脱・「例年通り」 来年度の計画を見直す3つの視点(庄子寛之)

脱・「例年通り」 来年度の計画を見直す3つの視点(庄子寛之)
【協賛企画】
広 告

来年度の計画は「今年度通り」にならない工夫を

 24年も終わる。今年が終わるということは、今年度もあと3カ月となり、そろそろ来年度の計画を立て始める時期だ。特に管理職や教務主任は、来年度の計画を始めている時期であろう。

 来年度を考える時には、「例年通り」にならない考え方が大事である。現在、教員の働き方や処遇が話題になっている。ピンチはチャンスである。一つの学校だけで考えず、全国のさまざまな事例を参考にしてほしい。教育委員会や校長が首を縦に振らないときは、報道や文部科学省の発信内容を見せるのも手だ。少しでも皆さまの学校が働きやすい環境になることを切に祈る。そのために私ができることは全力でやる。ぜひご連絡いただきたい。

計画は大切だ。しかし…

 学校経営方針や年間行事計画など、計画はとても大切だ。全ての計画に一貫性があることは、この学校がどこを目指せばいいか明確にするためにとても大切なことである。しかし、何から何まで、細かく計画を作り過ぎてはいないだろうか。

 例えば、個別指導計画である。各地域に応じてネーミングは多少違うかもしれないが、クラスの中の配慮の必要な子への指導計画をつくるものだ。通級指導をしている児童について書くことはもちろん、今通っていなくても一時的に通っていた児童の分も書く。

 年々、個への配慮が手厚くなっている。手厚くなること自体はいいことであるが、教員の仕事量を増やすばかりになってはいないだろうか。私は高学年担任が多かったが、通級などに通っていなくても、一度通った児童の個別指導計画は全て書かなければいけなかったため、毎年10人前後の児童の個別指導計画を書いていた。

 それ以外に、毎日の通級ファイルのコメント、給食アレルギー対応の書類、挙げたらきりがない。作らなければいけない書類が多過ぎはしないか。書類をつくることばかりに時間が取られ、子供たちと過ごす時間が短くなり、子供たちと対話する時間が短くはなってはいないだろうか。

 個別指導計画が必要ないと言っているのではない。どれも教育的意義のあるものだ。しかし、個別指導計画を毎学期書き、毎学期振り返ることが、本当に児童のためになっているかは、常に考える必要がある。それであれば、もっと子供と触れ合う時間を増やし、子供と共に過ごす時間をつくるべきだと私は思う。

どれも教育的意義はある。しかし全てはできない

 誰のためにもなっていない書類は、どんどん見直す必要がある。

 「とはいえ国で決められていることだから」「教育委員会が出せと言うものを、出さないわけにはいかない」

 その通りである。だからこそ文科省や教育委員会は、教員の働き方や給与などの処遇を考えるのと同時に、教員などの事務作業を簡素化できないか検討する必要がある。その時のポイントは以下の3つだ。

 ① 昔から行っているからと、例年通り書かせていないか。

 ② デジタルでできるのに、紙で提出させていないか。

 ③ 「何かあった時の説明責任」というだけで、書かせていないか。

 自治体で決まっている書類などは、本当に今の時代に合っているのか教育委員会で見直していくべきだ。まずはなくせないのか、なくしたらどう言うデメリットがあるのか。規則や法律に引っかかるのであれば、それも含めて、今の時代に合わせて見直せないのか考えていく必要がある。

当たり前を疑い続ける

 すぐ「国は」「文科省は」「教育委員会は」という話題が出る。恥ずかしながら私も教員だった時、そう思っていた。文科省も教育委員会も現場の敵ではない。むしろ味方である。

 もちろんそう思えない時も多い。教育委員会は細かく指導をしがちだし、文科省の施策も、すぐに現場を改善してくれるものばかりではない。しかし、文科省も教育委員会も、現場のことを考えて精いっぱい行動してくれている。そこに感謝の気持ちを持つべきであると思う。

 年間計画は極力、余剰をなくし、教員が教材研究や研修を行える時間を確保してほしい。今年提出させていた書類でいらなかったもの、誰も見なかったものをなくせないか考えてほしい。今まで紙で配布していたものを、来年度からデジタルに変えられないか検討してほしい。行事のやり方も例年通りではなく、子供たちに委ねられるところがないか見直してほしい。

 どの学校も、今の規則の中でもまだまだ変われる。私はそう思う。

 24年は100以上の学校現場で研修・講演をしてきた。来年も全国の学校を見て回り、力になれるよう全力を尽くしていく。

広 告
広 告