高校無償化の議論の趣旨は、公立高校であれ、私立高校であれ、生徒は平等に扱われるべきだということであろう。この結果、公立高校と私立高校の競争が促進されることになる。現実に起こっていることは、生徒の公立高校離れだ。さまざまな規制が課せられている公立高校より、自由な教育ができる私立高校が選ばれる傾向にあるのだろう。
1970年代、米国で保守的な経済学者などが「バウチャー制度」の導入を主張した。彼らは、保護者は子どもにとって最善の学校を選ぶ権利があると主張した(選択の自由の主張)。直接、保護者に資金を渡し、保護者はその資金を使って子どもに合う最善の学校に行かせることができる(教育権は保護者にあるとの主張)。さらに経済学者は、バウチャー制度は学校間の競争を促進して、教育効果を高めるとも主張した(市場原理の主張)。
米国では学校の選択の自由を求める声が高まっている。Federation for Childrenが2024年5月に実施した「学校選択の自由」に関する世論調査では、賛成が71%、反対が13%であった。保守的な共和党支持者の80%、民主党支持者の66%が支持している。現在、バウチャー制度を導入しているのはフロリダ州、アリゾナ州など15州になる。ただ全体の50州と比べれば、数は多くない。フロリダ州ではバウチャー制度導入で、子どもの学力が上昇したとの調査もある。
この4月、バウチャー制度を巡り相反する動きがあった。4月17日、テキサス州の下院はバウチャー制度法案を可決し、同法案は上院で審議される予定で、可決は確実と見られている。一方で4月19日、ユタ州の裁判所は同州のバウチャー・プログラムは、州憲法に違反するという判決を下した。
テキサス州のプログラムは、下院案では総額10憶ドル(1ドル145円換算で約1450億円)が想定されている。受給者には「教育貯蓄口座」を通して奨学金が提供される。1人当たりの受給額は1万ドル(約145万円)で、私立学校やチャータースクール、ホームスクーリングに使える。ホームスクーリングの場合、支給額は2000ドル(約29万円)になる。しかしテキサス州の私立学校の授業料や交通費などを含めた平均経費は1万1000ドル(約160万円)で、低所得家庭の子どもはバウチャーだけでは十分に費用をカバーできない(『Reform Austin』、4月21日、「Private Paths, Public Costs: Texas Voucher Plan Spurs National Ripple」)。
選考に際しては、低所得家庭の子どもや障害のある子どもが優先され、この2つのグループに総予算10億ドルのうち80%が割り当てられている。残りの20%は州の平均所得約6.5万ドル(約940万円)以下の家庭の子どもに支給される。4人家族で年収が15万6000ドル(約2260万円)を超える場合、受給資格はない。米国では必要の度合いに応じて支給するのが普通である。
法案の提出者は、低所得層の子どもが学力の高い私立学校に通える可能性が高まると、その利点を説明している。だが公立学校の予算とバウチャーで使われる予算は競合する関係にある。バウチャー予算が増えれば、公立学校の予算が削減されることになる。すでに多くの学校は予算不足に直面しており、財政状況はさらに悪化すると予想されている。公立高校の生徒の学力に悪い影響を及ぼす懸念もある。
また私立高校は入試選考に対して特に条件が付けられていないため、入学希望者はジェンダーなどで差別される可能性もあるとの指摘もある。さらに宗教学校に進学する場合も適用されるという問題もある。米国では宗教学校への公的資金援助は憲法で禁止されている。これは日本では聞かれない議論だ。バウチャー制度は間接的に公的資金を使って特定の宗教団体を支援することになる。むしろ保守派の本当の狙いは、学校選択の自由と言いながら、キリスト教系の学校を支援するところにあるのかもしれない。
ユタ州の裁判所がバウチャー制度を州憲法違反と判断したのは、「バウチャー制度は公的資金を使って行われるにもかかわらず、全ての子どもに開かれていない」という理由であった。「州憲法には、議会は公教育制度を設立し、維持すると定められている」「州憲法は公教育、高等教育、障害者のために確保されている所得税の使い方を規定している」とし、議会がバウチャー制度を導入するのは州憲法違反と判断した。
この裁判の原告の教員組合は「この判決は公教育にとって大きな勝利であり、公的資金は公立学校に帰属していることを再確認した。議会は憲法が規定する権限を逸脱している」という声明を発表している(『Fox 13 News』2025年4月9日、「Judge rules ‘Utah Fits All’ voucher program is unconstitutional」)。
他方、推進派は「判決には不満だ。子どもたちのために選択する保護者の権利に変わりはない」と、控訴する構えを見せている。
日本では所得に関係なく子どもたちは教育を受ける権利があるという主張が主流になり、公教育とは何かという議論がすっぽり落ちてしまっている。その上、便宜的な議論に終始する傾向がある。カリキュラムなど、がんじがらめに規定されている公立高校が、自由な教育を行う私立高校に勝てるはずはない。米国では競争の自由と言いながら、所得制限などで公立学校と私立学校の間に一定の線を引いている。