【PISA2018】取るべき対策と海外の取り組みを聞く

【PISA2018】取るべき対策と海外の取り組みを聞く
「国語の読みを変えるべき」と提言する上松恵理子准教授
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 OECD(経済協力開発機構)が昨年12月に発表した、生徒の学習到達度調査(PISA)の2018年調査結果では、日本は読解力で参加79カ国・地域のうち15位と大きく後退し、平均得点も下がったことが注目されている。

 弊紙電子版「Edubate」の読者投票で、「読解力向上 優先的に取り組むべきは?」と尋ねたところ、「さまざまな種類のテキストに触れるなど、読書活動の改善」「国語をはじめとする、各教科の授業改善」「真偽不明な文章を読み解くことなどを含めた、読解力の再定義」「WEB上の多様な情報に対応できるICTリテラシーの育成」に回答が割れる結果となり、多角的な対策が必要なことが浮き彫りとなった。

 今回のPISAの結果を受ける以前から「日本の国語の『読み』を変えるべきだ」と警鐘を鳴らしているのは、中学・高校の国語科教員の経験を生かし、現在は世界の教育機関やICT教育の調査研究を行っている武蔵野学院大学の上松恵理子准教授。今後、日本が取るべき対策や海外の学校での取り組みについてインタビューした。

さまざまな知識を包括して複合的に読む力

――PISA2018の結果が公表され、日本の読解力の順位や平均得点が下がったことに注目が集まっています。

 私は今回のPISAの順位に関しては、そこまで気にしなくてもいいと思っています。

 読解力の上位国・地域によっては、PISA型読解力に特化した学びを推進してきたところもあります。もちろん、PISA型読解力も重要ですが、今、スウェーデンやノルウェーなどをはじめとした教育先進国は、一人一人の目標や個性に合った「学習者中心の学び」へとすでに転換しています。スウェーデンなどはPISAランキング低下の原因になっても、難民の受け入れをこれからも続けるという姿勢をとっており、とっくに 「PISA用の勉強」は卒業しているのです。

 つまり、PISAの順位に一喜一憂する必要はないのですが、今、深刻に考えるべきは、日本の「読み」と世界の「読み」が乖離(かいり)しているということです。その結果は確実に現れてきていると感じています。

――日本の読みと世界の読みは、どのように違うのでしょうか。

 日本の国語科の授業は、教科書の定番教材を読む場合、物語の中だけに入り込んで、感情や心情を読み解いていくような授業が好んで行われます。しかし、海外では作者の生い立ちや生まれた場所、執筆された時代の社会的背景や歴史的背景など、他教科で扱う内容含め、複合的に読んでいく学びが行われています。

 日本では国語教育が独自に進化してきました。進化としては素晴らしく、日本独自の読みは素晴らしいと海外から思われている側面もあります。

 しかし、今、私が一番心配しているのは、国語の読みが日本の優れた読みだけに閉じてしまっていて良いのか、ということです。

 これからは、読みの多様性が必要です。これまでの日本の読みもあるし、さまざまなメディアの読みでデジタルリテラシーを醸成したり、哲学を理解したりする読み、地域を比較する読みもある。もっと進んでいる国では、経済的なデータを分析する読み、つまりデータリテラシーなども国語で実践されています。

 海外では国語でも哲学的な要素を含んだものなど、さまざまな知識を包括して複合的に読んでいく概念の問題が出題されます。こうした読みが、今後必要とされるクリティカルシンキングを培うことにもつながっていきます。また、10年以上前から国語の評価は「読む(reading)」「書く(writing)」「話す(talking)」「聞く(hearing)」以外に、「見る(viewing)」という項目がカリキュラムに明記されている国もあります。

 これからの国語科教育では、あらゆるメディアが教材となり得ます。また、実社会でのコミュニケ-ション能力の育成を中心に据えることも入れるべきで、児童生徒が得た知識や理解したことを、どう相手に伝えるかを意識して学ぶことに変革していくべきだと思います。

 日本でも実は20年前から「非連続型テキスト」の読みの必要性が叫ばれていましたが、その実践が定着していればPISAの順位も落ちなかったのではないでしょうか。

スウェーデンの国語の授業
スウェーデンの国語の授業

自分の意見を伝えるためのアウトプットが足りない

――海外では、どのような国語の授業が行われているのでしょうか。

 ニュージーランドでは、20年以上前から、国語科の授業でオリジナルの脚本を作って、それを映像化し、編集するようなことをやっています。オーストラリアやカナダでも同様の授業が行われています。

 エストニアは、小学校でも国語の授業はパソコン教室でやります。その理由を教員に問うと、「毎時間パソコンで文章を作成し、レポートを出すから当たり前です。児童が学んだことを理解したかどうかは、レポートを読んでみないと分かりませんから」と説明されました。

 スウェーデンの小学校では、児童が小説を書き、それをインターネット上にアップロードしています。世界中からダウンロードされて人気になった児童の作品もあるそうです。

 構成や登場人物のキャラクターを考える生みの苦しみもあるようですが、ICTを使うことで校正が簡単にできるようになり、児童も長い文章を書けるようになっています。また、作品を担当教員だけでなく、同級生や学校内外からも閲覧可能にすることで、より良い作品を書こうとする意識が高まっているそうです。

 日本では国語に限らず、発表したり、グループで討論したり、エッセーを書くなど、授業でアウトプットする機会が圧倒的に足りません。以前よりは増えてきていますが、海外と比較するとまだまだ少ないのです。

 書く力はどれだけ読んだかに比例します。自分の意見を言うためには、いろんなものを読み解かないと書けません。アウトプットするために自ら主体的に調べることは、知識の定着にもつながります。

ICTを生かせば、多様な読みが可能になる

――先日、2023年までに小中学校で全学年の児童生徒が1人1台の端末を持ち、活用できるよう、ICT環境整備が進められる経済対策が決定されました。こうした環境整備はどのような影響を与えると考えますか。

 例えば、1人1台になることで、作品を読むときに日本的な読みも生かしつつ、作品に出てくるもの・ことを調べさせやすくなります。これまでは「理科の分野だから」「歴史の分野だから」と踏み込まなかったことも、インターネットを使えばすぐ調べられるようになり、多様な読みがしやすくなるでしょう。

 海外ではこうした活動はすでにスタンダードで、国語と歴史の授業を一緒に行うなど、合科も進んでいます。教科を外してもそれが最終的に良い読みにつながるのであれば、積極的に子供たちが調べたいことを調べさせるべきで、それによって子供たちの学習意欲も高まります。

 他にも、例えば東京と北海道の学校をスカイプなどでつないで、同じ作品を読んだ感想について子供たちが意見交換をするといった活動もできるでしょう。日本だけでなく、小学校高学年・中学生が選択授業で日本語を学んでいる時差の少ない国との実践も可能です。

 1人1台になってただ調べ学習をするだけではもったいないですよね。海外ではすでにパソコンやタブレット端末は「文房具」の1つです。教員も児童生徒もICTのリテラシーを高めながら工夫すれば、これまでできなかったことが可能になり、視野も広がります。

 ただ問題は、授業を工夫するための時間が教員にあるかどうかです。事務的な作業などもどんどんICTを活用して仕事を効率化し、教員が創意工夫し、教えることに時間を使えるような現場環境を整えていくべきです。働き方改革も含め、今までのスタイルでやるのではなく、その先にいかないと、学びは変わらないと思います。

【プロフィール】

上松 恵理子(うえまつ・えりこ) 武蔵野学院大学国際コミュニケーション学部准教授、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員。「教育における情報通信(ICT)の利活用促進をめざす議員連盟」有識者アドバイザーなど活動多数。世界各国のICT教育の調査研究、日本のネット利用やSNSなどのICTに関する調査研究、およびモバイルコミュニケーションや情報の新リテラシーについての研究を行う。弊紙でも連載「世界の教育は いま 各国の教育ICT化から見えるもの」などを執筆。著書に『小学校にプログラミングがやってきた!超入門編』(三省堂)など。

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