【行列のできるアートスクール】 不登校は命を懸けたデモ

【行列のできるアートスクール】 不登校は命を懸けたデモ
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 コロナ禍の悩める大人を対象に2021年にスタートした活動が、不登校の子を持つ親の活動拠点「トーキョーコーヒー」として全国に広がり続けている。主宰する吉田田タカシさんは「不登校24万人は、子どもたちの命を懸けたデモだ」と指摘し、そこから大人が何を学ぶかが重要だと訴える。インタビュー最終回では、現状の社会情勢を踏まえ、学校や社会に寄せる期待を聞いた。(全3回)

全国に広げることで大人の意識を変えたい

――21年に活動がスタートした「トーキョーコーヒー」は、拠点が全国で270カ所に上るなど、すごい広がり方です。

 「トーキョーコーヒー」は、畑仕事でも料理でもダンスでも何でもいいので大人が集まって楽しむ場所です。大事なのは、子どもはその近くにいて見ていてほしいということ。そこで大人と一緒に何かを作った経験を通じ、家庭の悩みとか不安とかをみんなで話し合いながら「学校に行くことが全てじゃないよね」とかいった言葉がたくさん出てくればいいなと思っています。

――拠点は誰でも開くことができるのでしょうか。

 拠点をスタートするだけなら、入会金を納めて動画を見てもらうだけで大丈夫です。その後は毎月のオンラインサロンや全国の拠点が交流するカンファレンスがあり、そこで教育について話を聞いたり、意見交換したりすることができます。拠点同士が友達になって訪問し合うこともあるようですが、「こうしなさい」というものは全くありません。

 これまでも、不登校の子を持つ親同士が集まる場はあったし、長年フリースクールを運営されてきた素晴らしい先輩方はいくらでもいます。でも、そういう場所に通うには、その近くに引っ越すしかありませんでした。

学校は正解信仰を捨てるべきだと話す吉田田さん

 だからこそ、ただ場所をつくるだけじゃなくて、全国に展開することでムーブメントを起こし、大人の意識を変えることが大事だと考えたんです。そこがこれまでと違うやり方だったと思います。子どもに一番見てほしいのは、不安そうにしていない親の顔なんですよね。子どもが夫婦げんかする両親の姿を見るのは、自己肯定感を下げることにつながります。

 子どもが学校に行かなくなったとき、かつての親は自分の子育てを責めるか、担任や学校を責めるかの二択でした。でも、今は全国に24万人もの不登校の子がいます。それは、学校が子どもに選ばれなくなったことの表れだと思うんです。なぜ、学校がそんなにワクワクしない場所になってしまったのか。それは前回も話したように、学校が正解信仰を捨てられていないからです。みんなが同じ正解を求める教育は、すでに役割を終えていると思います。

 でも、本当に悪いのは大人の無関心なんです。先生とか学校とか文科省とか政治とかの問題ではなく、一人一人の市民が教育について考え、議論しないとこの国の未来は危ないと思っています。

 今、24万人の子どもが声を上げている。これはストライキやデモだと思います。大人はその状況をどう受け止めるのか。今の教育が限界に来ていることを子どもたちが命懸けで叫んでくれている。大げさに言っているのではなく、毎年4月や9月には子どもの自殺が報じられるように、学校が始まる時期に子どもが死ぬような国でよいのか。命懸けで声を上げている子どもたちから大人が学び、教育をどうしていくのかを市民レベルで話し合うべきだと思うんです。

ゆとり教育というチャンスを誰もうまく使えなかった

本当に悪いのは大人の無関心だと指摘する

 「次の未来は自分でつくる」という意識を大人が持たない限り、教育は変わりません。政治任せにすると、「ゆとり教育」みたいになってしまいます。

 「ゆとり教育」は本来、生まれたゆとり時間で文化やアートを学んだり、社会的な学習の時間に充てられたりするはずだったのに、「早く帰ってきたから早く塾に行け」みたいなことになってしまった。それで失敗のレッテルを貼られ、せっかくのチャンスを誰もうまく使えずに終わってしまいました。それがなんとも悔しくて。やはり政治頼みじゃなく、市民レベルで話し合っていく必要があります。「トーキョーコーヒー」ではそうした文化をつくりたいと思っています。政治を変えるのは戦いですが、文化を変えていくのは楽しいと思うんです。

――「トーキョーコーヒー」で、次のステップとして考えていることはありますか。

 学校の先生はスーパーが付くほどブラックな職場で働いていて、子どもたち一人一人を見られるわけがありません。だから、もっと学校に市民が入っていけるように働き掛けたり、PTAや教育委員会と話し合ったりして、市民が雑務を手伝えるようにできればいいなと考えています。

「美術準備室をコワーキングスペースに」と提案する

 例えば、美術準備室をコワーキングスペースみたいにして、そこでデザイナーが仕事をするなど、いろいろな人が学校の空きスペースで働けばいいと思っています。そうしたことも「トーキョーコーヒー」の活動を通じて働き掛けていきたい。実際に、学校の中に「トーキョーコーヒー」をつくっていいよと言う校長先生がいたりして、そういう動きが出始めています。

――そもそも、吉田田さんがアートや美術に目覚めたきっかけは何だったのですか。

 逃げて逃げて、たどり着いたのがアートという感じです。僕は小学校の頃から、順番に暗記していくとか、同じ漢字を20個書くとか、そういったことがすごく苦手でした。人としてプライドを傷つけられているような感覚があったんです。

 でも、「勉強ができないと幸せになれない」というような圧の中で生きている限り、絶対にそこから逃れられません。それでいろいろと調べたら、芸大というのがあるらしいと知りました。そんなに勉強しなくても実技だけで受験できる推薦入試があることも分かり、そっちへ逃げてアートにたどり着いたような感じです。

トップアーティストは、他の誰とも違うことを磨いた人たち

――バンド活動も、そうした経緯でされているのですね。

 バンドを続けていたら、日本で最も大きなロックフェス「フジロックフェスティバル」に出ることができました。フジロックは楽屋が選手村みたいな感じで、超が付くほど有名なアーティストがたくさんいるんです。そういう人たちって、自分が他の誰とも違うということを磨いてきた人たちです。みんなと違う生き方を選んできた結果として、そのステージに立ち、みんなから称賛を浴びているんです。

 そういう光景を見た時、音楽やアートは社会とは別の物差しで測ってもらえる場所なんだと再認識しました。人間を学力だけで数値化して測るのは本当にもったいないし、子どもたちが自信を失わないようできることを伸ばしていけば、どこかで大きなステージに立てるときが来るかもしれません。

 小学校の頃の自分みたいに、周囲から「変なやつ」と思われるような人は、そのことで苦しむなどしています。言い方はおかしいけれど、せっかく「変なやつ」なのに、せっかく面白い個性を持っているのに、苦しんでいるんです。

 みんなと同じようにできないことが苦しみに変わるような社会では、この先の日本は先進国として生き残っていけないんじゃないでしょうか。みんなと違っていることを武器に変えていくべき時代なのに、教育が追い付いていないことが悔しい。学校教育の制度が全国にちゃんと行き渡っているんだから、変われる余地は大いにあるはずです。

 「学校なんて行かなくていいよ」ではなくて、学校が子どもたちに選ばれてワクワクする場所になってほしいと思っています。そうして学校教育が変わり、子どもたちが学校を選ぶようになって、「トーキョーコーヒー」はたまに学校に行かない子が来るぐらいの場所としてほそぼそとやっていければいいなと思っています。

【プロフィール】

吉田田タカシ(ヨシダダ・タカシ) 1977年、兵庫県生まれ。大阪芸術大学卒。98年に「アトリエe.f.t.」を開設。2021年に「トーキョーコーヒー」の前身に当たる「生駒の森」の改修を開始。同年、生駒駅前に駄菓子屋「チロル堂」をオープン。アート活動の傍ら、98年に結成したスカロックバンド「DOBERMAN」は、FUJI ROCK FESTIVALへの出演、ヨーロッパツアー、韓国ツアー、フェスの開催など国内外で活躍中。

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