米国の第95回アカデミー賞(2023年)で映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の監督賞と脚本賞を受賞した、映画監督兼俳優のダニエル・シャイナート(Daniel Scheinert)氏。最初に脚本賞を受賞した際の同氏のスピーチでは「僕の人生を変えた先生たちは、ほとんどが公立学校の先生」と教師たちに謝辞を述べ、自身が通っていた公立学校の教師たちの名前を実際に挙げた。そのことで、学校教育者たちをはじめ、多くの米国メディアでこの受賞スピーチが話題になった。スピーチで名前に挙がったシャイナート氏の恩師たちに、同氏との思い出話や教育観などを聞いた。
アカデミー賞の受賞スピーチで子どもの頃にお世話になった学校の教師の名前を挙げて感謝する姿が注目された映画監督兼俳優のダニエル・シャイナート氏。公立校の教師たちに触れたスピーチの部分は次の通りだ。
「僕は子どもの頃、賞をもらって、兄と僕に居残りをさせた先生たちを叱り飛ばすという妄想をしていましたので、ここに紹介します、というのは冗談ですが。僕の人生を変えた先生たちは、ほとんどが公立学校の先生です。ダンミエ先生、トゥール先生、ハドソン先生、チェンバース先生、ジョージ先生……、あなた方は僕を教育し、僕を刺激し、僕に恥をかかせないように教えてくれました」
シャイナート氏は、アラバマ州バーミンガムで生まれ育った。現在35歳(1987年6月7日生まれ)。高校卒業後は、ボストンのエマーソン大学で映画を学び、学友のダニエル・クワン氏と2011年から監督・脚本家コンビ「ダニエルズ」として活動を開始した。当初は、ミュージックビデオや短編映画を一緒に作るところから始まったという。映画『スイス・アーミー・マン』で長編映画監督デビューを果たし、サンダンス映画祭やシッチェス・カタロニア国際映画祭で脚光を浴びた。今年のアカデミー賞で自身が監督賞と脚本賞を受賞した作品は、長編としては2作目だった。同作は、自身の受賞のほか、作品賞や編集賞など計7部門を受賞するという快挙だった。
受賞スピーチでシャイナート氏が言及した教師たちは、どのように才能ある彼を教え導いたのか。小学校のケイ・ダンミエ(Kay Dummier)元教諭、高校のクリスティン・ジョージ(Christine George)元教諭、高校のマーティン・チェンバース(Martin Chambers)元教諭に話を聞いた。
「私は1999年に10歳だったダニエル(シャイナート氏)に、4年生(日本の小学4年生)の教師として、音楽、美術、体育を除く、リーディング、算数、アラバマ州の歴史、理科など、全教科を教えた」というのはダンミエ元教諭。
27年間の小学校教諭の仕事を終えて退職した後も、現在、同校で事務の仕事をパートタイムで務めるダンミエ元教諭。シャイナート氏が脚本賞を受賞した際のスピーチを聞いた時のことを、「ダニエルが授賞式に出席することは知っていたので、パズルをしながらテレビの音声を聞いていたら、脚本賞が彼の映画に贈られたと聞こえて、テレビの画面に目をやると彼がスピーチを始め、そして私の名前を言ったのを聞いて仰天した。私の名前を言ったとしても言わなかったとしても、私は彼を誇りに思う。彼が全国放送で、公立学校の教師について肯定的な発言をしてくれたことがとてもうれしかった。今すぐにでも彼を抱き締めて、全国放送で公立学校の先生を認めてくれたことに感謝したい」と感激する。
「明るくて幸せで、すてきな子だった」と、ダンミエ元教諭はシャイナート氏について記憶をたどる。シャイナート氏のような天才少年を指導するにあたって、ダンミエ元教諭に具体策を聞くと、「彼らがギフテッド教育に進むために引き抜かれるかもしれないと分かった時、教室では特別扱いをしなかった。なぜなら、全ての児童はゆくゆく全てを学ぶわけで、『ギフテッド』の彼らは他の児童より早めに勉強を進めていくだけだから。しかし、彼らは教室全体を活性化させるような答えを返してくるので、私は才能ある児童が教室にいることをとても楽しんだ」と明かす。
「私の教育における哲学は、私が必要とする方法ではなく、子どもたちが必要とする方法で教えること。子どもたちをありのままに受け入れ、愛情を注ぐ」とダンミエ元教諭は話す。
「ダニエルに感謝されて、何が良かったのか、と思った。『好きな先生だった』と言ってくれる他の元児童たちもいる。教師という職業をずっと楽しんできたことが、実は良いことだったのかもしれない」。
シャイナート氏が成功した理由については、「彼は創造的で、勤勉で、明るい少年だった。これらの属性を全て使えば、どこかにたどり着くことができる。彼は明らかにそうだ」と考える。
ジョージ元教諭が教壇に立っていたのは「ジェファーソン郡のインターナショナルスクールの国際バカロレア校(Jefferson County International Baccalaureate program at Shades Valley High School)」。25年間、教師として働き、2015年に退職した。
シャイナート氏は同校で高校時代の4年間(日本の中学3年生~高校3年生にあたる学年)を過ごした。「国際バカロレア(IB)は、グローバルな視点で世界を見ることができる教養ある問題解決者を育成するプログラムのことで、この学校はもともとギフテッド教育のための学校。ダニエル(シャイナート氏)は05年の卒業生で、私は彼にフランス語を4年間教えた」とジョージ元教諭。IBプログラムの生徒は全員が4年間、外国語を学ぶ必要があり、シャイナート氏はフランス語の成績が優秀だったという。「4年間の外国語学習は、異文化を垣間見ることができ、グローバルな市民と熟練したコミュニケーターになることを目指す教育だった」ともいう。
ジョージ元教諭は「私は、自立した学習者、知識の愛好家になるように生徒を育て、励ますことが目標だった」と語る。生徒たちが自分の知識を使い、実践し、伝えるための方法を見つける自信を持てるように教壇に立ったという。「生徒たちは、ただ『教えられる』のではなく、自発的に言語を学ぶことで成長していく。私は、生徒たちが自立的に学ぶことができるように常に努めていた」と説明する。
「1年生の時からダニエルは授業中、常に最高の態度で臨み、努力家だった」とジョージ元教諭は当時を振り返る。「受賞スピーチを聞いていた時、思わず笑ってしまった。高校生の時から変わらず、人と違う彼らしいと感じたから」と明かす。
授業の初日にジョージ元教諭は、フランス語に親しみを持たせるために、生徒たちにフランス人の名前を選ばせてお互いを呼び合うようにしていたが、シャイナート氏はフランス語でチーズを意味する「フォマージュ」と呼ばれたがったという。「物の名前ではなく、人の名前を選んでね」とダニエルに笑いながら語り掛けたが、『これがダニエルの個性なんだ』と思い直し、『チーズを食べることはフランス人の国民性を表しているからいいわね』と私がダニエルに言うと、彼は笑顔でうれしそうにしていた」と、ジョージ元教諭はシャイナート氏との思い出を語る。
「ダニエルが成功したのは、カミソリのような鋭い集中力、先天的な独創力、豊かな発想力を発揮しているからだろう」とジョージ元教諭は考える。
「01年から03年までの2年間、ダニエル(シャイナート氏)が9年生と10年生(日本の中学3年と高校1年生)の時に教えた。当時、私は11年生と12年生(日本の高校2年生と3年生)に『IB(国際バカロレア)哲学』の授業と、9年生と10年生(日本の中学3年生と高校1年生)に『プリIB』の授業を担当していた。ダニエルには『プリIB』の世界史と人文科学の授業を教えた」。
そう話すのは、40年間教師を務め、20年10月に退職した、「ジェファーソン郡インターナショナルスクール国際バカロレア校(Jefferson County International Baccalaureate program at Shades Valley High School)」のチェンバース元教諭。
自身もギフテッド教育を受けた経験を持つ。ギフテッド教育で修士号を取得し、創造的プロセスの開発と応用に重点を置き、好奇心旺盛で創造的な思考を持つ人を育てることに主眼を置いていた。「私は学部と修士課程の大学を早く卒業し、22歳の時に公立学校のギフテッド教育プログラムの生徒を教え始めた」という。
前述のダンミエ元教諭と同様に、チェンバース元教諭もシャイナート氏の受賞スピーチについて、「私が最も驚いたのは、ダニエルが、公立学校の教師という存在をスピーチで認識させることで、その存在をアピールすることを計画し、意図していたことが明らかだったこと。私の名前が他の先生方と一緒に出てきたのはありがたかったが、他の先生方や公教育に関する全体的なメッセージの方が重要だと思った」と述べる。
シャイナート氏の当時の授業の様子について、「ダニエルの授業態度は、常に尊敬に値するものだった。人文科学の授業で調べた文化のあらゆる側面を楽しみ、完全に吸収しているようだった。ダニエルは確かにエネルギッシュで、人によっては活発過ぎると言う人もいるかもしれないが、問題は何もなかった。彼はたくさん質問があり、それらは洞察力に富み、物事を受け止めて普通の人とは異なる方法で処理する才能を示していた。ダニエルは間違いなく、私がこれまで教えた中で最もクリエーティブな人物だ」と褒める。
「彼が際立っていたのは、頭の中で自然に疑問を持ち、操作し、変化させた結果、同時にさまざまな視点から世界を見ることができていたことだ」とチェンバース元教諭。
「知識が増えれば増えるほど、自分がいかに多くのことを知らないかということに気付くはず。答えは想像力の行き詰まりを招き、さらなる可能性を検討することを止めてしまうのに対して、質問は創造的な領域へと人を開放し、知性は『新鮮な目で見る』ということを可能にする」というのがチェンバース元教諭の教師としての哲学だと話す。
「ダニエルにとって、上記のことは自然なことだったようだ。一見小さな状況でも、好奇心旺盛に調査し、さらに熟考する源となる。単純な答えで満足するのではなく(だから終わりというのではなく)、彼の目には、直面するアイデアや状況を多方向から探求する姿が見えるようだった」と分析する。
シャイナート氏のようなギフテッドの生徒の指導法を聞くと、「才能ある生徒たちとの交流は、知的信頼感を確立することだった。最初、アートや個人的な反応や哲学的な事柄に対する自己表現の自由を与えられた時、多くの生徒たちはどのように反応したらよいのか分からない。私は、文章を書く時やプロジェクトを行う時に、自分自身の『パーソナルボイス(自身の声)』を開発するように生徒たちを励ました。同時に、自分の考えをできるだけ明確に他人に伝えられるように、自分の思考の内面を探求することの重要性も強調した」と答える。
具体的には、生徒の個人的な考えや個人的な反応に対して、一方的に判断や批判をしないアプローチを行った。その代わり生徒が感じたこと、考えたことの理由を、自分自身の内面を掘り下げることに務めた。「そうして初めて、生徒たちは自分の考えを明確に他者に伝えることができるようになるのだから」と説明する。
「ダニエルの在学中は、1クラスの平均人数が20人前後だった。教師生活の最後の方では30人台になっていたが。生徒一人一人のニーズや能力に対応するためには、クラスの生徒数によって大きな違いが出てくる。ダニエルは、何をするにもユニークなところがあった。その違いが国際バカロレア校で発揮され、先生や仲間から感謝された。しかし、一般的な高校の環境では、彼の才能が評価されたり、開花したりしたとは思えない」と明かす。
シャイナート氏が成功した理由について意見を聞くと、「教師の立場から言わせてもらえば、ダニエルが成功したのは、公立学校と大学での経験を通じて、彼の超並外れたレベルの創造性と個人の意欲が奨励され、開花させられたからだろう」と述べる。
チェンバース元教諭は、4年前にシャイナート氏が地元で映画の撮影をした際に会ったという。その時の印象について、「親しみやすく、気取らず、意識も高く、マルチタスクの達人という、基本的な部分は以前と全く変わらないように見えた。ダニエルは非常にストレートで、一緒に仕事をするのが楽しく、気取らない性格を維持しており、それが彼の成功の重要な部分であることが分かる」と教師らしい洞察力に富んだ分析を述べた。