創造性やチャレンジ精神を育み、リーダーシップやコミュニケーション能力を伸ばす「アントレプレナーシップ教育」の必要性が叫ばれて久しい。一方、学校では「それはお金儲けのための教育」と敬遠されがちな側面もある。そんな中、慶應義塾大学商学部の岩尾俊兵准教授は、モノやサービスが値上がりする「インフレ」の今こそ、子どもたちに「経営教育」が必要だと話す。インタビューの第1回では、著書『13歳からの経営の教科書』(KADOKAWA)で伝えたかった「お金もうけ」ではない経営教育について聞いた。(全3回)
――『13歳からの経営の教科書』を書いた動機を教えてください。
これからは「人を中心とする経営」が大事だと伝えたかったからです。この30年間、経営で大事だったのはお金の調達、いわば「ファイナンス」でした。ファイナンスが上手な経営者が注目を集めてきたので、彼らの話すことがリーダーシップや経営、起業の要点のようにわれわれは思ってきたのです。
ファイナンスに長けた人、つまり「お金に好かれる人」がなぜ成功できたかのか。理由は「デフレ」です。デフレになるとモノや人の価値が下がります。相対的にお金の価値は上がりますから、お金のやりくりが上手な人が成功したのです。ただ、今はそれが行き過ぎてしまいました。「金さえ払えばなんでもやるだろう」といったマインドの経営者が増え、客の方もお金が大事なので「もっと安く」と買い叩く癖がついてしまったのです。そうした「激安一番」の発想が企業の不祥事を招き、誰も幸せにしないことは、昨今のニュースを見ても明らかです。
米国の経営学者、ジェイ・B・バーニー教授は「資源を持つ会社は強い」と考えました。でも、ここから先は私見ですが「その資源の強さは、インフレかデフレかで変わる」と考えています。デフレ下で強いのはお金です。だから資源として強いのはお金でした。一方、インフレになるとお金の価値が下がり、人やモノの価値が上がっていきます。つまり、会社の強い資源が「人」に変わっていくのです。日本がインフレになってきた今、私はこの考えに確信を持つようになりました。
例えば今、駅前の飲食店の中には、スタッフの給料を上げられないがために閉店するお店が出てきています。一方で、頑張って給料を払い、働きやすくするなどして開店し続けている店は、閉店した店からお客さんが流れてきて売上が上がっています。そうして給料を高くできれば働きたい人が集まってきて、店は繁盛する。実際にそういうことが起きています。きれいごとではなく、これからは「人に好かれる経営」が儲かるようになるのです。
――お金ではなく、人に好かれる経営とはどんな経営のことを言うのでしょうか。
全ての人が経営の知識を持ち、人間中心の仕事に取り組んで「価値創造」をすることだと考えます。会社でも組織でも、それぞれの立場で価値をつくり出す方法を身に付ければ対立は起きず、みんなで経済的に豊かになれるはずです。
会社で何かアイデアがあったら、「私はこうします」「じゃあ自分はこれができます」と力を合わせることができます。上司は俯瞰した目で部下が価値創造できるよう、無駄な会議や書類を取り除くのが役割になりますし、部下は責任を持って仕事に取り組むことができます。そして、お客さんも「激安一番」ではなく「良いものにはそれなりのお金を払いたい」という気持ちになっていく。すると会社も「みんなが喜ぶ、価値あるものをまたつくろう」となります。
人は新たな価値をつくることができる存在です。現代アートの先駆けと言われるマルセル・デュシャンの『泉』という作品は、男性用の小便器にサインを入れただけのもので、当時はこれがアートかと論争になりました。でも、今ではアートとして認められています。それは、作家、美術館、バイヤー、鑑賞者などが、作品に新しい価値を見いだしたからです。つまり、人は価値をつくり出すことができるし、「価値は無限にある」のです。
本を書いたのも、価値が無限であること、価値は自分たちでつくり出せることを分かりやすく伝えるためです。この複雑化した世界の中で新しい価値を考え付き、実現していくことは、自分一人の力ではできません。他者の力を借りて、他者と力を合わせ、周囲を巻き込みながら実現していくことが、これから求められる仕事のやり方だということを伝えたかったのです。
そうしたことを子どもの頃から学んでもらえたら、個人も豊かに過ごせるでしょうし、企業や社会も豊かになります。そうした思いの下、「価値創造の経営」という発想を物語形式で伝えることにしました。
――著書の主人公ヒロトは中学校の図書室で不思議な教科書を見つけて、仲間と協力しながら株式会社を立ち上げ、さまざまなビジネスにチャレンジしていきます。
中学生の主人公が、価値の奪い合いから発想を転換し、仲間と価値を創造して成功していく物語を描きました。最初、ヒロトは激安スーパーで買った飲み物を冷やして駅前で売るんです。売れるんですけれど、このビジネスは自動販売機と利益を奪い合っている、価値有限発想のビジネスです。
次に、学校で栽培・収穫したトマトやきゅうりをクラスメートの家の八百屋さんの一部を借りて安く販売します。あっという間に売り切れてヒロトたちは「需要と供給」の関係を肌で感じます。でも、育てた野菜が売り切れたらそれで終わり。そうした経験を経て、価値というものは自分たちでつくれること、価値はつくり続けなければビジネスが長続きしないことを理解していきます。
続いてヒロトたちはお年寄りの買い物を助けるビジネスを始めます。いわゆる「シェアリング・エコノミー」です。そして、ここで価値が無限だという気付きを得ます。最後は、あるものを素材にしたプラモデルを販売するようになります。誰もが思いつかなかった発想で、価値創造をしていくのです。
「あり得ない」「都合よすぎ」という読者の反応もありましたが、「できなくはない」「あり得るかも」という程度には、しっかりと練ったストーリーにしています。作中に、飛び抜けた才能を発揮するスーパー中学生が登場するわけではありません。発想を転換し、頑張れば、誰もが価値を創造することができそう――。そんな読後感を持ってもらえたらとうれしく思います。
【プロフィール】
岩尾俊兵(いわお・しゅんぺい)慶應義塾大学商学部准教授。1989年、佐賀県有田町生まれ。父親の事業失敗のあおりを受け、中学卒業と同時に単身上京し、陸上自衛隊に入隊。高卒認定試験(旧・大検)を経て、慶應義塾大学商学部へ進学。東京大学大学院経済学研究科マネジメント専攻博士課程を修了。東大初の博士(経営学)を授与される。大学在学中に医療用ITおよび経営学習ボードゲーム分野で起業、明治学院大学経済学部専任講師、東京大学大学院情報理工学系研究科客員研究員、慶應義塾大学商学部専任講師を経て現職。子どもたちにも分かりやすい経営の入門書をつくりたいという思いから『13歳からの経営の教科書』(KADOKAWA)を上梓。