筆者は長年、米国の政治、社会、経済などの問題に関する研究を続けてきた。研究を通じて感じるのは、米国では公的機関にとどまらず、民間の研究機関、調査機関も優れた調査報告を次々と発表していることだ。そうした調査データに基づき、極めて客観的に議論がされている。膨大なエネルギーを投じて、データ整備が行われている。この点に関して日本は大きく後れを取っていることは否めない。今回、3つの教育問題に関する調査を紹介する。
まず7月10日に発表されたNWEA(Northwest Evaluation Association)の「New NWEA Study Shows Progress Toward Academic Recovery Stalled in 2022-23」である。NWEAは、小学校から高校の成績評価を作成する非営利団体だ。2つ目の調査報告は、同じく7月に発表されたアリゾナ州立大学の研究機関CRPE(the Center on Reinventing Public Education)の「Teaching recovery? Three years in, school system leaders report that the pandemic weaken instruction」。3つ目は、13歳の生徒の数学と読解力の長期的な推移の調査を行っているNAEP(National Assessment of Educational Progress)の「Scores decline again for 13-year-old students in reading and mathematics」である。
コロナ禍は教育に重大な影響を与えた。感染が収まり、学校は正常な状況に回復しつつあるが、上記の調査結果を見る限り、完全なる回復には程遠い。また短期的な影響にとどまらず、危機の背景には長期的な要因も存在していることが明らかにされた。
CRPEは「調査に参加した学校はいずれもコロナ禍の影響からの、授業の復興計画を実行するのはほぼ不可能だと答えている」と報告し、その要因として、「教員不足」と「教員の訓練不足」を挙げている。一般的には、コロナ禍で授業数が減ったことが学習能力の低下の原因となっていると考えられているが、同報告はそれ以上に「教える側の要因」を指摘していることが注目される。アリゾナ州立大学のロビン・レイク教授も「コロナ禍で学修能力(learning)が低下したことは誰もが知っているが、それ以上に教え方の能力(teaching)も低下している」と分析している。ただ、同教授は「この調査結果は教師の責任を問うものではなく、最近の生徒の成績の低下を説明しているものだ」と、全ての責任を教員の側に押し付けるべきではないと語っている。
NWEAは、3年生から8年生の670万人を対象に調査を行っている。同調査の結果、2022~23年の学年歴では子供の学習能力は少し改善したが、ほとんど全ての学年でコロナ前の水準を大きく下回っていることが明らかになった。コロナ世代とそれ以前の世代の間の学習能力ギャップは縮小していないどころか、逆に拡大している。同調査は「数学能力を回復するには追加的に4.5カ月、読解力では4.1カ月の授業が必要」であり、「この差を1年で埋めることはできず、数年はかかる」と指摘している。学校担当者はこの結果は「予想外で、危機的だ」と語っている。
CRPEは、調査の目的を「学校の指導者やスタッフが生徒の学習時間のロスにどう対応しているかを明らかにする」としている。その中で最大の課題は「教室での教え方の質の危機(crisis of classroom teaching quality)」であると指摘している。教え方の質の低下によって、多くの時間と資源が奪われ、教室での指導が十分に行えない状況になっていると述べ、教員の能力回復が重要な課題になっていると分析している。多くの学校は、時間と労力を教員のコア・スキルの再構築に向けざるを得ない状況が起こっているとも指摘している。
NAEPは13歳の生徒の数学と読解力の能力の長期的なトレンドを調査している。22年10月から12月に行われた調査の結果では、平均的な読解力は19年に行われた調査よりも4ポイント、数学では9ポイント低下していることが明らかになった。これはコロナ禍の短期的な影響にとどまらず、10年前と比べて読解力で7ポイント、数学で14ポイントも低下している。学力の低下は、コロナ禍の影響にとどまるのではなく、長期的な傾向となっている。
『ニューヨーク・タイムズ』紙は、こうした調査報告を踏まえて、「教え方の質の低下」が問題であると指摘している(7月19日、「The quality of American teaching has declined, study says」)。同記事は「学校は教師不足や教師の能力不足を補うために、教員派遣会社に依存し、膨大な費用をかけているが、ほとんど成功していない」と説明している。優れた教員を引き留めるためにボーナスを支給するなどの対策を講じているが、成功していないとも指摘している。また代用教員不足の結果、教員に対する十分な訓練の時間が取れない現実を紹介している。
さらに教員の能力の低下に言及し、的確に指示を与えないままに生徒をグループ分けしたり、パワーポイントなどのスクリーン教材に不必要に依存したり、学年で要求されるよりも程度の低い内容のテキストを使用したりしているといった教室の現状を指摘している。
さらに学校環境の悪化も教育の質の低下を招いている。多くの教員は成績の悪い生徒に対する対応に追われ、近隣社会の暴力問題の深刻化で、生徒だけでなく、教員まで学校を休む事態も起こっている。同紙は、そうした事態が学習を阻害(derailed learning)していると指摘している。
同紙は、米国最大の教員組合American Federation of Teachers(アメリカ教員連盟)のランディ・ワインガルテン会長の発言を紹介している。「教員は子供たちが回復し、成長するために全力を尽くしている。しかし、パンデミックの影響で基礎が崩れ落ちている。今、私たちがしなければならないことは、裏付けのある戦略と解決策の適用に明確に焦点を当てることだ」。