると約束した。しかし「公約」は実現されることはなかった。多くの若者は、成功し、豊かな生活を送るために大学を卒業しなければならないと考えていたが、現実は大学を卒業しても仕事はなかったのだ。
若者の高失業の一因は、学校教育と社会的ニーズの間にギャップがあるからだと言われている。企業が欲しい人材を学校が提供していないという問題である。『India Today』は「インドは若い人口と急成長する経済によって、変革の時代の岐路に立っている。この可能性を最大限に発揮するには、教育、産業、イノベーションを調和させ、明日の課題に備えた熟練した労働力を生み出すことが鍵である」と指摘している(8月15日、「Empowering India’s youth: A unified approach to education, industry, and innovation」)。
インドの人口の60%以上は30歳以下である。人口構成は若年層に偏っている。それは大きな潜在成長率を意味している。それを実現するためには、同記事は「教育と産業のニーズを組み合わせ、学習プロセスにイノベーションを一体化させる必要がある」と指摘している。
「伝統的にインドの教育システムは、幅広い知識をベースにするジェネラリストの教育を重視してきた。その結果、識字率100%が実現した。しかし雇用市場で求められる急速に変化するスキルセットを、十分に考慮してこなかった。学生は業界のニーズにあった実践的なスキルを身に付けることができず、これが教育を受けた若者の高い失業率の原因になっている」と指摘している。そして「高い教育を裏付ける職業訓練が不足している」状況の改善が必要だと説いている。
現在、インドでは「新教育政策2020」を実施しており、その政策の柱は「学習者のキャリアの初期段階での職業教育とスキル開発を強化し、多用途で雇用に有利な労働力を生み出すのを目指す」ことである。同記事は「スキルベースのトレーニングがカリキュラムの不可欠な部分である場合、学生が実践的な経験を積み、現実世界のさまざまな課題に備えるのに役に立つ。この変更は、理論的知識と実際の応用の間の溝を埋めるために必要だ。インドの将来を見据えたスキルアップには、産業界と教育機関の協力が不可欠だ。教育機関と産業界が連携することで、雇用市場の需要を満たす最新のカリキュラムが確保され、産業界のニーズを満たす卒業生を輩出できるようになる」と書いている。
こうした問題意識に基づいて8月に「教育会議2024」が開催され、教育の在り方が議論された(『India Today』、8月9日、「India Today Education Conclave 2024, Reimagining education」)。会議に参加した教育大臣は「能力」「言語」「イノベーション」の3つの分野を重視し、「新しい教育システムは学位中心から能力重視へと移行しつつある。インドはイノベーションの国であり、人材プールは学位のみで判断されるべきではない。スキルに基づいた教育、研究、起業家精神を奨励する必要がある。学位からコンピテンシー(能力)へ移行する文化を創り出さなければならない」と語っている。
日本の文部科学省も、おそらく同様の問題意識を持っているのであろう。大学での実務的なカリキュラムを奨励し、教員に実務経験者を採用するように大学に求めている。
筆者は実務教育の必要性を否定しないが、だからといって一般教養の重要性を軽視すべきではないと思う。15年くらい前、米国のリベラルアーツ教育の現状を取材に行き、MIT(マサチューセッツ工科大学)の教授と話をした。教授はリベラルアーツ教育の重要性を指摘し、「技術は急速に陳腐化する。一生懸命身に付けても、すぐに使えなくなる。最終的に技術の背景にある科学や歴史の知識が重要になってくる」と語った。
職業訓練が必要であるなら、職業学校に行けば良いのであり、職業学校を充実させれば済む話である。「社会的な常識」や「人間形成」が教育の本来の仕事ではないかと思う。