価値観の多様化は、他の子どもはどうでもいいから、わが子の利益だけを求めるような保護者をも生む。そうした保護者にとって、他の子の活躍や成績より、わが子が一番になることが絶対的な価値となってくるのは当然であろう。だから、合唱コンクールのピアノ伴奏者に選ばれなかったことに対し、「本当に公正な選出だったのですか?」と選出した教師の責任を追及してくるのだ。
価値観が多様化している中、保護者が何か学校や教師にしてほしいと思ったとき、それは絶対である。その価値判断以外のものは受け入れられないからである。
教師に対する理不尽な要求や要望、クレームが以前に比べて増加した要因として、保護者の高学歴化、孤立化、社会全体の過剰なサービス化などが挙げられているが、現場にいる者としてどうもしっくりこない感じがしていた。本当に高学歴であれば、「先生も何かと大変ですね」と相手の立場や心情を察する力が身に付いているはずである。
文科省が「学校における働き方改革」を提起するなど、教師のこれまでの働き方を見直す動きが活発になっている。特に、残業時間を改善しようとする動きは顕著で、同省から出された「公立学校の教師の勤務時間の上限に関するガイドライン」においては、時間外勤務の上限の目安を1カ月あたり45時間、1年あたり360時間などと設定している。
広告ブロック機能を検知しました。
このサイトを利用するには、広告ブロック機能(ブラウザの機能拡張等)を無効にしてページを再読み込みしてください