北欧を訪れたことのある人は、公共交通機関から劇場、図書館に至るまで、気持ちの良い空間が広がっていると感じたかもしれない。市役所のロビーに、北欧デザインの家具が無造作に置かれているのに驚いた人がいるかもしれない。このような北欧の暮らしの根底には、「話し合う」という生活文化がある。
北欧の暮らしはゆったりとしている。小学校では、広めの廊下にソファが並び、タブレットを手にした子どもたちが思い思いの姿で作業に没頭している。職員室は居間のような空間になっていて、オーブンやコーヒーメーカーを備えたキッチンが付いている。官庁にも工場にも、大学にもオフィスにも、働く人や学ぶ人たちが一息つくための家具があり、ローテーブルには果物が置かれている。そして、作業員だろうと学生だろうと、昼休みには大小のグループがあちこちでくつろぎながら、熱心に話し込む姿が見られる。
話し合いの文化は、就学前から始まっている。数年前、デンマークの森の幼稚園で「朝の会」を見学した。2歳から6歳までの10人くらいの子どもたちが、床の上に輪になって座り、週末の様子を報告していた。テレビでディズニー映画を見たことを、単語を並べて話そうとする2歳児の声に、みんながじっと耳を傾ける。6歳の子が「面白かった?」と尋ねると、2歳児の顔にぱっと笑顔が広がった。立派に話せた誇らしさと、伝わったことのうれしさ、そして認めてもらえた喜びが、いっぺんに表れたような表情だった。こちらまでにっこりしてしまう瞬間だった。改めて考えると、あなたに関心がある、あなたの話を聞いている、ということを、たった一つの質問で表現する6歳の子のファシリテーション力に、驚くほかない。
話し合いの生活文化は、「北欧モデル」と呼ばれる政治経済的な諸特徴からも説明できる。
1970年代以降、世界各国から社会科学者たちが集まり、北欧諸国に共通する点は何かを話し合ってきた。決して一つの見解に収斂したわけではなく、現在も議論が続いているが、オーフス大学のメアリー・ヒルソン教授は「北欧モデル」の特徴を次のように説明する。
第一に、多党制から成る議会制民主主義である。一党独裁ではなく、二大政党制でもないため、課題に応じたチームをつくり、連立政権を成立させる必要がある。
第二に、妥協による合意の政治である。多数派工作に終始する米国のワシントン型政治としばしば対比される。
第三に、話し合いによる労使交渉である。経営者と労働者が同じテーブルにつき、争議ではなく話し合いを通して問題を解決しようというスウェーデンの「基本協約」(1938年)の精神は、現在に引き継がれている。
第四に、福祉国家である。北欧諸国は、全ての人を対象に、公正かつ平等に、税によって維持される包括的な福祉制度を発達させてきた。
連立政権にも、妥協にも、労使交渉にも、話し合いが欠かせない。福祉国家の類型を論じたイエスタ・エスピン-アンデルセンは、このような政治経済がつくってきた北欧の福祉国家を、「社会民主主義レジーム」と呼んだ。これは、高所得者であれ低所得者であれ、市民権を持つ者であれば誰でも同じ権利を持つとするタイプの制度である。
北欧では、椅子取りゲームをしなくても、良い保育、良い教育、適正な職にアクセスできる社会を目指してきた。万が一失業しても、失業保険給付に加え、就業支援や職業訓練を受けられる。生まれつきの格差や不慮の災難は、自己の責任でもないし、家族で対応すべきものでもない。
ただし、社会民主主義レジームが成立するためには、前提が共有される必要がある。自分はたくさん働いたのだから他の人より優遇されるべき、という考え方はなじまない。特定のハンディキャップがある人、長く住んでいる人、あるいは競争の勝者に多くが配分されるべき、という考え方もそぐわない。公正で平等な福祉国家とは、誰もが安定した快適な暮らしを送る、という意味だからである。
2000年代以降、国を越える人の移動が増えている。多くの社会で、移民や難民など多様な背景をもつ人々と共に暮らす社会が当たり前となった。市民権とは何か、言葉や文化をどれだけ理解すれば良いのか。福祉国家の再編期にあって、北欧諸国は、新しく市民となる人々とともに、学校教育や職業訓練、成人教育や生涯学習、就労支援の制度を、さらに発展させようとしている。妥協と交渉を重ねながら、話し合う生活文化を維持しようと、「北欧モデル」のアップデートは、現在も進行中である。