トラウマインフォームドケア・中 「周りの先生のサポートが必要」

トラウマインフォームドケア・中 「周りの先生のサポートが必要」
野坂祐子氏
【協賛企画】
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 トラウマインフォームドケア、すなわち「トラウマの知識を持って見る」ことで、学校現場はどう変わるのか? 管理職をはじめ、教員が皆でトラウマインフォームドケアに取り組むある学校は、職員室が避難場所として機能し、子どもたちに優れた支援をできているという。『トラウマインフォームドケア “問題行動”を捉えなおす援助の視点』(日本評論社)の著者で、大阪大学大学院准教授の野坂祐子氏に、学校はなぜトラウマインフォームドケアで変わるのか、学校は具体的に何をできるのかを聞いた。(全3回)

周囲は「よくやっているよ」と後方支援を

――トラウマの影響がある子どもには、どんな傾向があるでしょうか。

 先生がいくら子どもに丁寧に接しても、子どもは全然安心できなくて、余計不安になるということがあります。「この先生はいい先生だな、甘えたいな」という気持ちと、「そんなわけがない、絶対に裏がある」という不信感の間で揺れて、ついに耐えきれなくなると、先生をおちょくるようなことを言って相手をあおって怒鳴らせてしまう。子どもはショックを受けながらも、一方で安心するというようなパターンもよく起きていると思います。

――挑発された、と感じてしまいそうです。

 そう、先生からすればかちんときますよね。冷静にしていたとしても、「そうやって涼しい顔してさ、どうせ仕事だもんね」なんて言って煽あおられるので、すごくつらい。そこで怒鳴ってしまう先生もいるし、メンタル面が傷つけられて犠牲者になってしまう先生もいる。どちらも気の毒だし、あってはならない関係性です。

 そういったとき、周りの先生のサポートが必要です。後方支援として、仲間である同僚が「よくやってるよ」と認めてあげる。その子が暴れたりするのは、先生の指導力不足の問題だけではないんだ、ということをみんなが分かっていると、先生が自信を失い、孤立してしまうのを防ぐことができます。

 見ている先生も本当はつらいのだけれど、何と言っていいか分からなくて、「もっとガツンと言った方がいい」とか「子どもになめられているんじゃないの」など、「打ち負かせばいい」といった即効性のありそうな方法を口にしてしまうのだと思います。先生に限らず、私たちみんな結構トラウマティックな価値観や関係性を身に付けてしまっているので。でもそうすると、その先生はますます「一人でなんとかしなきゃ」と思ってしまいますよね。

 だから、教員全体で「本当にしんどいよね。でも、暴力的なやり方は用いずに、何とかしてあの子が大人を信用できるようにやっていこう」と協力していかないと、担当の先生はもたないと思います。

 その生徒のちょっとした変化を、みんなで気付いて共有することもサポートになります。「またやらかした」みたいな悪い報告ばかりではなく、「今日、こんないい顔を見せてましたよ」といった情報を共有する。教員同士がサポーティブにやれている学校では「最近ちょっと、あの子の表情が変わってきましたね」「私の授業で、こんなこと言ったんですよ」など、みんながその子のいろいろな面を話し合うことができる。担任の先生はきつくてもなんとか耐えられるのは、同僚の関心や理解によると思います。

――そういった情報共有も、トラウマの眼鏡があると可能になるんですね。

 大きいですね。トラウマの眼鏡で見ないと、子どものしんどさやややこしさを、みんなで共感的に見ることができず、「単なるわがまま」とか「対人スキルがない」というふうに見てしまう。眼鏡をかければ「あの子の育ちや経験を考えたら、まだスキルが身に付いていないのも当然」というふうに、思いやりのある目で見ることができます。

 すると、その子がイライラしているときに「落ち着きなさい」と注意するのではなく、みんなで「こういうときは呼吸法をするんだったね」と声を掛けたり、「今日はすごくいい顔をしているよ」とか言えたりするようになる。具体的な落ち着き方を教えてもらえ、落ち着いているときに注目される方が、その子の変化も早いでしょう。

現在形で「いま、つらいこと」を聞く

――別に、無理に踏み込んで、話を聞きだしたりする必要はないのですね。

 そうです。トラウマインフォームドケアは、私の感覚だと「半歩リードして子どもを理解する」というイメージです。子どもに起きていることは子どもに聞かないと分からないのですが、聞く前にトラウマに関する知識の分だけ先生がリードして、「ああ、もしかしたらこの場面が苦手で、怖くなっちゃったのかな」などと考える。そうすると、先生自身も落ち着いて子どもに声を掛けることができます。

 先生と関係がよくなってくると、かえって不安定になる子もよくいます。こちらとしては「最近子どもと信頼関係ができてきたな」と思ってうれしいわけですが、それまで大人に何度も裏切られてきたようなトラウマを経験した子にとって、人と親密になっていくのはすごく怖いこと。「この先生は、本当の自分を知ったら見捨てるに違いない」とか「期待されても自分は応えられない」という不安が大きくなってしまうからです。

 だからよく「うまくいっていると思った時に、大きなトラブルが生じる」ということが起こります。子どもとしては見捨てられるくらいなら「自分から切ってやる」と思う。それで「見捨ててくれ」と言わんばかりの行動を取ってしまうわけです。でもそういうことって、普通は想像しづらいですよね。先生たちがこうした子どもの心情をちょっと知っておくだけで、見え方が違ってくるのではないでしょうか。

――知っておくだけでいいと分かって、ほっとしました。

 とはいえ、手間は掛かりますよね。ガツンと怒る、で済ませていたことを、「どうしてかな」と見てあげなければいけないので。だけれど、長い目で見たときにはその方がお互いに傷つかなくて済む。怒って関係を台なしにして、もっと悪化した状態で指導していくよりはずっといい。初期投資みたいな感じです。

 先生方はよく「専門家ではないので、トラウマや被害体験の話は聞けません」ということを気にされますが、それはスクールカウンセラーや外部の専門家に任せてください。先生は生徒に「つらかった話」ではなく、「今つらいこと」を聞けばいい。過去ではなく現在「今ここ」での子どもを理解して、「いま調子悪そうだね」とか「嫌な気持ちになっているみたいだね」と声を掛けてもらえれば十分です。

 例えば、ふてくされた子がいるとき、「態度悪いな、おまえ。なんだ、その顔は」とか顔のダメ出しをしたり、叱ったりする必要はありません。その態度が実はしんどさの表れなのかもしれない、ということが見えたら、「どうしたの?」と聞けばいい。

 話をしているとき、あくびをしたり、ぼうっとしたりする、というのも解離(かいり)という現象で、よく見られるトラウマの症状の一つです。そこで先生が目を覚まさせようと、バン!と大きな音を立てて、「手が止まってるぞ!」なんて怒ったりしないように。私たちだって、何か気に掛かっていることがあれば、仕事中に手が止まって考えごとをしたりしますよね。そういうときは怒鳴るのではなく、「どうかした?」と声を掛けるじゃないですか。

 そこで「怒らない」ということは、大事だと思います。大人同士なら怒らないのに、相手が子どもだと怒ってしまうのは、たぶん大人である自分が子どもに馬鹿にされた気がしたり、言うことを聞いてくれないという悲しさだったりするのでしょう。まず、先生が自分の気持ちを自覚しないと、子どもを怒鳴ってしまいがちです。

――自分が傷ついたことに気付かないまま、怒ってしまうんですね。

 その通りです。目の前であくびをされたら「私の話、つまらなかった?」とバカにされた気もするし、挑発されたらムカッとするのは当然です。でもそこで半歩リードして、「何か嫌な目にあった人は“解離”で意識が飛びやすいんだ」とか「人と関わるのが怖いから、ちょっとしたことで警戒態勢、戦闘モードになるんだ」ということを知っていれば、そんなに怖れなくてもいいわけです。

 ただ、分かっていても、そういうことをされたらやっぱりつらいものだ、ということも分かっておくといいと思います。うそをつかざるを得ない成育歴なんだろうなと分かっていても、うそをつかれればやっぱり人は傷つく。先生はその傷つきを生徒に向けるのでなく、職員室まで持ちこたえる。ガラッと職員室に入ったら「ああ、やっぱりつらいわ」と。そういうことを言える職員室になることが大事だと思います。

職員室が変われば、子どもも必ず変わる

 いま私が毎月訪問している、トラウマインフォームドケアに頑張って取り組んでいる小学校があります。その学校では先生方が「職員室は教員の避難場所」と言っています。「ここは安全な場所だから何を言ってもいい。それを評価されたりもしない。ここで元気を出して、またみんなでやって行こう」という方針を徹底している。だから男の先生も女の先生も「つらかった」「あれはあかん」みたいな話をするし、泣いてしまう先生もいる。でも、だからこそ児童にすごくいい支援ができている。

 何よりも校長先生が半歩リードして、トラウマインフォームドケアの本を読んで学んでくださっている。そして管理職が先生たちを守り、先生たちは児童を守るという、いい連鎖ができています。

――先生同士の関係がいいと、生徒との関係もよくなるんでしょうか。

 そうでしょうね。少し話がそれますが、子どものいじめが起きている学校は、たいてい職員室でも同じことが起きています。教師間のいじめやハラスメント。こうした現象を「並行プロセス」といいます。大人同士の関係が、大人と子どもの関係でもパラレルに起こるというものです。ですから、職員室が変われば生徒は変わる。そう言い切っていいと思います。まずは先生たちが回復する必要があります。

 「自分の傷つきにちゃんと気付くこと」こそ、教育のプロの仕事だと思います。教員など対人援助にかかわる領域では「傷つきを感じなくなっていくことがベテランだ」みたいな風潮があるように感じますが、それはトラウマインフォームドケアとは逆行している。生徒のことで傷ついたり悲しんだりすることは、まったく恥ではありません。当たり前のことです。そのことが、もっと伝わるといいなと思います。

【プロフィール】

野坂祐子(のさか・さちこ) 大阪大学大学院人間科学研究科准教授。臨床心理士、公認心理師。博士(人間学)。専門は発達臨床心理学。お茶の水女子大学大学院修士課程修了、博士後期課程単位取得退学。2009年より大阪教育大学学校危機メンタルサポートセンターに勤務し、大阪教育大学附属池田小学校における事件後のケアなどにあたった。13年より現職。主に学校や児童相談所、児童自立支援施設において、児童・少年の被害-加害の支援へと実践の場を広げる。著書は『トラウマインフォームドケア “問題行動”を捉えなおす援助の視点』(日本評論社)、『保健室から始めるトラウマインフォームドケア 子どもの性の課題と支援』(共著、東山書房)、『性をはぐくむ親子の対話 この子がおとなになるまでに』(共著、日本評論社)ほか多数。

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