教員の働き方改革を、保護者や地域住民に理解してもらうにはどうすればいいのか――。どの学校や自治体も、思いあぐねる課題だ。例えば、登校時刻の前倒し。共働きなどの影響で両親が自宅におらず、登校開始時刻よりも早く学校に来る児童が一定数いる。本来であれば始業時刻前であるはずの教員が、なし崩し的に対応を担っているケースも少なくない。東京都八王子市のとある小学校は、地域住民が主導で、この問題を解決しようと動き始めた。
午前7時45分、ランドセルを背負った小学生が校門の前に集まってきた。「おはよう」とあいさつをしながら、男性が校門の鍵を開けると、「今日はドッジボールしようよ」「ボール取ってきて」と児童が声を掛け合いながらグラウンドに向けて走り出した。それを笑顔で見守るこの男性、実は教員ではない。地域のボランティアスタッフだ。
東京都八王子市立由井第一小学校(緒方礼子校長、児童454人)では、今年5月から地域のボランティアスタッフが主導で、午前7時45分から8時15分の30分間、児童に校庭を開放している。多い日には100人近くの児童が集まり、校庭を駆け回りながら、サッカーやドッジボールで汗を流している。
取材に訪れたこの日は朝方まで雨が降り続いた影響で、校庭の至る所に大きな水たまりができていた。「水たまりに入らないように気を付けてね」とボランティアスタッフが声を掛けながら、児童が誤って入らないように三角コーンで水たまりの周りを囲う。もう1人のボランティアスタッフが、慣れた手つきで倉庫からサッカーボールやフラフープを出してくると、そのそばから児童の手が次々に伸びてくる。「〇〇さん、おはようございます!」「今日はサッカーするんだ!」と、ボランティアスタッフにニコニコと話し掛ける児童たち。
この取り組みを始める前は、同校の登校開始時間は午前8時。しかし両親が仕事で家にいないなどの理由で、それ以前に登校する児童も少なくなかった。施錠された校門の前で待機する児童を心配し、地域住民からは「道路に広がって危ないのではないか」などと不安の声が集まっていた。苦肉の策として、校門の開錠時刻を早め児童を学校の敷地内に待機させていたが、根本的な解決にはつながらなかった。
今年度から赴任した緒方校長は、同校が長年抱えてきた“登校時刻問題”を解決すべく、大きくかじを切った。救世主となったのは、同校の学校運営協議会(学運協)の委員であり、同校の児童の行きつけである「子ども食堂カフェ北野」の代表でもある奥野玉紀さんだ。「思い切って、登校時刻に校庭を開放してみてはどうだろうか」という緒方校長の決断を後押しし、学運協や保護者、地域住民、学生などに声を掛け20人以上のボランティアスタッフをあっという間に集めたのだ。
緒方校長や奥野さんを中心に試行期間を重ねて、5月の連休明けから朝の校庭開放の取り組みが始まった。
流れはこうだ。午前7時35分、鍵当番のボランティアスタッフ2人が登校。校門の鍵を開け、サッカーボールやフラフープなどを整備し準備を整える。児童の数がピークを迎える7時50分から8時にかけて、残りの3~4人も登校する。1日当たり5~6人が校庭に立ち、夢中で走り回る児童の安全面に目を光らせる。落下物などけがの原因になりそうなもののチェックはもちろん、遊具周辺などけがの危険が高いエリアには必ずボランティアスタッフがつき注意喚起する。
この取り組みは八王子市が進めている「放課後子ども教室」のシステムを朝の時間に運用したもので、ボランティアスタッフには市から謝礼が支払われるほか、全員が保険に加入しており、事故など万が一のことが起こったときに備える。
学運協の委員である女性スタッフは「私自身子育ても終わり、空いている時間を活用できないかなと思って参加している。学運協の一員として学校の様子をよく知ることができる機会だし、何より子どもの姿を見ていると元気をもらえる」と、ほほ笑む。
児童からの評判も上々だ。
グラウンドでフラフープをしながら遊ぶ女子児童たちは、校庭開放が始まってから早めに家を出るようになったという。「友達と遊べるから、早起きできるようになった。休み時間が増えた気分!」と、満面の笑みを浮かべた。
家庭の事情で開門時刻前に登校せざるをえない児童にとっても、うれしい取り組みのようだ。ある男子児童は「お父さんが朝の4時に仕事に行くし、お母さんも朝早く仕事に行かなければいけない日がある。そんな日は8時前に学校に来て、校門の前でぼーっとしていた」と振り返る。校庭が開放されるようになってからは、「大好きな鉄棒ができるし、友達も一緒にいるのでうれしい」と、大好きな鉄棒に腰掛けながら顔をほころばせた。
児童の登校時刻の前倒し問題を巡っては、教員の負担に直結している事実も看過できない。文科省が示している「学校・教師が担う業務に係る3分類」でも、「登下校に関する対応」は「基本的には学校以外が担うべき業務」に振り分けられている。
同校の取り組みは、教員の負担感軽減につながっているのだろうか。緒方校長は「まだ始めて数カ月なので著しい効果は見られないかもしれない。ただ、精神的な面で負担が減ったと感じる教員はいるように思う」と話す。というのも、従来のように校門の前や敷地の中で児童が待機しているときでも、教員たちは気が気ではなかった。「厳密にいえば監督責任はないかもしれないが、何かトラブルが起きると駆け付けなければいけない。みんな頭の片隅で児童の様子を気にしていたと思う。いまはボランティアさんたちがしっかり見ていてくれているので、安心感がある」と変化を実感する。
一方で、同校のように保護者や地域と連携を取って、円滑に改革を進めることは至難の業だ。特に「教員の働き方改革」を巡っては、教員や学校側からは保護者や地域住民に協力を仰ぎづらいという本音もあるだろう。とある自治体では、保護者から「先生が早く帰るのは、楽をしたいからだ」などと無理解な言葉を投げ掛けられたケースも漏れ聞く。
緒方校長も以前の赴任校では、保護者や地域との連携が取れず苦労する場面が何度かあったという。そのため、地域と連携が取れる風土が根付いている同校の環境の貴重さをかみしめる日々だ。
「学運協をはじめ、地域の皆さんの力が本当に大きい。私はそこに乗っからせていただいているだけ。うまく連携を取るポイントは、ハブとなってくれる人がいるかどうかだと思う」と話す。同校の場合、そのハブは奥野さんだ。
奥野さんは自身の子どもが同校の卒業生で、いわゆる元保護者。海外に駐在し子育てした経験があり、外国籍の児童が多い同校の保護者をサポートし始めたことがきっかけで、学校の課題や教員の困り感を目の当たりにしてきた。子ども食堂で校区内の児童を支援するほか、放課後の校庭開放のボランティアスタッフも束ねている。
「学校が困っている課題を見ていると、地域に投げてみるだけですぐに解決するのにと思うことがたくさんあった。私自身が何かしてきたというよりも、私は学校と地域をつなげてきただけ」と振り返る。一方で学校と地域が連携を取る難しさに、何度も直面してきたという。「学校は数年ごとに校長先生も、先生たちも変わるので、その都度地域とのつながりを作っていくのは難しいと思う。学校によっては保護者自身が地域とつながっておらず、学校が地域と連携を取りづらいという側面もあるかもしれない。この学校は、子ども食堂がきっかけの一つになったように思う」と話す。どの学校にも効く特効薬はない厳しい現状が伺える。
緒方校長も「外から来たからこそ、この環境がとても幸せで、当たり前ではないことを実感する」と強調する。そして校長としての役目は、この風土を途切れさせないことだという。
「例えば朝の校庭開放の時間に、何かトラブルが起こるかもしれない。その時に、『それは子ども教室のボランティアスタッフの時間帯のことなので』と突っぱねることはしてはならない。そこに時間や労力を割くことがあっても、連携しながら真摯(しんし)に対応していく必要があると思う。頼るだけでなく、あくまで『Win-Winの関係性』が大切だ」と語る。
そんな緒方校長が日課にしていることがある。可能な限り、登校時刻には校門に立ち、児童を迎え入れることだ。ボランティアスタッフと顔を合わせてコミュニケーションが取れる上に、児童に付き添って登校する保護者とも顔を合わせることができる。
「子育てが終わった保護者の方が、地域ボランティアとして学校に協力してくれるかもしれない。もっと言えば、地域の人に見守られて育った卒業生が、いつか保護者として戻ってきてくれたときに、学校運営に携わってくれる可能性だってある」と、10年後、20年後の学校の姿に思いをはせる。