授業は単元で構想する 明確な意識と具体的な戦略を(奈須正裕)

授業は単元で構想する 明確な意識と具体的な戦略を(奈須正裕)
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単元とは何か

 近年、授業の質の向上を目指して、都道府県教育委員会などが1単位時間の授業の流れを定型として示す「授業スタンダード」の提唱が盛んである。たしかに一理あるが、そもそも授業は単元で構想し、展開するものである。

 単元とはunitの訳語であり、子どもの認識なり活動に照らした際に有機的な関連を持つ教材なり経験の「まとまり」を意味する。つまり、単なる内容や教材や活動や時間のまとまりではなく、子どもが見通しを持って数時間から数十時間の学びを進められるよう学習過程のまとまりをデザインすることが、単元という考え方の要諦である。

 8時間の単元は、その長さの時間を要する学習過程のまとまりであり、単に1単位時間の授業を8つ積み上げれば単元になるわけではない。実施の都合上、授業は1単位時間ごとに区切って行われるが、子どもの意識としては一つの物語となっていることが望まれる。

 そう考えると、毎時間、授業の冒頭で導入に相当の時間を要するのは、随分とおかしなことである。教師が「昨日の授業で何をやったか、覚えている?」などと尋ねている姿を見るにつけ、教師も子どもも単元で学びを意識してはおらず、1単位時間の「読み切り」の学びの繰り返しに終始しているのではないかと不安になる。

パフォーマンス課題

 単元で学びを深める具体的な方策はさまざまあるが、パフォーマンス課題に基づく単元構成は、代表的なものの一つと言えよう。

 社会科の歴史学習について「暗記もの」などという、とんでもない誤解があるが、これは各教科等の本質、学習指導要領でいう「見方・考え方」を押さえていないからである。歴史学習では「歴史的に見て、社会はどのような要因によって変化しているのか」といった本質的な問いを、さまざまな時代の学習で繰り返し発し、学び深めることで、歴史とは何かという統合的な概念的意味理解を目指す。

 単元構成に際しては、この本質的な問いを基に、例えば「明治維新によって社会はどのように変化したのか」という単元水準の本質的な問いを導き、この問いを必然とするパフォーマンス課題を設定する。「時は1901年、20世紀の始まりです。あなたは明治維新の新聞社の社員であり、社会が大きく変化した明治維新を記念する特集記事(A4判1枚)を書くことになりました。明治維新による社会の変化を説明するとともに、今後の改革のあり方について提案するような記事を書いてください」といった具合である(※注)。

 子どもたちは単元の間中、この課題を頭に置いて学ぶ。すると、毎時間教わるさまざまな事柄が、課題を中心に相互に関連付いてくる。また、従来の授業はインプット重視になりがちであったが、単元の終末に記事を書くというアウトプットの機会を設けることで、子どもたちは学びを整理・統合し、自らの言葉で表現する。これが深い学びを生み出し、さらに教育評価の資料をも提供する。評価は、必ずしもテストによらなくてもよい。

単元の復活

 1947年と1951年の学習指導要領では、単元は中核をなすキーワードだった。しかし、1958年の改訂以降、社会科など一部の教科を除けば、長きにわたって影を潜めていた。

 現行の学習指導要領では、総則の第2「教育課程の編成」の3「教育課程の編成における共通的事項」の(3)「指導計画の作成等に当たっての配慮事項」のアにおいて「単元や題材など内容や時間のまとまりを見通しながら、そのまとめ方や重点の置き方に適切な工夫を加え、第3の1に示す主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善を通して資質・能力を育む効果的な指導ができるようにすること」という文脈で、単元の考え方が復活する。

 学習指導要領に示された内容を、どのような教材や活動を用い、方法的に組織化すれば、子どもが見通しを持って主体的・対話的に取り組み、深い学びを実現できるのか。このことを各学校で創造的に思案するのが、単元水準での授業づくりである。

 1単位時間を大切に扱うのは授業づくりの基本だが、単元への明確な意識と具体的な戦略があって初めて奏功する。形式的に1単位時間の充実を図ることが、かえって子どもの学びの断片化や孤立化をもたらし、概念的な意味理解や「見方・考え方」の感得から子どもを遠ざけることのないよう、十分に注意したい。

 (※注)引用文献

 西岡加名恵「『資質・能力』の育成を見取る評価方法の追究」吉冨芳正編著『新教育課程とこれからの研究・研修』ぎょうせい、2017年、92ページ。

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