本紙電子版4月12日付が報じているように、東京都の23区の約7割が土曜授業を減らす方向で動いている。標準授業時数を大幅に上回った教育課程編成の見直しや学校における働き方改革の推進を理由とする自治体が多いが、そもそも、なぜ東京都はこれまで土曜授業を積極的に行ってきたのだろうか。
2022年度の文部科学省「公立小・中学校等における教育課程の編成・実施状況調査」では、土曜授業を計画した小学校は11.3%、中学校は11.9%にすぎないが、そこには都内の学校が多く含まれるのではないかと推察できる。
08年度、東京都教育委員会は区市町村教育委員会に対し「学校5日制の下での土曜日の活用について」とする通知を出した。ここでは「希望する子どもたちを対象に自然体験などの基礎学力向上や補充・発展的学習などのための学習機会を提供する」といった、教職員の勤務や教育課程を無視した例示もあった。
10年度には、確かな学力の定着を図る授業の公開や道徳授業地区公開講座の開催などを内容とする通知「小・中学校における土曜日の授業の実施に係る留意点について」を出した。そこでは「土曜日における教育課程に位置付けられた授業の実施は、各月2回を上限とする」と、実施回数にまで言及している。
この10年度通知は、学校週5日制の趣旨を踏まえつつ、保護者や地域住民に開かれた学校づくりを進める観点から実施できるものとする――という内容であるが、これが地方教育行政の組織及び運営に関する法律(地教行法)に基づく地教委への指導・助言に当たるのかについては、議論と検証が必要である。
いずれにしても、この通知を受けた各地教委は、土曜授業実施のための検討委員会を立ち上げたり、管理運営規則を改正したりして土曜授業の実現に向けて動いた。当時、地教委に在籍していた筆者も、校長会やPTA代表との協議、地域のスポーツ団体などへの説明に追われていたことを思い出す。13年度には文科省も学校教育法施行規則を一部改正し、法的根拠を明確にして土曜授業を後押ししてきた。その土曜授業も、ここに来てやっと見直しが図られることになったのである。
土曜授業の本来の目的は授業時数の確保であったが、建前上は学校公開を原則としていた。保護者にとっては、わが子の様子を見られる機会が増えることになり、評判は悪くない。学校も子どもたちの発表の場を工夫したり、ゲストティーチャーを招いたりして、保護者参加型の授業を企画した。
教育活動をアピールする場にはなったが、2週間に1度のペースでは、教員も疲弊してくる。半日分の振替休暇を取るにしても長期休業期間にまとめ取りすることになり、土曜授業を行っていない地区に異動したいと願い出る教員も少なくなかった。
そもそも学校週5日制の狙いについて、文科省は次のように説明している。「学校、家庭、地域社会の役割を明確にし、それぞれが協力して豊かな社会体験や自然体験などのさまざまな活動の機会を子どもたちに提供し、自ら学び自ら考える力や豊かな人間性などの『生きる力』を育むこと」。
つまり、土曜日は家庭や地域が子どもたちの教育を担うはずだった。地域の社会資源の活用を進めるための、文科省の「土曜日の教育活動推進プラン」もあり、その機運が高まってきたところに、土曜授業が始まった。結果、その役割分担を崩すことになってしまったのではないだろうか。
さらにこのような動きが、子どもたちのこと、教育のことは何でも学校が担うべきという社会の思考を強化させたのかもしれない。学校における働き方改革が進まないのは、いまだにこの役割分担が不明確なことが原因である。
土曜授業の見直しを契機に、土日や休日、長期休業期間、さらに言えば放課後も含めた子どもたちの教育は保護者と地域が担うという役割分担を明確にし、改めて社会全体が共有していくべきである。これは、休業日の部活動運営にもつながる。セーフティーネットとしての学校の役割は維持しつつも、家庭や地域の教育力を信じ、役割分担を進めていかなければ、学校への依存を止めることはできない。
授業時間数と学力には強い相関はないことは明らかになっている。それよりも、認知特性に基づく個別最適化といった質の高い授業が求められており、これまで以上に深い教材研究とその時間が必要になる。土曜授業の縮減は教員に時間的なゆとりを生むことになるだろう。そして、土曜授業を行っている教員も地元では地域の一員であり、保護者である可能性もある。教員の犠牲の上に成り立つ教育は限界にきている。