【ブラジル編】 メジャーリーガーも誕生した日本遠征

【ブラジル編】 メジャーリーガーも誕生した日本遠征
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ベースボールではなく「野球」

 私が野球指導者としてブラジルに着任したのは、2017年8月。南米大陸にあるブラジル。北の中米に行けば、ドミニカ共和国、メキシコ、キューバなどベースボールの国が多い。地理的に考えれば、ブラジルも「ベースボール」の国だと当初は考えていた。

 私はブラジルサンパウロ州インダイアツーバ市の日伯文化体育協会の野球部に派遣された。そこで、自分の知らない世界の広さに驚愕した。

 グラウンドに到着した私の前に子どもたちが並ぶ。「こんにちは!」。私は耳を疑った。私を前に子どもたちが日本語であいさつをしてくれたのだ。自己紹介し、練習が始まる。「よろしくお願いします!」。ここもまた日本語。そして練習の終わりには「ありがとうございました」と日本語が響く。

 なぜ日本語かというと、ここではベースボールではなく「野球」が根付いているからだ。ブラジルに広がる野球は、かつて日本人が「教育」の観点で持ち込んだものなのだ。

 1908年に初めて日本からの船がブラジルの港に着いた。ブラジルに出稼ぎで来られた方々は、見知らぬ大地で生き抜くためのコミュニティーを作る必要があった。その居場所で日本を継承していくために野球場を作った。上下関係、言葉遣い、ものを大切にする心など、野球を通して『道徳』を伝えようとしたのだ。

いやいや野球や日本語を学ぶ子も

 現在、ブラジルには世界最大の250万人を超える日系人が生活している。その中で私が指導にあたった子どもたちは4世、5世。彼らは日系人でありながら、生まれはブラジル、学校に行けばポルトガル語で友達とコミュニケーションを取り、休み時間はサッカーをして遊ぶ。

 しかし、放課後に学校の部活動がない彼らは日系人であるからと、野球を学ぶ。学ばされる。もちろん中には、好きで野球に打ち込む子どももいれば、日系人として生まれたから半ば強制的に通る道として野球を学んでいる子どももいた。その子たちにとれば、「ありがとうございました」「いただきます」「ごちそうさまでした」という日本語の継承についても、音のみで意味は知り得ない。

 いやいや野球を学ぶ子、「興味ないんだけどな」と日本語を学ぶ子どもたちと毎日過ごす中で、私は「伝えたい」と強く感じた。野球を通して出会った地球の真裏同士の人間の間に、ブラジルと日本の歴史と文化がこんなにも色濃くあることを知った私は、実際に日本とつなげたいと強く感じたのだ。

 日本のことを愛する、日本を想う日系人の大人たち。しかし、その想いをまだ享受できない子どもたち。せっかくここで関わることができるならば、日本に触れてほしいという想いが高まった。

日本に遠征

日本遠征に向けた日本語の授業=筆者提供
日本遠征に向けた日本語の授業=筆者提供

 当時、私は小学5、6年生10人のチームの監督をしていた。当初はオンラインでつなぎ、前任の大阪の中学校と授業をすることを考えたが、時差が12時間。日本が朝でもブラジルが夜。一緒に授業を行うには時差というハードルが障害となり断念。それならば、手紙の交流をと考えたが、船便で片道2週間弱。一往復する頃には約1カ月。あまりにも時間がかかり過ぎてしまうことと、日本側の先生方の負担を考え断念。では最後、「いっそ連れて行こう!」と、日本遠征の敢行を決定した。 

 保護者にその旨を伝えると、最初は「お金がかかる」「先生がついているとはいえ、子どもたちだけでの旅は不安だ」と反対意見が大半。しかし、是が非でも子どもたちに経験の機会をつくりたいという私の想いに、保護者の皆さんも折れ、「私たち日系人が日本を愛する想いは、彼らにも伝えたい。その経験になるならば、私たちも全力でつくりあげたい、実現したい」「私たちが継承してきたことの意味をこのブラジルに日系コミュニティーに持ち帰ってきてほしい」と前向きな意見をくれるようになった。

 クラウドファンディングや保護者、協会を巻き込み、日本を発信するイベントを開催し、せっせと資金調達を行った。そこで得た資金を利用して、いざ日本へ。遠征までの期間、より日本滞在を楽しめるようにと、10人の子どもには日本語の授業を行った。簡単なあいさつ程度のものだが、少しでも「伝わるんだ」という気持ちが彼らの経験を豊かにする。

 2019年3月21日から31日までの10日間。場所は私の地元、大阪府枚方市。10日間の期間中、同年代の小学生や私の前任校の中学校の野球部の子どもたちとの野球の国際交流試合をしたり、母校の近畿大学をはじめ多数の高校大学の野球部に野球教室をしてもらったりした。ちょうど春の高校野球選抜大会の時期だったため、甲子園にも観戦に行った。この機会に、ブラジルで待つ保護者、協会の方々から多くの感動の言葉をいただいた。

両国の教え子が交流=筆者提供
両国の教え子が交流=筆者提供

メジャーリーガー誕生

 24年1月。日本遠征に参加したメンバーから、米メジャーリーグの球団からオファーを受けた選手が誕生した。彼は、遠征期間中に近畿大学の硬式野球部に訪れた際、当時大学3年生だった佐藤輝明選手(現・阪神タイガース)から、バットをいただいた。これを使って頑張れと声を掛けてもらった。それに感動し、頑張り続けブラジル代表となり、昨年行われた南米大会で人目を引く活躍をした結果、メジャー球団から指名された。

 つながりが背中を押す。日本とブラジル、文化と歴史を越えた教育的なつながりが今日も地球の真裏同士で継承され、子どもたちの夢を紡いでいる。

 

【プロフィール】

廣瀬拓哉(ひろせ・たくや) 大学卒業後、大阪府公立中学校で4年間の社会科教師を経て、2017年7月~19年7月の2年間、JICA日系社会海外協力隊として、ブラジルへ野球指導者として派遣。野球指導・日本文化伝承・日本語指導に携わった。帰国後は「教育×スポーツ」で日本と海外をつなぐ活動を実践。

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