不登校支援から考える学校像 学術会議の分科会がシンポ

不登校支援から考える学校像 学術会議の分科会がシンポ
「ASU」の実践を説明する西尾教諭=オンラインで取材
【協賛企画】
広 告

 不登校の増加に伴い、これからの時代に求められる学校像を研究するため、日本学術会議心理学・教育学委員会に設置された「不登校現象と学校づくり分科会」は12月15日、学びの多様化学校(いわゆる不登校特例校)などの取り組みから考える公開シンポジウムをオンラインで開いた。児童生徒の受け入れプロセスや授業づくりなどで、各校の実践の工夫が報告された。

 「不登校現象と学校づくり分科会」では、不登校を巡るさまざまな分野の研究成果を集約し、学校の在り方や学校の概念そのものの捉え直しに向けた検討を行っている。その一環で開かれたこの日のシンポジウムでは、不登校児童生徒への支援で知られている東京都八王子市立高尾山学園小学部・中学部、岐阜市立草潤中学校、奈良県大和郡山市立郡山北小学校・郡山中学校分教室「ASU」の事例が報告された。

 高尾山学園で大切にしていることとして、黒沢正明校長は「楽しい・うれしい・おいしい。この3つは福祉の分野でひきこもりを引っ張り出すキーワードと言われているが、これに加えて、学校なので、学校が安全・安心で、学ぶことが楽しいと、子どもたちにどう訴求するかが腕の見せ所だ」と紹介。授業中に子どもは教室以外の場所で過ごしても良いとしている分、より分かる、楽しい授業を心掛けることが求められていると話した。

 また、高尾山学園の中には、適応指導教室として八王子市教育委員会の教育支援センター「やまゆり」が併設されており、高尾山学園への入学を希望する場合には、まず「やまゆり」で学びに向かうペースをつかんでいったり、心身を回復させていったりしながら、個の状態に応じて適切なタイミングで高尾山学園への転入学を判断しているという。

 黒沢校長は地域の公立校でもできる不登校の未然防止として、子どもに強制しがちな教員のマインドを変えていくこと、全職員による情報共有の徹底、管理職による教員の余裕を生み出す工夫、教員以外の学校に関わる人を多くすることを挙げ、「人を多くすれば先生方に余裕が生まれてみんなで情報共有して、『ねばならない』というマインドが変われば、不登校は減るのではないか」とアドバイスした。

 「ありのままを受け入れる自由な学校」として2021年度に開校した草潤中学校では、生徒の自主性を重んじ、授業をオンラインで配信し、教室以外の場所で受けたり、自宅から参加したりできる。夜間通級指導教室や中学生のための居場所、メタバースを活用したオンラインフリースペース事業なども行っており、岐阜市の不登校支援の拠点という側面も持つ。

 特に、個に応じた学びの実現を課題に挙げた鷲見(すみ)佐知校長は「一般の学校と同じ授業をしていては、子どもは面白くないし分からないので出ていってしまう。発達特性のある子どもにもある程度の合理的配慮をしないと、分からないということもある。抜け落ちている部分の保障もしなければいけない。どうやって子どもに学びを届けていけばいいかが、一番難しい」と説明。

 そのための工夫として、教科で学ぶ内容を可視化・構造化し、子どもがどこから学びをリスタートさせればいいかを分かるようにしたり、デジタルも含め多様な教材を用意して、自分に合った学び方を選べるようにしたりしているという。

 鷲見校長は「時間の経過とともに様相は変わってくる。エネルギーがゼロに近くて不安や緊張が大きい子は、ゆっくり休まないといけない。十分休ませてあげると、何かやってみようかなと元気になる時が来る。その時にこそ、何をやってもらうかと子どもと一緒に決めていくアプローチが必要だ。ますます元気になった子は、目標や進路に向けて頑張っていこうという姿に育つ。その時はその時なりのアプローチが必要だ」と、子どもの現状を把握して適切な支援をしていく見極めが重要だと強調した。

 1997年度に始まった適応指導教室をルーツに持ち、03年度に大和郡山市が不登校児童生徒支援教育特区に認定され、23年度に小中学校の分教室になった「ASU」には、「あゆみルーム」と呼ばれる家庭と「ASU」の間に当たる空間・居場所が設けられ、不登校の子どもがそれぞれのペースでスモールステップを積み重ね、徐々に「ASU」の授業を体験するなどして、「ASU」や原籍校に通うことになる。

 「ASU」は、子どもがありのままで安心して通うことのできる心の居場所であることを大前提に、多様な体験活動を重視し、高校への進学保障にも力を入れている。

 発表した西尾真理教諭は「一教員として子どもたちと出会い、毎日の生活の中で信頼関係を築いて、一番身近にいられる大人として子どもたちの安全基地になるにはどうしたらいいかと、教員1年目の頃からずっと模索してきた。『ASU』に赴任してから一番に感じたのは、ここはそれを実現できる場所だということだ」と話した。

広 告
広 告