「子どもの自殺が過去最多」という事実が1月29日、厚労省による発表で明らかになった。2024年に自ら命を絶った小中高生が、暫定値で前年から14人増の527人になり、統計が残る1980年以降で最多の数に上ったという事実。学校という居場所がありながら子どもが死んでいくという、あってはならない事態が起きているのだ。
「現場に◯◯教育を取り入れよう」「学校の◯◯化を進めよう」などと国や自治体は声高に訴えているが、「子どもを誰も死なせない」は何にも勝る最上位目的だ。子どもの自殺ゼロを全国どこでも当たり前にしなければならない。
国は子どもの自殺を、「親との関係」「勉強が分からない」「友人関係」「先生との関係」により精神的に落ち込みうつ状態に陥ったため――などと説明する。その上で、「子どもがそんな状態に陥ったら、最悪の事態が起きる前に大人が気付けるはずだ」「気付いたらすぐに対処できるだろう」という論を展開する。
確かにそうかもしれない。しかし、しかし、私は45年間、子どもに学んできて、「うつ状態になったから子どもが死ぬ」などということは考えにくいと思っている。
子どもの脳について私は、脳科学者に学んだことがある。
子どもの脳は大人と違い、過重な圧力がかかったら、瞬時に危険地帯になる。周囲から強い圧を一気にかけられたら、一瞬でパニックのような状態に陥るのだ。そして危険地帯になると、「何としてもそこから逃れたい」という心境になる。この「逃れたい」という一心で起こす行動が、自殺につながる。
昨年、私立高校の男子生徒が自殺したのはカンニングに対する圧迫的な指導を教員から受けたからだとして、両親が学校法人を提訴したことが報じられた。報道によると、男子生徒は21年12月、期末試験でカンニングが発覚し、全科目0点や自宅謹慎8日、写経80巻などの処分とされ、2日後に自殺した。指導の中で「ひきょう者」と言われたといい、遺書に「ひきょう者と思われながら生きていくのが怖い」と記したと報じられている。
ひきょう者と言われた学校で、周りの友達にずっと「こいつはひきょう者だ」と思われながら生きていくことを考えたら苦しい。その状態から逃れたい、そのためには命をなくした方が自分にとって楽だと思い、死んでしまったのではないだろうか。
この子の死を、親は止められない。生き生きと学校生活を送っていても、もし一人の教科担当者が執拗(しつよう)に「できていない」と迫ったら、その子は「点数を上げなければ」「でも自分の今のキャパシティーでは無理だ」「カンニングをしてでも点数を上げないと先生に怒られる」と強い恐怖感を抱くだろう。結果としてカンニングをし、そのためにひきょう者と言われて自ら命を絶つなどというのは、もはや自殺ではない。子どもを主語にしたら「子どもを殺してしまった」とわれわれ教員は自分事に捉えなければならないのではないだろうか。
そうは言っても、もし強い熱意を持って「何としてもこの子を正しく成長させなければ」と思ったら、子どもを追い詰めるほどの指導に陥るというのは、誰にでも起こり得ることだろう。私自身もそうなるかもしれない。教員という職業は、そういう危険性をはらんでいる。
しかし、子どもを追い詰める状況を防ぐことができるのもまた教員だ。指導している教員が一人だとしても、その周りには何人もの教員がいる。その教員たちが「本人がどうやり直しをしていくか、そこを大事にしませんか」「二度とカンニングはしないと思える方法を考えましょう」と声を掛ければ、子どもを追い詰める指導を止めることができる。学校は失敗するところだ。子どもがルールを守ることに失敗してカンニングをしてしまったのなら、カンニングをしない自分をどうつくり上げるかを考えさせ、やり直しをさせる。これこそが社会につながる力だ。
にもかかわらず、教員が他の教員の指導を止められず、全員が追随していくような組織ならば、今後も子どもが何人死ななければならないか分からない。
指導は一瞬で暴力に変わる。指導より大事なのは、大人である私たちが、子どもがやり直しをできる環境をつくることだ。カンニングをしたならば、「カンニングをするくらい本人が困っていたのはどうしてか」を周りの人間が考え、「どうしたらカンニングをしなくてもよかったか」を子どもとともに考える。そういう環境をつくることができれば、カンニングをした子を周りの子どもが、「大丈夫だよ。落ち込むなよ」と支える空気も生まれるはずだ。そうなれば、この子は死なずにすむ。そういうことが全国でいくつも起きているのではないか。
「死んだ子が悪い」「同様の指導をしているが、他の子は自殺していない」などと言えないはずだ。子どもは一人一人違う。違うことが当たり前だ。そういう教育の原点すらおろそかにされ、「子どもはみんな一緒だ」「その『一緒』に入れないのは特別だ」と排除していく。その考えが子どもに命を絶たせているというのが、今の社会の実態なのではないか。
子どもの自殺をゼロに。目の前にいる子は救える。そのためにどういう学校をつくっていくべきか、今後のオピニオン欄で問い直していきたい。