本紙電子版2024年12月25日付で報じられているように、阿部俊子文科相は同日中教審に「多様な専門性を有する質の高い教職員集団の形成を加速するための方策について」を諮問した(諮問当日、阿部文科相が海外出張中であったため、諮問文は三原じゅん子こども政策担当相名になっている)。
今回の諮問では「多様な専門性」が掲げられているが、内容を見れば「教師人材の質の向上と入職経路の拡張」が挙げられている。「教師不足」が深刻化している現状にあっては、できるだけ質を落とさずに人材確保をすることが求められているのは明らかだ。今回は、特に教員免許制度に焦点をあてて、中教審に課された課題を掘り下げてみたい。
まず、これまでの教員免許制度に関する経緯を確認しておこう。1980年代以降の主な経緯は以下の通りだ。
21年まで、教員免許取得のためのプロセスは拡充の一途をたどってきた。教育相談、特別支援教育、ICTの活用といった新たな課題が出てくれば、これらに合わせて授業科目が設けられる。また、教員の質向上のためということで、教職の意義に関する科目や「教職実践演習」が導入される。大学が教職課程の授業で必要な内容を確実に扱うようにするために、必要な内容を示した「教職課程コアカリキュラム」も作られた。さらには、授業科目とは別に介護等体験も必須となった。09年からは教員免許更新制が導入され、教員となってからも10年に1回の更新講習受講が必要となった。
私は、21年6月21日に本オピニオン欄の記事 で、こうした状況について、「履修至上主義」と「教員人気信仰」の2つの考え方があったと指摘した。
「履修至上主義」とは、「授業科目や講習などを履修することが教員の資質向上に強く寄与するという考え方」のことである。「教員人気信仰」とは、「理不尽な負担を強いても、その専門性への尊敬が感じられなくなっても、多くの人にとって教員という職業は魅力的であることが当然であり、教職の人気が下がることはないという信念」である。
その後の経緯を見れば明らかであるように、こうした考え方は通用しなくなっていた。教員の業務では、反省的思考やチームでの協働や地域との連携が重要であり、授業や講習の履修でできることは限られている。教員の理不尽な処遇への不満は爆発し、「教師不足」が深刻化してしまっている。教員や教員志望者をもっと信頼して授業や講習の負担を減らす一方で、現職教員が余裕をもって働き自己研鑽(さん)できるようにすることが求められる。
文科省の施策も、22年くらいから方向転換を始めた。学生が教員免許を取得しやすくし、現職教員に負担を強いる教員免許更新制も廃止となった。今回の諮問も、こうした方向の延長上にあると言える。
中教審の委員諸氏におかれては、ぜひ「履修至上主義」や「教員人気信仰」の考え方と決別して、新たな教員免許制度の在り方を議論していただきたい。
具体的には、以下の2点を求めたい。
1:介護等体験の廃止
コロナ禍で代替措置が適用されていたが、25年度からは介護等体験が復活することとなっている。しかし、教職課程で特別支援教育が位置付けられている現状において、介護等体験の歴史的役割はもう終わったと考えるべきではないか。特に、福祉施設における介護等体験受け入れには、受け入れ側の負担も学生の負担も大きく、事故や感染のリスクもある。学生は、大学の授業を休んで介護等体験に行かなければならない場合も多い。まず介護等体験の廃止をお願いしたい。
2:教職科目の必要単位数の大幅減
現状で、小学校や中学校の一種免許取得に必要な単位数は以下の通りである。
これを、小学校・中学校ともに、教科関係15単位程度、教職科目(教科以外)25単位程度の計40単位程度に減らすことを望みたい。大学が独自に設定する科目も、「その他」の8単位も、教職課程の必修単位から外すのである。
4年制大学の卒業最低単位は124単位であるので、各大学、各学部が教職課程の制限だけに縛られずに個性あるカリキュラムを作り、特色ある教員養成をしていけば、多様な能力を持つ教員が輩出されることになる。学生も、自らの興味関心を生かして学ぶことが可能になる。これからの社会の変化が激しいことを想定すれば、学校には多様な強みを持った教員の確保が必要だ。
以上はやや大胆な提案に見えるかもしれない。しかし、中教審においてはこの程度のことは視野に入れて、教員免許制度の在り方について議論を進めていただきたい。