【寛容な教室のつくり方(5)】財産権よりも人格権や尊厳の方が重い

【寛容な教室のつくり方(5)】財産権よりも人格権や尊厳の方が重い
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 前回、私は「友達から借りたDVDに傷を付けて返してしまった子が、その友達を含むグループの子たちから仲間はずれにされる」という事例において、借りた子も、仲間はずれにした子たちも「みんな悪い」という意見には「価値の逆転現象」が起きてしまっていると述べました。

 前提として、本連載の第1回でも述べた通り、人を仲間はずれにして相手に「心身の苦痛」(いじめ防止対策推進法2条1項)を与える行為は、法律上の「いじめ」に該当します。

 ここで気を付けなければならないのは、この事例における問題が「手段の選択」にあるという点です。仲間はずれをした子たちには、それ以外にもたくさんの解決手段がありました。話し合う、信頼できる友達や先生に仲介してもらう、少し時間を置いて心を落ち着かせる…等々、いくらでもあったはずです。にもかかわらず、「いじめ」という手段を選択したことが問題で、この事例においてはそこに焦点を当てて検討していく必要があります。

 さて、その上で向き合いたい「価値」についてですが、DVDを傷付けた子が毀損(きそん)した価値は、持ち主の財産権です。他方、仲間はずれを行った子たちが毀損した価値は、された子の人格権や尊厳です。財産権は究極的にはお金を払うことでその価値が回復しますが、人格権や尊厳はお金を払うことで価値そのものが回復するわけではありません。ですから、法律上は財産権よりも人格権や尊厳の方が重いと考えられています。

 つまり、「みんな悪い」という意見は、仲間はずれにされた子の人格や尊厳はDVDと同等の価値しかないと言っているに等しいのです。これこそが「価値の逆転現象」であり、そうした結論になりやすい環境では、子どもの自己肯定感も養われにくいであろうと思われます。

 こうした「価値の逆転現象」を起こさないためにも、子どもたちには、人格権や個人の尊厳の尊さを、具体的事例を使って明確に伝えていく必要があります。人格権や個人の尊厳など自分に関わる価値は、意識しないと気付かないことが多いからです。

 この事例ではもう一つ、子どもたちに向き合ってほしい価値があります。それは、加害者側の「内心の自由」(憲法19条)です。

 繰り返しになりますが、加害者側の問題は、「いじめ」という手段を選択したことです。DVDを傷付けられて腹を立てた事実ではありません。次回はこの点について、深く掘り下げていきます。

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