【離島×公立IB校×全寮制の挑戦】 真価が問われる年に

【離島×公立IB校×全寮制の挑戦】 真価が問われる年に
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 瀬戸内海に浮かぶ人口約6900人の小さな島に2019年4月、広島県立広島叡智学園が開校した。海外からの留学生も受け入れる全寮制の国際バカロレア認定校(IB校)を、公立校として離島に新設するという、世界でもまれな取り組みだ。開校2年目から校長を務める福嶋一彦さんに、着任までの経緯や同校の校長としての課題と使命、展望を聞いた。(全3回)

視察が年間1000人という離島の新設校

大崎上島に新設された広島叡智学園=同学園提供
大崎上島に新設された広島叡智学園=同学園提供

 広島市内から高速バスで1時間半かかる港から、さらにフェリーで約30分という大崎上島に新設された広島叡智学園。「敷地全体が多様なアクティビティーの場になるように」との願いの下、校舎は平屋造りで、外へ続く広い縁側が備えられている。校舎の内と外が連続した活動領域であるように感じられる工夫だ。建物群には中庭を囲んで3つのエリアがあり、職員棟やカフェテリアなどの中央エリア、図書館や教室棟などの教室エリア、寮が並ぶ居住エリアに分かれる。

 同校が掲げる教育理念の一つが、新しい価値を生み出す創造的・批判的思考力の育成だ。その考えから、正解か不正解を他者が決めるテストは実施せず、プロジェクト型の学習を軸に教育を実践している。「プロジェクトの成功も失敗も自分自身が決めるもので、失敗は大切な成長のきっかけになる」というのが、教員も生徒も共有する認識だ。

 自主的な学習が生徒同士の多様で自由な対話により深められるよう、教室棟は開放的につくられている。教室の多くは完全に仕切られておらず、いくつもの学習スペースを挟みながら互いにつながっている。校舎に学年ごとの区切りはなく、国語・英語を学ぶ「言語棟」、数学・社会科を学ぶ「数社棟」のように、教科の系統ごとに棟が分かれ、授業を受ける場所は教科ごとに変わるという、大学に近い形式だ。

ディスカッションに適した開放的な教室棟=同学園提供
ディスカッションに適した開放的な教室棟=同学園提供

 24年度入試では、中学校の募集定員40人に対し、6.6倍となる262人の応募があった。視察は全国から年間約1000人が押し寄せる。子どもの進学先としても、学びの変革を進める先進校としても注目を集める学校だ。

 ボーディングスクール(全寮制の寄宿舎)型の中高一貫校で、入学者の約3分の1を県外生が占め、高校からは海外留学生も入学する。同県の歴史的背景から海外への平和の発信に重きを置き、使命として掲げるのはより良い未来を創造するグローバルリーダーの育成だ。同校の校長を務めて5年目になる福嶋校長は、どのような経緯で着任し、同校の改革をいかにして進めたのか。話を聞いた。

「畑違い」のIB校へ

――これまでの経歴や専門教科を教えてください。

 卒業したのは鳥取大学農学部でした。IB校とは全くの「畑違い」ですよね。1985年に卒業してすぐ、広島県立農業高校で教員生活をスタートして、現場には13年いました。その後、県の教育委員会に20年いて、県立西条農業高校に校長として出ましたが、1年たったらまた教育委員会に戻されて、もう1年してからこの広島叡智学園に校長として入ったんです。

 行政の経験が計21年で、この学校は5年目になります。この学校にいる間に60歳になりましたが、広島県には定年退職後も再任用で校長になれる制度があるので、再任用2年目で校長を務めています。

――行政に入ったのには、何か理由があったんでしょうか。

 私が教員になった頃は、学校がいわゆる「荒れていた」時代でした。生徒指導上の事案が多く、特に農業に関する学科を設置している学校は問題行動が山積していました。あまり言いたくはないのですが、例えば授業で出席を取るだけでも、20分くらいかかったりしましたね。

 そんな学校に長年いて、教育委員会へ行くといった考えは全くなかったんですが、「来なさい」ということで声が掛かり、行ったら途端に出られなくなって、ずっといたという経緯です。

――希望して行政に長くいらしたのではなかったのですね。

 はい。ずっと現場に出たかったんです。ですが、「現場に出られるようにする」と毎年言われながらも、人事の発表があると翌年も行政で、その間に文部科学省へも1年間研修生として行き、指導主事の他に人事行政をしたり、教職員課の課長として校長先生方の学校経営のお手伝いをしたりしました。

――その後で農業高校の校長になった後、また行政に戻って、それから広島叡智学園の校長にというのはどういった経緯ですか。

 西条農業高校に赴任して1年目で、行政に戻って教育部長になるようにと言われました。当時は平川理恵教育長でした。その教育部長に就任した年が、広島叡智学園開校の年だったんです。広島叡智学園は、子供の数が減っている時代に、広島県の公立学校で初めてIBのフレームワークを取り入れ、全寮制の中高一貫教育校として新しく作った学校なので、教育委員会との連携が非常に多くありました。そうしたさまざまな調整を行う必要があるので、本校の校長を任されたのではないかと推測しています。

「畑違い」だというIB校の校長着任までの経緯を振り返る福嶋校長=本人提供
「畑違い」だというIB校の校長着任までの経緯を振り返る福嶋校長=本人提供

今年度、真価が問われる

――行政経験が長いとはいえ、世界でも類を見ないような学校で開校2年目から5年間、校長を務めてここまで発展させるというのは大変なことだと思います。

 この学校の真価が問われるのは今年度だと思っています。開校6年目で、中高6学年が全てそろい、3月には高校から初めての卒業生を送り出す年ですから。

 まだこの学校の位置付けは定かになっていません。保護者の方々が学校を見る際は、進路実績や学校文化、雰囲気を重視すると思いますが、ここはまだ実績のない学校です。

 これからどういうふうにこの学校の進路の特色を出していくかというのが、これからのわれわれに求められるところだと思うんです。

――着任される時は、どのようなビジョンを持たれていたのでしょうか。

 実は、教育部長をしていながら本当に恥ずかしい話ですが、細かいところまでは承知はしていなかったんです。

 この広島叡智学園は、子どもが減っていていわゆる統廃合をしなければならない時期に、新しくつくったということで、腹を決めて頑張らないと継続的に発展していくことは難しいだろうというのが、率直な印象でした。

 そこで、そういう学校であるからこそ、前例に倣った学校にしてしまったら存在価値はないだろうというイメージを描きながら、内容については実際に行って考えるというのが、赴任した時の正直な気持ちだったかもしれません。

体裁を気にする新しい学校に意味はない

――その後の約5年間で、学習のプログラムや進路指導、寮生活の運営などあらゆる面で、柔軟に新たな取り組みをしてこられたのですね。

 私自身には力も知識もありません。こういう学校をつくっていく時は、教員が思い切っていろいろなことを遠慮せずにできる環境が必要だと思っていて、それを一番大事にしてきたんです。

 教員はかなり自由にやっていますよ。そういった環境づくりくらいしか私にはできていなかったのですが、教員たちが方向性を考え、学校生活のいろいろなものを大きくしてくれたんです。

 その中で育った子どもたちも教員たちと同じように、自分で考えてつくり上げる人間に育ちつつあるというのは、体感していますね。

――教員が自由に動ける環境ということは、何かあった時には校長として責任を取るという覚悟があったからだと思いますが。

 どうでしょうか。そこまで教員たちは校長のことを思っているかな。

 私の仕事の半分以上は、芝刈りと草刈りなんですよ。ここは自然が豊かというか、何もない島の中にある学校なんです。土地が広くて、外の環境整備をしなかったら草ぼうぼうになるんですよ。だから私はもっぱら芝刈りと草刈りばかりしています。

 校長がそんなことをしていても学校が回るというのを私は目指していたし、それでいいのかなと思っているんです。

――そうなるようにするには、どういったところに心を配るとよいのでしょうか。

 そんな認識はないのですが、いつも私が教職員に言っているのは、「物事を決めたり判断したりする時の軸は、『生徒にとってプラスになるかどうか』というところで、それは絶対に考えなさいよ」ということです。

 私自身の経験からも言えることですが、教職員が「自分の与えられた職務の範囲を超えていないか」とか「ここまでやっておけば叱られないかな」といったレベルで物事を判断したり、自分の体裁のためにやったりしていたら、活力ある新しい学校としての意味がないのではないでしょうか。

 何をするにしても子どもを軸に判断することが大事で、例えば授業なら「ちゃんと子どもが理解しているか」が判断基準であって、「何とかここまで授業を進めることができた」などと自分本位で進むのではなく、子どもがきちんと手応えを持ってついてきているかが重要です。特にこの学校ができた時は、学習指導要領の改訂で、主体的・対話的で深い学びを取り入れる最中だったということもあり、子どもの学びが「やらされる勉強」にならないよう、「子どもの心に火をつけるような授業展開で行こう」というのが基本にあったんです。

 このフレームは、まさにこの学校が取り入れているIBのフレームワークにぴったりだと思っています。IBの概念とか精神にきちんとのっとりつつ、その枠の中で教員が子どもの心に火をつけるような学習のスタイルにこだわり続けるというのが、これまでもっとも重視してきたことです。

 それがうまくいっているかどうかはこれから進路実績を見ないと分かりませんが、私が思っていた以上に、子どもたちはよく育ってくれているという印象は持っています。

 

【プロフィール】

福嶋一彦(ふくしま・かずひこ) 広島県立広島叡智学園中学校・高校校長。広島県三次市出身。1985年度から広島県立高校教諭。98年度から県教育委員会指導主事。2003年度に文科省初中局参事官付産業教育係。04年度から広島県教育委員会指導第二課専門員等。15年度に県教育委員会管理部教職員課長。18年度に県立西条農業高校校長。19年度に県教育委員会教育部長。20年度から現職。

【おわびと訂正】4問目と6問目、9問目の回答部分を差し替えました。またプロフィールは、正しくは広島県三次市出身でした。訂正し、お詫びいたします。

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