初等中等教育における教育課程の基準、つまり学習指導要領の改訂に関する文科相からの諮問文では、審議すべき事項の前に顕在化している3つの課題が記されている。今回はそのうちの1点目、多様性を包摂し、一人一人の意欲を高め、可能性を開花させる教育の実現という課題について考えたい。
この課題は、2021年1月26日の中教審答申「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す、個別最適な学びと、協働的な学びの実現~」に基づくものと考えられる。答申にもあるように「子供たちの知・徳・体を一体で育む『日本型学校教育』は、全ての子供たちに一定水準の教育を保障する平等性の面、全人教育という面などについて諸外国から高く評価されている」(5ページ)が、同時に深刻な問題を抱え込んでもいることが、新型コロナウイルスの感染拡大で明らかとなった。
その典型が「学校の臨時休業中、子供たちは、学校や教師からの指示・発信がないと、『何をして良いか分からず』学びを止めてしまうという実態が見られたこと」であり、「これまでの学校教育では、自立した学習者を十分育てられていなかったのではないか」(13ページ)との懸念である。
時間的に前後するが、経済協力開発機構(OECD)の生徒の国際学習到達度調査(PISA)2022において、日本はOECD加盟37カ国中、数学的リテラシーと科学的リテラシーで1位、読解力で2位と堅調であった反面、学校が再び休校になった場合に自力で学んでいけるかという質問に対しては「自信がない」と答える子どもが多く、37カ国中34位に甘んじていた。
自立した学習者に育っていない原因について答申は「『みんなと同じことができる』『言われたことを言われたとおりにできる』上質で均質な労働者の育成が高度経済成長期までの社会の要請として学校教育に求められてきた中で、『正解(知識)の暗記』の比重が大きく」なっていたこと、「学校では『みんなで同じことを、同じように』を過度に要求する面が見られ、学校生活においても『同調圧力』を感じる子供が増えていった」(8ページ)ことなどを挙げている。
「令和の日本型学校教育」では、これら正解主義や同調圧力といった従来からの問題を克服し、全ての子どもを自立した学習者に育てることを目指す。そのために求められるのが、個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実である。
令和の日本型学校教育が提起された背景には、近年における子どもの多様性の拡大と、手厚い対応を求める世論の高まりがある。全ての子どもは幸せになる権利をもって生まれてくる。その子らしく十全に学び育つ権利、いわゆる学習権や発達権も当然その中に含まれる。
従来の学校は、一斉指導によってこれを保障しようとしてきた。しかし、伝統的な一斉指導は一つの目標、内容、方法、教材、学習時間で実施される。それは「最大多数の最大幸福」を原理としており、平均から離れた特性をもつ子どもがうまく学べない可能性を含み込んで成立している。幸か不幸か、長らく日本社会は先進国の中では比較的多様性が小さく、また教師の力量が高かったので、何とかだましだましやってこられたのだが、多様性の拡大によりこの原理的欠陥がすっかり露呈したというのが、近年の状況にほかならない。
22年度の文部科学省「義務教育に関する意識に係る調査」によると、小学4年生で「授業の内容が難しすぎると思う」に対し「とてもあてはまる」と「少しあてはまる」が27.3%、「授業の内容が簡単すぎると思う」への同様の回答が28.2%であった。すると、授業が自分に合っていると感じている子どもは44.5%に過ぎないという計算になる。
子どもがうまく学べないのは、子どもに問題があるからではなく、カリキュラムや学習環境が子どもの学びの障害になっているからである。一人一人の実情に即して、可能な限り柔軟にカリキュラムや学習環境に工夫を凝らす。今やこれが世界のトレンドであり、ようやく日本もその方向にかじを切り始めた。個別最適な学びを、部分的な追加オプションではなく、教育や授業の中心的な原理の一つに据える必要があると言えよう。多様性を包摂し、一人一人の意欲を高め、可能性を開花させる教育の実現という課題の背景には、このような価値観なり方向性があると考えることができる。