中教審で始まった教員の働き方改革を巡る議論の行方を考察するインタビュー企画「働き方改革と教員定数」では、教員の「空き時間」を確保することの重要性が提起された。約20年前からこうした視点を持って教員の負担軽減に取り組んできたのがイギリスだ。教員がすべきではない業務を明確にし、サポートスタッフを充実させるとともに、授業準備や評価のために必要な時間を確保するための政策を導入した。日本にとって参考になる部分はあるのか。イギリスの教育制度に詳しい国立教育政策研究所の植田みどり総括研究官に聞いた。
――イギリスでは約20年前から教員の負担軽減が進められてきたそうですね。
イギリスで現在進められている教育改革の出発点は、保守党のサッチャー政権までさかのぼります。1988年に制定された教育改革法により、従来は地方教育行政が握っていた予算運用や教職員人事などの権限が、各校に設置されている「学校理事会」に委譲されました。この結果、自主裁量と自己責任によって優れた成果を上げる学校が出てくる一方、社会経済的地位(SES)の低い家庭の子どもが集まる学校などでは学校改革がうまくいかず、格差が拡大しました。97年に政権を奪還した労働党のブレア政権は、予算と権限を各校に委ねるという方向性は維持しつつ、厳しい状況に置かれた学校を下支えすることによって、改革による負の側面を是正しようと試みました。
――それが教員の負担軽減の必要性とどうつながってくるのでしょう。
当時のイギリスでは、教員の1週間の労働時間が平均52時間に達していました。このため労働党政権は、教員を長時間労働から解放し、授業研究などの職務に専念できるようにすることが、教育水準を引き上げるためには必要だと考えました。2002年に公表した政策文書では、教員がすべきではない業務を明確化するとともに、サポートスタッフを充実させ、教員の勤務時間を削減する方向性を打ち出します。そして、03年に教育技能省と校長会、教員組合が締結した協約において、教員の労働環境整備のためのさまざまなプログラムが規定され、その一つとして、各教員の「PPA time」を確保することが義務付けられました。
――PPAとは何ですか。
Planning(計画)、Preparation(準備)、Assessment(評価)の頭文字です。指導計画づくりや授業準備、子どもたちの評価に専念するための時間を意味します。協約では、各教員に割り当てられている授業時間の10%以上のPPA timeを保障すると取り決めました。この時間は児童・生徒の指導などの業務から解放され、自分が必要と考える教育活動の準備と子どもたちの評価に専念できるとされています。
――どのような形で運用されているのですか。
全校的に授業のない時間帯を決まった曜日に設け、全ての教員のPPA timeとしたり、学校の管理職が時間割を調整しながら、個々の教員が授業の合間に取得できるようにしたりと各校で運用パターンは異なります。授業準備や評価に集中してもらうため、パソコンとインターネット環境を備えた静かなワークスペースを提供している学校もあります。まとまったPPA timeを確保できている教員は、高い満足度を感じているようです。
近年は、在宅でPPA timeを取得できるようにするなど柔軟な働き方を認める方向に発展しています。教員不足が深刻なイギリスでは、優秀な人材を教員として確保することや、教員の定着率を上げるために、教員の負担を軽減し、仕事へのモチベーションを高めようと努力しています。
――課題はないのでしょうか。
もちろんあります。一つは、「授業時間の10%」では足りないという意見があります。イギリスは学校のデジタル化が進んでおり、教員は子どもたちの学力や生徒指導などに関わる多様なデータを見て、授業改善や指導に生かすことが当たり前のこととして求められています。それは、アカウンタビリティー(説明責任)を求められるイギリスの学校の特徴ともいえます。こうしたデータ分析に要する時間が膨らみ、教員たちの大きな負担となっています。「授業時間の10%」では到底足りないというのが教員の本音のようです。また、約束通りにPPA timeが確保されていると考えている現場教員は8割程度にとどまるとの調査結果もあります。
予算面での課題もあります。一人一人の教員のPPA timeを確保するには、その時間に外部の団体を招いて活動を行ったり、代わりの教員に授業を受け持ってもらったりする必要があります。そのための経費をどのように確保するのかは各学校に任されており、学校間の格差が問題となっています。
――日本の「働き方改革」の議論では、PPA timeのような時間を勤務時間内に確保すべきだという意見があります。
イギリスにおいて教員の働き方改革が提案された当初指摘されていた課題は、教員が授業の準備や評価を放課後や土日に行っていることの問題でした。教員の労働環境改善の取り組みがそこから出発していることから、イギリスでは、授業研究や評価の時間をきちんと確保できるようにするのはもちろんですが、それを通常の勤務時間内に収まるようにすることが重視されています。
――学校のスタッフを充実させ、教員を「本務」に集中させるという取り組みは、日本と重なる部分もあるように思えます。イギリスから学べる部分はありますか。
教員の「働き方改革」に向けた取り組みにおいて、イギリスが日本より早い時期から取り組んでいることは事実ですが、現在も試行錯誤しながら取り組んでいます。そのような試行錯誤が可能なのは、エビデンスに基づく政策立案(EBPM)が浸透しているからです。
また、イギリスでは職務内容を契約によって明確に定める「ジョブ型雇用」が一般的で、労働市場の流動性も高いなど、日本とは雇用慣行が大きく異なります。前提条件に隔たりが大きいため、単純に比較することはできませんが、イギリスではティーチングアシスタントなどの教員以外のさまざまサポートスタッフの充実が図られています。現在では、サポートスタッフが学校の全教職員の約半数を占めています。