最近、筆者が住む東京・高田馬場周辺では中国人が急増している。喫茶店に入ると、中国語を話す人の数が異常に多くなっている。彼らは日本の大学に入学するために、予備校や語学学校に通っている。筆者の知り合いにも中国人家族がいる。子供は小学2年生で、半年前から高田馬場にある小学校に通っている。家族が日本に移住することを決めた理由の一つが、子供の教育にあった。中国の受験競争は壮絶を極めている。小学校から受験準備に追われ、課外活動など行う時間は全くない。両親は子供の将来を考え、日本で子供を教育する道を選んだ。子供は現在、地域の柔道教室に通っている。
中国では、生徒は高校受験で進学学校と職業学校に区分される。中国は学歴社会であり、極論すれば、高校受験で人生が決まる。進学学校に入学するには、猛烈な受験勉強を勝ち抜かねばならない。生徒は受験塾に通うか、家庭教師を雇って勉強している。生徒の受験勉強の負担は大きく、家庭の経済的負担も無視できない。
そうした状況を改善するために、中国政府は2021年に「二重削減政策(double reduction policy)」を打ち出し、営利目的の塾や予備校で「英語」や「数学」などのコアカリキュラムを教えることを禁止した。この政策は実質的に「塾・予備校禁止政策」であった(参照記事:宿題を減らし、塾などを禁じた中国の双減政策 その結果は?)。
この政策が打ち出されてから3年たち、中国政府に軌道修正の動きが見え始めている。中国政府は政策が失敗したと公式に認めてはいないが、実質的に「塾・予備校解禁」の方向にかじを切っている。
シンガポールの有力紙『The Straits Times』は2024年9月21日に「China’s underground tuition industry raises concerns of high costs, quality among parents(地下で営業する中国の塾業界は、親の間で高コストと質に対する懸念を高めている)」という記事を掲載し、政府の「二重削減政策」がもたらした問題を指摘している。
塾は取り締まりを逃れるために、隠れて営業を行うようになった。授業中はカーテンを閉めて、隠れるように授業を行う。「数学」を教えることができないので「倫理的思考」とクラス名を変えて数学を教えている。「英語」も「英語で科学を教える」とクラスの名称を変えて、実質的に英語教育の授業を行っていた。同時に、教育内容の劣化も起こっていた。
規制を避けるために、裕福な家庭はひそかに家庭教師を雇ったり、オンラインで受験勉強したりしている。現在、オンラインでの英語の授業は月に1500元(3万3000円、1元=約22円)かかる。家庭教師の場合、さらに費用はかかる。
「塾・予備校禁止」は家庭の経済的負担を軽減するのが目的であったが、逆に負担が増える結果を招いた。「政策が続けば、富裕層の子供と、それ以外の子供の学力格差はさらに悪化する」と、懸念する声も強まっていた。
『ロイター』は昨年10月28日に「China’s private tutoring emerge from the shadow after crackdown (取り締まり後に闇で営業していた中国の塾産業が再登場している)」と題する記事を掲載した。同記事は「塾規制に暗黙の緩和が起こっている」「政府の取り締まりは、ここ数カ月、緩やかになっている」と、政府の変化を指摘している。
また同紙は、塾・予備校解禁は教育的な判断と同時に、経済的な判断が背後にあると指摘している。関係者は「中国政府は雇用創出支援に軸足を置き、家庭教師業界の成長を容認することを暗黙に認めている」と指摘している。
中国経済の減速は顕著で、政府は景気刺激策を講じている。昨年8月に国務院は「消費刺激のための20項目」の景気政策を発表。その対策の中に「教育サービスの刺激策」も盛り込まれている。塾産業の規制緩和で、経済活動の活性化を図ろうというのである。
景気政策に先立ち、教育省は企業のオンライン教育に関する「ホワイトリスト」を発表し、オンラインによる教育規制の緩和を行っている。さらに、許可される「学外個別指導の種類」も明らかにした。その中で、数学や英語のコアカリキュラムの放課後の個別指導が許可されるようになった。こうした措置を受け、塾や予備校の許可数は昨年1月から6月の間に11.4%増加している。
同紙によると、塾・予備校産業の産業規模は規制前には1000憶ドルあり、業界の最大手3社だけで17万人以上を雇用していた。だが規制導入で、塾や予備校の数と教師の数は激減した。推定では、規制導入による業界の損失額は数十憶ドルに達している。
最近の規制緩和で、塾と予備校の数は急速に回復している。大卒の失業問題は深刻で、毎年1000万人を超す大学生が卒業するのだが、その受け皿としても塾・予備校産業は期待されている。
こうした塾や予備校の規制緩和は「二重削減政策」の抜本的な見直しのもとで行われているというより、景気政策という口実で、なし崩し的に行われている。子供に対する教育の負担軽減、家庭に対する資金的負担の軽減という目的は誰も否定できないが、問題の背後にある過剰な学歴主義と受験戦争が是正されない限り、塾や予備校を規制し、取り締まっても状況は改善されない。中国の政策は、「善意の政策」が必ずしも「好ましい結果」をもたらすものではないという、良い教訓を示しているといえる。