【共に学ぶ】その声に耳を傾けて 社会的養護の子どもたち

【共に学ぶ】その声に耳を傾けて 社会的養護の子どもたち
法律を学びながら教師を目指している木村さん(仮名)
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 さまざまな事情で児童養護施設や里親家庭などの下で育つ社会的養護の子どもたちに、少しずつ目が向けられるようになってきた。先の通常国会で成立した改正児童福祉法では、「18歳の壁」と呼ばれる、原則18歳(最長22歳)までとされていた支援対象の年齢の上限が撤廃されるなどの変化が起きている。そして学校にも、こうした社会的養護の子どもたちは確かにいるはずだ。「共に学ぶ」第12回では、社会的養護の子どもたちの存在に目を向け、今の学校に欠けている視点を探る。

どこにも安心できる場所がなかった

 今春、関東地方にある私立大学法学部に入学した木村亮太さん(仮名)は、高校を卒業する3月まで里親家庭で生活していた。「ご飯を自分で作るのがこんなに面倒だとは思わなかった。今まで里親さんが作ってくれていたことが、改めてありがたいことだったんだなって」と木村さんは初めての一人暮らしの大変さを実感する。

 3人兄妹の一番上だった木村さんが里親家庭に引き取られたのは、中学3年生の夏のことだった。その年の4月、父親からのDV被害に耐えられず母親が逃げ出し、母親からの知らせを受けた警察によって木村さんたち兄妹も保護された。

 児童相談所によって一時保護になると、多くの子どもたちは処遇が決まるまで一時保護所で生活をすることになる。「もう何年も前のことだから、今とは違うかもしれないけれど」と前置きした上で、木村さんは一時保護所で過ごした時間を「まるで刑務所だった」と表現する。外出は許されず、一定以上窓を開けるとブザーが鳴る。私語も禁止。親が無理やり連れ去ってしまう恐れがあるため学校には通えない。その代わり問題集が渡されるが、高校受験を控えた木村さんにとって、このままでは勉強が追い付かなくなるという不安が日に日に大きくなっていった。

 受け入れ先の里親が決まったのはそれから3カ月後。2人の兄妹は児童養護施設を希望したため、それ以来、兄妹とは離れ離れとなった。2学期からは里親家庭の近くにある公立中学校に転入することになったが、以前の中学校の1学期の成績は、一時保護期間とほぼ重なっていたため、全教科で「1」が並んでいた。高校入試では、中学3年生の1学期と2学期の成績が用いられる。このままでは高校進学もできないと、担任の教員と児相の職員が相談し、2学期の成績だけを評価の対象にしてもらえるようにした。

 もともと木村さん自身は勉強が得意だったため、高校は公立の進学校に合格することができた。大学に進学したい気持ちも強かったが、進路希望調査票には学費の安い国立大学の名前しか書けなかった。

 それを疑問に思った担任が尋ねたことで、木村さんは里親の下で暮らしていることを打ち明けた。里親は、木村さんが大学に進学することを最初は反対していたが、この担任の後押しや、木村さん自身が努力して校内でも常にトップクラスの成績を維持し続けたこともあり、参考書代を出してくれるなど、応援してくれるようになった。「この際だから小学校や中学校でできなかったことを全部やろう」と、生徒会活動や部活動にも打ち込んだ。

 さらに木村さんは、(一財)教育支援グローバル基金が運営する、虐待やネグレクト、親の死などの困難を経験した若者を対象に次世代のリーダーを育成する「ビヨンドトゥモロー」のプログラムにも参加。大学に進学している「先輩」と出会えたことで「自分が目指していることは、前人未踏の初めてのことではないと分かって、少し気持ちが楽になった」という。

 小学生の頃、給食の時間に同級生にからかわれたことを父親に話すと、父親は激怒して木村さんに包丁を持たせた。「そいつを刺してこい」。口答えすれば拳が飛んでくることは分かっていた。翌日、ランドセルに包丁を忍ばせて学校に行ったが、明らかに様子がおかしかったので教師に見とがめられた。ランドセルから包丁が見つかったことでちょっとした騒ぎとなり、警察に連絡された。

 「家庭も含めて問題のある子どもとして見られ、先生から信頼されていなかった。安心できる場所がなくて、中学校では普通に家を出るふりをして、コンビニで時間をつぶすこともあった」と木村さん。当時、教師にどうしてほしかったかと聞くと、木村さんは少し思案して、「先生から何か聞かれても、親に話が伝わるのが嫌で適当にはぐらかしていた。だけど、子どもの『大丈夫』は本当に大丈夫とは限らない。ちょっとしたサインがあったら、まずは守ってほしかった。そして僕の話を聞いてほしかった」と振り返る。

 そんな木村さんは今、法学を学びながら、教師を目指している。その理由を木村さんは次のように語る。

 「学校の先生は虐待を受けた子どもが保護された後、施設や里親でどう暮らしているか、他の子どもと違ってどんな配慮が必要かを知らない。当事者である僕が児童福祉法を専門的に学んで教師になれば、そういう状況を変えられる」

多様な家族がいることへの理解を

 厚労省によると、社会的養護の対象となる子どもは全国に約4万2000人いるとされる。乳児院や児童養護施設、児童心理治療施設、児童自立支援施設、母子生活支援施設、自立援助ホームなどの施設に入所しているケースのほか、里親や養育者の住居で家庭養護を行うファミリーホームなど、社会的養護の子どもたちが置かれている状況は多岐にわたる。

 近年は、家庭における養育が適当でない場合でも、子どもが家庭の養育環境と同様の養育環境や良好な家庭的環境で継続的に養育される必要があるとして、里親への支援や特別養子縁組の推進、施設の小規模化・地域分散化の動きが活発になっている。

 特に里親や特別養子縁組の場合、学校側がそのことを把握していないケースも多い。

日本財団が制作した「はじまりの連絡帳」
日本財団が制作した「はじまりの連絡帳」

 里親や特別養子縁組の普及を目指し「子どもたちに家庭をプロジェクト」に取り組む日本財団では、特別養子縁組の家庭と学校のコミュニケーションツールになればと、「はじまりの連絡帳」というパンフレットを作成。制度の解説と共に、特別養子縁組した保護者が、子どもに養子であることを伝えた時期や、本人がそれについてどう思っているか、担任に知っておいてほしいことなどを文章にして伝えられるようにしている。

 同財団公益事業部の高橋恵里子部長は「日本では里親や特別養子縁組の制度自体があまり知られていない。こうした家庭から、子どもが学校に入学したときに先生に配慮してほしいことをどう伝えたらいいか困っているという声が多くあった」と、連絡帳をつくることになった経緯を説明。「例えば、一部の小学校で10歳になったときに行われている『2分の1成人式』で、保護者に名前の由来を聞いたり、赤ちゃんの頃の写真を持ってきたりすることが行われていると聞くが、里親や特別養子縁組の家庭ではそれが難しいこともある。多様な家族がいるということを理解し、配慮してほしいこともあるし、子どもの中には普通に接してほしいと思っていることもある」と話す。

教師と生徒である前に、人と人

 「その子が受けてきた虐待やいじめ、発達障害があることもある。それらが相まって、『どうせ自分なんて何もできない。大人なんて信用できない』と自他への期待値がとても低くなっている状態にある。ここは、そういう子たちがちょっとずつ元気を取り戻す場所だ」

 そう話すのは、関東地方の児童自立支援施設の中に設置された公立中学校の分教室に勤務する池田達也教諭(仮名)だ。非行を繰り返したり、生活指導をする必要があったりする子どもたちを対象にした児童自立支援施設では、子どもたちは寮で集団生活を送りながら、自立に向けてさまざまな経験を積む。彼らが児童自立支援施設に来ることになったきっかけはさまざまだが、虐待を受けた経験のある子どもや何らかの発達上の障害のある子どもも多い。

 ある日の社会科の授業。池田教諭は、弥生時代と縄文時代の違いについて、気付いたことをお互いに意見交換する活動を設定した。すると、ある生徒は相手の言うことを強い口調で徹底的に否定し続けた。しかし、否定された側の生徒はどうも自分が否定されていると自覚していないようだった。池田教諭は授業を中止して、それぞれの生徒の気持ちに耳を傾けることにした。攻撃ばかりをしていた生徒が「頭の中に『ガチャガチャ』のカプセルがあって、赤いのが出ると悪口が止まらなくなる。青いのが出ると悲しい気持ちになるんだ」と語り出すと、言われっぱなしでも何も感じていなかった様子の相手の生徒も「分かる。オレも一緒」と答えた。お互いの心に共感が生まれた瞬間だった。

 またあるとき、施設の中にあるジャガイモ畑で作業をしていた生徒がふと「人の悪口はもう言わない」とつぶやいた。どういうことかと池田教諭が尋ねると、その生徒は「今まで目の前にムカつく奴がいたらなぐったり悪口を言ったりしてきたけど、そいつはどこかの誰かが苦労して育ててきた。育てた人にまでムカついているわけじゃないし、恨みもないから、もうやめる」と、彼なりの言葉で説明してくれたという。ジャガイモづくりを通して、育てることの大変さが実感できたからこそ、結び付いたのかもしれない。

 「教師はどうしても自分自身の価値観で彼らの行動をジャッジしようとしがちで、うまくいかない子どもたちがこれまで味わってきた経験や、感じていることとのギャップになかなか気付けない。教師と生徒である前に、人と人の関係を築いて、パートナーとしてその子の声を聞くことが大切だ」と池田教諭。実は池田教諭自身、社会的養護の下で育った当事者でもある。

 「社会的養護の子どもたちは、自分の人生なのに周りに翻弄(ほんろう)されていると憤りを感じている。大人の『こうすべきだ』を押し付けない。『あなたのためだから』と決め付けない。結果的に本人の望む形を実現することが難しくても、その子の思いを受け止める。そうしないと、子どもはどんどん自分の気持ちを内側に押し込んでいってしまう」(池田教諭)

子どもの権利を学べば、何かが変わる

社会的養護で育つ子どもの権利保障を研究する長瀬准教授(本人提供)
社会的養護で育つ子どもの権利保障を研究する長瀬准教授(本人提供)

 地域に児童養護施設があるといったケースを除き、学校が社会的養護の子どもたちを意識する場面はあまり多くない。社会的養護で育つ子どもの権利保障を研究する長瀬正子佛教大学社会福祉学部准教授は「数としては少数の存在である社会的養護の子どもたちだけの問題として見てしまうと、社会へのインパクトは薄いかもしれない。しかし、保護者との分離にまで至らなくても虐待リスクのある家庭で育つ子どもや、虐待とは異なるが、家族のことで必要以上の負担が子どもにかかっているヤングケアラーにまで視野を広げてみてほしい。学校には、そうした子どもたちがグラデーションのようにして存在している」と指摘。長瀬准教授は、2008年ごろから子どもの貧困問題がクローズアップされ、児童養護施設などに匿名でランドセルを寄付する「タイガーマスク運動」や子ども食堂の広がりによって、次第にこうした問題への関心が高まっていった結果、それまで日本では問題として認識されてこなかったヤングケアラーの存在が浮き彫りとなるなど、さまざまな家庭環境にいる子どもたちに関心が向けられるようになったと指摘する。

 こうした子どもたちや家庭を支援する上で、重要になるのが子どもの権利だ。長瀬准教授がこの研究テーマに取り組むようになったのは、児童養護施設に入所する子どもたちに「子どもの権利」を伝えるため、1995年に自治体として初めて大阪府が制作した「子どもの権利ノート」との出合いがきっかけだった。当時はまだ、子どもの権利を前面に出すというよりも、施設での生活を紹介するといった側面が強く、長瀬准教授が施設で育った若者たちに尋ねたところ「子どもたちに必要とされていない」という回答が返ってきたという。しかしさらに、「冊子が配られてから、何か変わったことはないか」と質問すると「そういえば、確かに(職員から)たたかれなくなった」という答えが返ってきた。

 「大人が子どもの権利をちゃんと学べば、何かが変わる。生徒指導提要の改訂で子どもの権利の理念が入るなど、学校現場も変わり始めているが、必ずしも教員養成課程で子どもの権利をしっかり学んでいるわけではないなど、まだまだ学校に子どもの権利を浸透させるには課題がある」と長瀬准教授。「子どもの権利条約でうたわれている4つの原則の一つに『差別の禁止』がある。家庭環境などで差が生じているならば、それを是正するための方策や支援とともに、そもそもそのような差が生じないように子どもが置かれている状況を改善しなければいけない。学びの土台にみんなが立てるようにすることが大切なのに、日本の学校や社会ではそうした支援が特別扱いのように受け取られてしまう」と指摘した上で、「社会的養護の子どもたちをはじめ、さまざまな家庭環境にある子どもたちの状況改善のためには資源の投入が欠かせないが、人的な資源でもある教師がたくさんの子どもたちの対応に追われ、個々の子どもの声を丁寧に聞くだけの余裕がない。このシステムそのものを見直していかなければいけない」と強調する。

本企画「共に学ぶ」では毎回さまざまな角度から、学びから取り残されてしまっているかもしれない当事者の視点に立って見える学校の風景を描写するとともに、考える材料を提供していきます。

 また、「共に学ぶ」未来について、皆さまと一緒に考える場をつくっていきます。本紙電子版の特設ページから、ご意見・ご感想をお寄せください。

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