きれいなプレゼンにもやもや… 探究学習に願うこと(今村久美)

きれいなプレゼンにもやもや… 探究学習に願うこと(今村久美)
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総合型選抜での大学合格者、初の10万人超え

 自分の好きなことを探究しながら学校生活を送り、これから取り組みたいことをアピールすることで、大学に合格できる。そういった「総合型選抜(旧AO入試)」が、いま大学入試で増えている。高校入試でも過去の経験ではなく、未来のビジョンを語る特色入試が始まった地域もある。

 文科省が今年1月に公表した、2022年度の大学入学者の選抜状況では、総合型選抜で合格をつかみ取った子どもが、初めて10万人を超えた。特に私立大学においては、いまの大学2年生のうち、7人に1人は総合型選抜で入学しているのが現在地だ。

 これまで推薦選抜は内申書をもとに学内で推薦できる生徒を決める形で、比較的、各教科の勉強や部活動をバランスよく行える子どもが合格をつかみ取りやすいものだった。一方で、教科学習ではそこまで点が取れないけれど他に秀でた力のある子どもや、毎日出席することが難しい不登校の子どもなどは、チャレンジしにくい入試となっていた。

被災地の子どもたちから始まった「マイプロジェクト」

 私が代表を務めるカタリバは、地域や身の回りの課題など、高校生が自分の関心を軸にプロジェクトを立ち上げ、実行する経験を通じて学ぶ「マイプロジェクト」に長年取り組んできた。

 最初にマイプロが始まったのは、岩手県の大槌町。東日本大震災で被災した高校生たちが、「私は、この町で何ができるだろう?」と、それぞれの興味関心を基にプロジェクトに取り組み始めた。

 ある子は、「被災して町の明かりが少なくなって暗くなったからこそ、夜空の星がよく見える」と星空ガイドに取り組んだ。津波で写真が流されてしまったというご家庭に、写真を撮ってプレゼントする子もいた。

 13年からは、そうやって探究やプロジェクトに取り組んでいる全国の高校生たちが集う「全国高校生マイプロジェクトアワード」という場を始めた。勉強全般が得意なわけではないけれど、やりたいことには目を輝かせる、そんな高校生たちとたくさん出会ってきた。

「探究」が広まった一方、「自分の言葉」で語る力は伸びているか

 そこから10年、近年、どうも気になることがある。きれいにまとまっているけれど、自分の言葉で話しているのか分からないような、個性がそぎ落とされたプレゼンを見る機会が、以前より増えた感覚があるのだ。

 起承転結がしっかりあって、論理的(風)な構成。どこか大人びた言葉で話す高校生たち。本人の考えや経験がそぎ落とされているように感じ、対話のラリーで深掘りしていくと、本人の感性で感じているささいな気付きや違和感の部分が、見えてくる。「そこをまさに語って!」と伝えたこともある。プレゼンテーションも先生の前で一言一句間違えないように練習してきたと言っていた。

 一方、先生たちに話を聞いてみると、22年度から高校での「総合的な探究の時間」が本格実施となったけれど、細やかに伴走してあげることもできないし、現場ではかなり手探りな状況のようだということも分かる。ついに5割を切ったとは言え、いま現在も大学入学者のうち49%は一般選抜である。

 入試に備えて学力も付けさせないといけないけれど、探究学習も両にらみでやらないといけない。総合型選抜を選ぶと、その対策で受験勉強がおろそかになるから、総合的な探究の時間は、面接指導に当てているという学校もある。そうしたプレッシャーの中で、先生たちも子どもたちも負担が増えてしまっているのが、今の学校なのかもしれない。

 こうした状況の中で、探究学習や総合型選抜の対策も、「このテンプレートどおりに発表しよう」と型をなぞる形で実施するしかない状況のところもあるようだ。

学校だけではなく、地域やNPOと協働した探究学習を視野に

 カタリバでも、こうした状況や学校の負担増をどうサポートできるのかと試行錯誤している。

 例えば、前回の記事で紹介した、「学校横断型探究プロジェクト」もその一つだ。オンラインを活用しながら、学校外の専門家や実践者といった教育資源を共有して、探究学習に伴走する。

 カタリバオンライン for Teensというサービスでは、全国の高校生が、切磋琢磨(せっさたくま)しながら探究活動をする機会に若いスタッフが伴走する。これも全て、無償で提供している(23年現在)。

 マイプロジェクトアワードでは、マイプロジェクトを行いたい学校のために、実施時に参考となるツール提供や、先進事例を学びつつ他校で探究を推進する先生同士が悩みを共有できる機会を提供している。パートナー登録は公立319校・私立156校で合計475校となった。

 カタリバだけではなく、地域内にも探究学習のサポートを実施しているNPOなどがあるかもしれない。学校だけではカバーしきれない探究学習については、地域の団体や民間と上手に協働していくことも一つの選択肢だ。

大人から見たきれいな表現じゃなく、その子らしさを

 カタリバで伴走したある中学生の女の子は、昨年冬に愛知県の特色入試で高校を受験した。最初はなんとなく「先生になりたい」と語っていた彼女は、自身の不登校の経験などと向き合いながら、「自分は『先生』という職業に限らず、人の心を支える仕事に就きたいんだ」と気付いていき、準備を進めた。彼女は手書きの絵が得意だった。壁新聞のようなものを作って、自分の経験をプレゼンテーションにまとめたいと、張り切って準備していた。

 しかし、中学校の先生からは「パワーポイントのスライドを使って、3枚にまとめないといけない。絵などを載せるよりも、起承転結を意識して、言いたいことを箇条書きにしたスライドに」と指導を受けた。私は本人が自由に表現して作った手書きの資料からあふれるパワーを、そのまま使った方が、彼女らしさを伝えられるのではないかと思ったが、学校の方針に横槍を入れるのは、彼女を混乱させると判断し、途中からはその方針で応援をした。

 彼女の話は「この職業に就きたい」とハキハキ話せる子に比べると、漠然としたものに感じたかもしれない。しかし彼女なりに、一生懸命に頑張ったと思う。取り組んだこと自体に価値があった。

 最終的にその選抜では不合格で、いまは別の高校で学んでいる。いまでも、手書きでまとめた自分の想いは、宝物だそうだ。結果はどうあれ、自分なりの答えを見つけたことは、今後またキャリアに悩んだときにも、支えになるかもしれない。

 表現が洗練されていなくても、その子自身が感じてきた葛藤やそこから生まれた何かを言葉にしていけるということ。大人に見せるためではない、自分のやりたいことを見つけていけること。それが子どもたちにとって、とても大切なことだと思う。

 制約も多い現場の中で、子どもたちが自分を知っていくプロセスをどう持たせていけるか、それをどう入試などにつなげていけるか、皆さんとも一緒に考えていきたい。

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