【保護者と信頼関係を築く(4)】偏った信頼関係② 時間のかかる説得

【保護者と信頼関係を築く(4)】偏った信頼関係② 時間のかかる説得
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 価値観の多様化は、他の子どもはどうでもいいから、わが子の利益だけを求めるような保護者をも生む。そうした保護者にとって、他の子の活躍や成績より、わが子が一番になることが絶対的な価値となってくるのは当然であろう。だから、合唱コンクールのピアノ伴奏者に選ばれなかったことに対し、「本当に公正な選出だったのですか?」と選出した教師の責任を追及してくるのだ。

 運動会で教師のやりたがらない担当の一つに決勝審判がある。徒競走やリレーで、同時にゴールしたように見えたような場合でも、順位を付けなければならない。苦渋の判定に対し、「先生の判定は間違っています。そもそも、立っている位置からして問題です。この動画を見ればそれがよく分かります」と、スマホで撮った動画を出してくるケースもある。時には、閉会式が終わってからやって来て、「順位の訂正をお願いします」と言ってくることもある。運動会中に声を掛けると周りの保護者の目もあるため、あえて皆が帰った後を見計らってやって来るのだろう。今後に向けてビデオ判定を持ち出してくるケースもあり、説得に時間がかかることも少なくない。

 なぜ時間がかかるのかというと、教師との信頼関係を求める気持ちが希薄だからだ。こちらの体制が万全でなかったことをわびても、「先生は謝ればそれで済むのかもしれませんが、うちの子の気持ちは一体どうなるのでしょう?」と一歩も引かないこともある。どこかで折り合いを付けたいという気持ちがあれば、そうは時間がかからないものだ。そもそも、信頼関係を大切にしたいという気持ちがあれば、たとえ間違った判定であったとしても、「まあ、そういうこともありますから…」程度で済む話である。

 そうした保護者たちの価値観に共通するのは、わが子の利益以外に何も価値を見いださない点である。そこには圧倒的に共生意識が足りない。たかが合唱コンクール、たかが運動会なのではなく、わが子にとってはショパンコンクールや陸上世界選手権と同等の価値を持っているのである。だから、教師が何と思おうと、他の子どもが不利益を被ることが考えられようと、「やり直してほしい」と主張することになるのだ。共生意識が不足しているので、わが子の活躍や成績を阻む存在は、誰であろうと「敵」ということになってしまう。説得に時間がかかるという事実は、信頼という同じ土俵に乗った共生相手ではないことを意味している。

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