生成AIの進化が止まらない。最近では、写真を送れば無料でアニメ風のイラストに変えてくれる機能が注目されている。皆さんは使ってみただろうか。
「授業では使えない」「遊びになるだけ」。確かにそうかもしれない。しかし、遊びの中から学習のアイデアは生まれてくる。少なくとも子どもたちが生きていく社会は、このようなテクノロジーが当たり前になる時代である。教師が教育に関するスキルを日々アップデートしなければ、将来使えない知識ばかりを教えることになる。
そうならないように、常に最新情報に耳を傾け、授業で使える・使えないに関係なく、試していく必要がある。
忙しい4月だったはずだ。しかし働き方改革や、いろいろな書類の簡略化、ICTの活用などもあり、昔より効率化されていることも多かったと思う。
「いやいや、数十年前と変わらない」「うちの学校は全て、紙だ」という学校があったら、危機感を持った方がいい。私が4月に伺った学校は全て、数年前とは別物であった。テクノロジーを活用し、働き方改革が進んでいる。最新事例をチェックして、自分の学校の教職員にどんどん発信していくべきだ。
しかし、授業や学級事務はどうだろうか。私が伺った学校でも、「あまり変わっていないのではないか」と感じる場面がたくさんあった。
・1学期の目標の紙を印刷して書かせ、後ろの掲示板に貼る。
・マグネットを使って係を決めていく。
・全ての教科でノートを買い、黒板に書いてあることを丁寧に写す練習をする。
確かにどれも大切だが、そこに昨年度との違いはあるだろうか。「最初だから、まずは型を教え込もう」「ダブレットも大事だけれど、まずはノートでできることを」などと思っていないだろうか。
絶対にデジタルがよいなどと言うつもりはない。紙と鉛筆はとても大切だ。しかし、初任の時から特に理由もなく、毎年、繰り返していることはないだろうか。そして、その作業に「管理」「統制」などの意図が強く残るものが多くないだろうか。
4月はどうしても教えることが多くなる。大事なのは5月である。
子どもたちは4月に教えたことを守り、自分で学習に向かっていく必要がある。問いを投げ掛けられたら、自分で学べるような手だてが染みついているだろうか。
「ティーチ」は必要だ。しかし、それをいつまでも続けていると、子どもたちは「聞けば教えてくれる」「待てば答えが返ってくる」と受け身になってしまう。受け身の姿勢では、生きる力の育成は期待できない。
5月からは、教師がファシリテーターになることを強く意識すべきだ。問いはできる限り少なくし、子どもたちが考える時間を取る。子どもたちの学びにつながるような問いを、精選する教材研究をすべきだ。
・この問いは本当に必要か。
・この説明は、子どもたちが自分で考えられないものか。
・この活動は、子どものアイデアで形を変えられないか。
・違うことをしている子どもにはどう対応するのか。
・授業中、教師はどこに立てばいいのか。
ファシリテートすることと、教えないことは違う。子どもたちの学びをつなぎ合わせ、教師も子どもたちから学ぼうとする。そのような授業の積み重ねが、よい学級集団をつくっていくのだと思う。
「先生って何でも教えてくれる人」から「先生って一緒に考えてくれて、たくさんのアイデアを持っている人」へ。
日々の学級の授業がそうなっていけば、子どもたちの目は輝いてくるはずだ。4月はもう帰ってこない。過去を悔やまず今を生きよう。子どもたちとともに毎日学び続けられる教師という仕事はとても尊いものである。日々子どもたちから学ぶ姿勢を持って、昨年度とは違う取り組みを行っていってほしい。
そこには失敗もあるだろう。しかし、失敗を経験に変え、改善することこそ、これからの社会に大切なことだ。教科書に書いてある、誰にでも分かる知識を、教科書の赤本通りに伝える授業は、子どもたちも面白くないと思っている。5月こそ、一番挑戦する1カ月にしてほしい。