若い世代も積極的に声上げて 寺脇元文科官僚に聞く

若い世代も積極的に声上げて 寺脇元文科官僚に聞く
寺脇研さん=撮影:山田博史
【協賛企画】
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 シリーズ「次期学習指導要領 私の提言」。第4回は、元文部科学省官僚の寺脇研さんに聞く。「ゆとり教育」推進役として知られ、その批判の矢面にも立ってきた寺脇さんは、生涯学習の観点から過去の学習指導要領改訂をめぐる議論を見つめてきた。寺脇さんは、次期改訂に向けて、タブレットの急速な普及など大きな環境変化を踏まえた見直しに加え、高校生などの若い世代がユーザーとして積極的に声を上げていくことが大切だと指摘している。

 ――いわゆる「ゆとり教育」の推進役を果たした寺脇さんは、2002年実施の学習指導要領の考え方が、約20年を経て、2020年実施の指導要領でようやく完全に理解されたと講演などで話されています。どういう意味でしょうか。

 私は学習指導要領の改訂作業に直接携わったことはありませんが、生涯学習の観点から1992年と2002年実施の改訂に関わりました。1987年の臨教審(臨時教育審議会)答申で、これからの日本は生涯学習社会を目指すという国の方針が定められ、生涯学習の考え方を広める担当として取り組む中で「ゆとり教育批判」の矢面にも立つことになりました。

 明治以来、日本の学校教育は国家としてここからここまでは教えるという厳格なスタンダードがあって、児童生徒の「学習」という考え方は全くなく、教員が教え込まなければいけないという意識が続いていました。それが1970年代から80年代に不登校や荒れる学校が問題化して臨教審が作られ、3年がかりの議論を経て、生涯学習の観点に切り替えた瞬間、「学ぶことは無限で、あらゆることを学んでいい」という前提の下、「その中でここまで学習してもらう」という考え方に切り替わったわけです。

 そこで、詰め込み教育を脱して一人一人の個性を重視し、画一的な部分を削ろうと、指導内容を大幅に減らし、小学校低学年では生活科を導入して興味があることに探究できるようにしました。ところが生涯学習の考え方がなかなか理解されず、文科省内ですら「指導内容が3割減ったのだから教科書も3割減らすべきだ」との議論が起きて、「いや、教科書には指導内容を超えて発展的な部分などあってもいいんだ」などと説明に追われました。これでは大きな改訂を2、3回経なければ定着しないと思っていましたが、現在の学習指導要領で「主体的・対話的で深い学び」や探究の充実が明確に打ち出され、2002年度に示した方向性が決定的に位置づけられました。

 ――それほど時間のかかる大きな改革だったわけですね。この途中にいわゆる「ゆとり教育批判」もありました。

 大きな変革ですから時間がかかるのは当然で、すぐ定着するなら誰も苦労しません。明治以来、教員が教え込むという意識が120年続いてきたわけですから。その一方で、生徒の側の多様な学びの欲求がどんどん顕著になったのが1970年代で、自分に合った学びをしたいという声が高まってきました。その結果が生涯学習の考え方への転換だったわけです。

 「脱ゆとり」などの言葉はマスコミが勝手に言った話で、いろいろ批判を受けても文科省は公式にいわゆる「ゆとり教育」を撤回したとは一度も言ったことはありません。第二次安倍政権が強く影響を行使した2011年実施の学習指導要領改訂後、12年のPISA(OECD生徒の学習到達度調査)で日本が1位になったことで「脱ゆとりの成果だ」と騒がれましたが、全く正しくありません。PISAを受けた高校1年生が小学校に入学したのは03年ですから、まさに「ゆとり世代」です。それが成果を生んだのだから決着が付いているわけです。

 ――当時の高校1年生に近い世代では、野球の大谷翔平選手やフィギュアスケートの羽生結弦選手など世界で活躍する人材が多いですね。「ゆとり教育」との関連も考えられますか。

 彼らは天才であり直接関係があるとは思いませんが、例えば羽生さんで言うと、週休2日制になって学校では教えないフィギュアスケートに土曜日も丸々打ち込めたという間接的な影響はあったと言えるかもしれません。大谷さんの野球は学校でできたとしても、日本中の学校にグローブを配ろうなんて発想は、詰め込み教育から生まれただろうかとは思いますね。

 ――現行の学習指導要領の改訂からコロナ禍を経て、GIGAスクール構想など教育を巡る環境は大きく変わりました。次期改訂には何が必要でしょうか。

 まずハード面の変化を取り入れるべきでしょう。タブレットの急速な普及を前提に考えればいいと思います。例えば高校の必修科目に「外国語」がありますが、ほとんどの高校では英語の授業しか行われていません。これから必要となる中国語や韓国語などいろんな言語をやればいいんです。以前は英語の先生しかいなかったから難しかったですが、今はタブレットであらゆる言語を学べます。だから次の学習指導要領で「外国語は何を学んでもいい」と明示したとしてもリアリティがあるわけです。語学に限らず、今まではなかなか学べなかったことがタブレットやAIを通して飛躍的に学べる要素が増えています。

 大きな視点でいうと、AIの時代を迎えてAIにはできない力を子どもたちに身につけさせてほしいと言われていますが、これをどう考えるか。計算ならAIができるし、算数の時間がそれほど大事なのか、今は大事とは思われていない科目が重要な役割を果たすのか、ここは議論が必要です。そうすると明治以来の、国語・算数・理科・社会に外国語が主要科目、という考え方を根本的に変える必要があると思います。ただ、これは根本的な問題であり、文科省が学習指導要領を変えるレベルの話ではありませんが。

 ――これから学習指導要領の改訂に向けた議論が本格化します。議論の進め方についてお考えはありますか。

 高校生など若い人に積極的に声を上げて提言してほしいと思います。選挙権も18歳に引き下げられましたし、文科省も若い人の意見を議論の材料にすることは十分あり得ると思います。今はインターネットもあります。例えば「私は高校でギリシャ語を学びたいのに、なぜ認めてもらえないのか」と声を上げてもいい。臨教審の議論でも、なぜ学校が荒れるのか、なぜこんなに不登校が増えたのかと、声なき声を聴いて生涯学習の考え方に切り替える原動力になりました。若い人というより、ユーザーの知恵も必要なのです。少なくとも学習指導要領は高校3年生以下の人のためにあるものですから。

 ――学校の教育内容が過剰な「カリキュラム・オーバーロード」といわれています。こうした状況を解消する視点から見直しを求める声もありますが、どうお考えですか。

 2020年実施の学習指導要領を改訂する際、当時の文科相が、考え方は02年のものを確立しても内容の分量は一切減らさないと言ったわけですから、それはオーバーロードになるでしょう。だから11年に指導内容を増やした分を減らせばいいと思います。特に小中学校の場合、すべてを教えなければならないとなれば多忙になるでしょう。ただ、それは学習指導要領だけの責任とは思いません。全部教え込むのではなく、必要なことを最低限教えて、あとは個別に合わせてと考えれば、それほどオーバーワークとは思いません。むしろ管理的なことや書類作成、部活動など他の部分で忙しいのではないですか。部活動は見直していいと思います。今ごろになって部活動改革を進めていますが遅きに失していますね。

 それと給特法ができた1971年ごろの調査で、昔の先生の1カ月当たりの残業時間が8時間だったとされていますが、そんなはずはありません。70年ごろまでは先生の宿直もありましたし、授業準備にかけた時間などは残業としてカウントしていないとしか思えません。ただその時代の日本社会には、教師という職業への敬意があり、当時の先生は宿直で地域の人と話したり、日曜日に子どもが訪ねてきたりということを仕事と思わず、苦としていませんでした。つまり先生の仕事が楽しい仕事から、苦しい仕事に変わったことに問題があると思います。

 ――最後に学習指導要領改訂の議論が進んでいく中、現場の教員や教員を志す人にはどう向き合ってほしいとお考えですか。

 2002年実施の学習指導要領で総合的学習や探究の時間が入ったときに、適応能力が高かったのは若い教員でした。従来の指導要領ではベテランが強く年功序列のような世界でしたが、若い教員が探究の場などで大活躍しています。さらに新ルールができていろいろと変わっていけば、若い教員がリーダーとして活躍する場面が出てくると思います。

 単純に言えば、80年実施の指導要領までは教員の自由度はほぼゼロでしたが、自由度がどんどん広がっています。教員の側は相当の情報量を持っているわけですから、自分が全部教え込まなくても、児童生徒に対してこの先生の本を読むといいとか、近所のこうした場にいくといいなどとさまざまな助言ができると思います。さらに言えば指導要領がどうであろうと、自分が子供たちの学びにどう寄り添うかを考えればいいと思います。

 教員はエッセンシャルワーカーです。コロナでエッセンシャルワーカーという言葉が普及したのはとてもいいことで、医療従事者などと同様、使命感を持って教育に携わる教員はエッセンシャルワーカーに決まっています。教員が医療従事者ほど国民の敬意を受けていないという問題はありますが、児童生徒が学びたいことをかなえてあげるというのは最高のエッセンシャルワークです。そうした意識を持って子どもたちの学習に向き合ってほしいと思います。

 

 【プロフィール】

 寺脇研(てらわき・けん) 1952年福岡市生まれ。75年東京大学法学部を卒業後、文部省(当時)に入省。生涯学習局(当時)の新設、高校の総合学科創設などに携わる。2002年度改訂の学習指導要領でうたわれた「ゆとり教育」を推進する一方、「脱ゆとり教育」を求める批判の矢面に立った。文化庁文化部長などを歴任し、06年退官。京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)教授、星槎大学大学院教育学研究科教授などを務めた。著書に『文部科学省」(中公新書ラクレ)、『危ない「道徳教科書」』(宝島社)など多数。

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