日本の学校が抱える問題に「ブラック校則」がある。社会常識から考えて信じ難い校則もまだ存在する。一部の学校では校則の見直しや、改訂に際して児童生徒の意見を取り入れる動きもみられるが、この問題が解決したとは思えない。社会は「多様性」と「個性」を求める動きが強くなっているが、依然として学校が「画一性」と「管理」を重視する傾向に大きな変化はない。
海外のメディアは、こうした日本の「ブラック校則」をどう報道しているのだろうか。『ワシントン・ポスト』紙が、この問題を取り上げた記事を掲載している(2021年3月14日、「Black hair, white underwear: A battle resumes over Japan’s school rules」)。掲載は21年だが、「ブラック校則」を巡る状況はその後も変わっていない。同記事は「日本には『規則が存在すれば、それに従わなければならない』という言葉がある。しかし、間違いなく、何のためか分からない、人々を対立させる、残酷な校則が存在する。生徒に直毛の黒髪でなければならないと強制する校則も存在する」と紹介している。
さらに「校則は反抗的な生徒が髪を染めたり、パーマをかけたりすることを禁止している。また、それ以外にも、デートの禁止や、白い下着を着けなければならないといった校則などがある。その結果、差別を助長し、生徒の個性をつぶし、硬直的な調和をもたらしている」とも書いている。良く知られた問題点であるが、海外のジャーナリストによって指摘されると、違った感覚を抱くだろう。
しかし、こうした「ブラック校則」は日本の学校に限ったものではない。英国の新聞『The Sun』は、高校の制服を巡る問題を報じている(1月9日、「Uniform Crackdown Parents blast ‘draconian’ school rules after girls put in isolation over length of skirts」)。
同記事は「生徒の両親が、制服に関する校則を破った生徒を隔離する方針は間違っているし、妥当ではないと非難した」という事件を取り上げている。マンチェスターにあるストレット・フォード高校で起きた事件である。同校の女子生徒が丈の長いスカートを履いていたとして隔離措置を取られた。同校の校則では、スカートは黒かグレーで、丈は膝までと決められている。この校則に反した女子生徒は、他の洋服に着替えるか、学校が準備している新しいスカートに着替えるように求められた。だが女子生徒は従わなかったために、他の生徒から隔離された。
女子生徒の母親は「この校則はあまりにも厳し過ぎ、娘が着ていたものが不適切かどうかとは無関係だ」と語っている。隔離期間中、女子生徒は授業を受講できなかった。母親は「娘は非常に内気で、自分の体に関してセンシティブだ」と、個人的な状況を無視した校則を批判し、「認めることができない校則がある学校には娘を通わさない」と語っている。
他の女子生徒の母親もスカートの丈の規制に反して、「私の娘は背が高く、足も長くて、大きいサイズのスカートは合わない」と、校則の不当性を訴えている。母親によると、服装が不適切だとして処罰されたケースは27件あった。
「ブラック校則」に含めても良いと思うが、体罰に関する校則もある。米国の『USA Today』はミズーリ州の高校で起こった「体罰(corporal punishment)」問題を報じている(昨年9月1日、「Missouri school district made headlines for bringing back spanking. But the practice is still legal in over a dozen States」)。
同紙によれば、同州のカスヴィル学区は2001年に禁止していた体罰を「復活させる」と発表し、全米の関心を呼び、批判を浴びているという。同学区は「他の全ての規律を求める措置が失敗し、校長の承認を得た場合のみ妥当な形で体罰を加えることができる」という方針を明らかにしている。同学区の説明によれば、体罰は具体的にはヘラで尻を1~2回たたくというものである。
1977年に米最高裁は、体罰は憲法違反であるとの判決を下しているが、体罰を認めるかどうかは各地の教育委員会の裁量に委ねている。現在でも南部や西部の19の州では体罰は合法と認められている。体罰を禁止している州は25州である。ただ私立学校に関しては、ニュージャージー州とアイオワ州の2州を除き、全ての州で合法とされている。2017年から18年の間に体罰を受けた子どもの数は7万人に達している。その中で女子と黒人、障害のある子どもが受けた体罰の比率は白人男子より多いというデータもある。人種差別、性差別が社会の底辺に現在も厳然と存在している米国社会の現実を示す例の一つだ。
教員向けウェブサイト「We Are Teachers」は、生徒だけでなく、教員に対する「ブラック校則」が存在していると指摘している(昨年6月29日、「The Craziest School Rules for Teachers, Yes, These Actually Exist!」)。正確に言えば、学校内での「暗黙のルール」である。
同記事は教員に対する「ブラック校則」として12の規則を列挙。「教員は低賃金、長時間労働、高い期待、難しい生徒の両親といった問題以外にも、校長どころか、小さな独裁者が作ったと感じるようなルールが存在している。こうしたばかげたルールが、教員の生活をさらに難しいものにしている」と書いている。
簡単に内容を要約する。最初のルールは、やたらに教員に積極性を求められる(toxic positivity)ことだ。その結果、校内で不平不満を述べることは禁止されている。2つ目は、コーヒーを飲むことが禁止されている。3つ目は、厳しい駐車規制。4つ目は、出勤の時、授業が始まる前に校長にあいさつしなければならない。5つ目は、朝の教員会議は7時半に始まるが、それを過ぎると校長は会議室の鍵を掛ける。会議中に拍手するのは1回に限られる。6つ目は、時間外で働くことが禁止されており、残業しても申請できない――などなど。紙幅が尽きたので、ご興味のある読者は直接サイトをご覧いただきたい。
学校では知育だけでなく、情緒教育、社会的規律や社会道徳など、多様な事柄を教えなければならない。学校運営も円滑に進める必要がある。そんな状況の下で、一人一人の生徒と向かい合うのは大変だ。ならば、できるだけ詳細な校則を作れば、“より簡単”に児童生徒を管理することができる。そうした状況が「ブラック校則」ができる背景にある。
だが最大の問題は、教員が生徒指導に自信がないことだ。規則の妥当性、時代の変化を考慮することなく、「規則は規則だから守れ」という権威的な態度で生徒を押さえ付けるのは、決して教育的とはいえない。