目の前の子どもを理解し、適性に見合う情報を探し出して提供できれば「選んだ道は全てキャリアにつながっていく」と話す「親子キャリアラボ」代表の奥貴美子さん。「数や形に興味があるから理数系、理数系なら医療系」といった単線的な見方では、子どもに畑違いの進路や職業を選ばせてしまうと指摘する。「その見本が私自身」と語る奥さんに、自身の歩みとキャリア教育の在り方について聞いた。(全3回)
――子ども時代に抱いた「バイヤーになりたい」という夢について、周囲はどのように見ていたのでしょうか。
親には「浮世離れした仕事」だと一蹴されてしまいました。資格を取得でき、祖母宅から通えて今の成績で現役合格できる大学もしくは専門課程に進んだ方がいいと言われ、臨床検査技師の資格が取れる3年制の医療系短期大学(現在は大学)に進みました。条件に見合う最適解を選ぶというコスパ精神は、私が親から受け継いだ長所だと後々になって思えるようにはなりましたが、当時は親や先生が納得する進路を選んだとしか思えませんでした。
――医療系に進むきっかけとなる経験などもなかったのでしょうか。
全くなかったですね。「看護師より条件が良いかもしれない」くらいのイメージだけで選んでしまいました。その結果、大学の授業が全然頭に入ってこなかったんです。もともと私はファッションやライフスタイル、旅、本といった文化に親しみを感じていたのに、動物実験や細胞培養など真逆の世界に行ってしまいました。ただ、性格が負けず嫌いだったですし、親の願いもかなえてあげたかったので一生懸命に頑張りました。
でも、興味がないからどんなに努力しても内容が理解できないんです。何度も大学をやめたいと思いましたが、親から「卒業したら好きなことをすればいい」と説得されて、最終学年に上がるまではなんとか頑張りました。そうしているうちに、同級生すら自分の敵に見えるようになってしまったんです。授業中に過呼吸で倒れたこともありました。せめてもの報いで卒論のテーマを「ストレス」にしてみたところで、苦しい状況は変わりませんでした。
親の願いがかなえられない以上、もう親子の縁を切って一人で生きていくしかない――。そんな心の叫びが爆発したのが 3年時の最終試験の日でした。この日のために勉強してきた同級生が真剣に試験に取り組む中、私は何もせずに試験をボイコットしました。学校中が騒ぎになり、問い詰められたところで「私は入学したときから、臨床検査技師になんてなりたくなかった。でも親は絶対に許してくれないから大学をやめるんだ!」と、初めて自分の思いをぶちまけたのです。
すると、附属病院の副院長をしていた先生に「縁というものは切っても切れるものではない。ご両親に説明をして許しを得るまでは、学校はあなたをやめさせない」と諭されたんです。こちらは試験をボイコットしてまでやめたいと言っているのに、学校がやめさせてくれない。もうどうしようかと思っていると、その先生が「ご両親を説得する方法を一緒に考えよう」と自分の思いを伝える方法や、どんなふうに伝えればいいかを一緒に考えてくれました。
案の定、両親からは厳しい言葉を浴びせられましたが、副院長先生のおかげで親子の縁は切らずに中退することができました。そこから先は「いつ死んでも悔いの残らない生き方をしよう」と決心しました。多くの若者は楽しい大学生活を謳歌(おうか)すると思いますが、私にとっての大学時代は、人生や愛について最も考えた時期でした。ただ、親も先生も悪くありません。進路や将来といったことへの情報を持ち合わせていなかっただけなんです。だからこそ、その役割を自分がしたいと思うようになったのでしょう。
――大学を中退した後は、どのような道に進まれたのですか。
バイヤーになるなら海外経験が必要だと思い、留学を目指しました。アルバイトをしながらコツコツとお金をためていたのですが、見かねた母が3カ月分の語学留学費用を出してくれました。そこから留学し、延長を重ねて約3年間、英国で過ごしました。
英国はアンティークの本場です。毎週3回ほど早朝からアンティークマーケットに足を運び、相場感を勉強したり売買するときの専門用語を学んだりしました。美術館にも通い、アンティークショップでアルバイトもしました。同級生や知り合いにも「アンティークのバイヤーになりたい」と口癖のように話していました。
そんなある日、友人の留学生から「父がアンティークの仕事をしているので、ロンドンへ来たときに手伝ってほしい」と相談されました。すかさず「現地ガイドをします」と引き受けました。また、クリスマスシーズンには憧れのインテリアショップを訪ね、「お金は要らないからクリスマスのデコレーションを手伝わせて」と直談判しました。「この子、いったい何?」と思われていたとは思いますが、とにかく楽しく充実した日々でした。
――自分の夢をかなえる第一歩を踏み出したのですね。
日本に戻ってからは、英語力や交渉力を生かして自治体の国際交流事業のスタッフとして働きました。子どもたちに英語を教えたり、米国のシアトルへ引率する仕事を担当したりしました。帰国後すぐにはアンティークショップを開くめどが立たなかったからです。でも、海外とのつながりを生かし、子どもたちに海外体験をさせる手助けができるのは楽しく、これも「好きを仕事に」する生活だったと言えます。
それでも、海外からの買い付けなど挑戦したいことがたくさん残っていた私は、ある時、今の仕事の給料だけでは実現できないことに気付きました。そこで、広島に移って成果報酬型の営業の仕事を始めました。電話営業のマニュアルを作成してそれを社員に広めるなど、マネージャー的な立場になったこともあります。
そうした日々の中で、だんだんと私の得意分野が「目の前の人に合わせて会話し、相手の良さを引き出して情報を提供する」ことだと自覚できるようになりました。その後、結婚・出産を経て、英会話教材の販売会社で仕事を再開しました。ここではショールームでカスタマーサポートや商品説明を行うマネージャーとして、約7年間勤めました。
どんな場所でも自分の得意なことを生かせるようになったのは、自己理解が深まったからでしょうか。次第に現在の活動である子ども向けのキャリア支援に近づいていったように感じます。
40歳を機に起業すると決めていたので、30代後半からはどのような形で起業するのがよいか、情報収集を始めていました。周囲によく言われたのは「2~3年は生きていけるだけの資金を準備すること」と「実績を積むこと」です。その後、フリーマーケットから小売業で起業した経営者に会って話を聞いたり、県や市が補助する創業者向けの支援を受けたりする中で、特に大金やバックアップがなくても起業はできるのだと理解しました。
【プロフィール】
奥貴美子(おく・きみこ) 山口県岩国市出身、広島市在住。英国でフリーのアンティークバイヤーとして活動、帰国後は海外派遣事業の引率や英会話教材の販売などの職歴を経て、2014年に起業。パーソナリティー分析と才能分析において独自のメソッド「13の視点からの才能発見」を開発し、現在まで多くの進路選択・職業選択・職業創造をサポートしている。(一社)職業セレクト研究所所長、親子キャリアラボ代表。日本で唯一の自己理解スペシャリスト。通称・クッキー先生。