中学校の体育教師になって部活動を指導したい。本学科でもそんな思いをもって入学してくる学生は少なくない。しかし、中高の保健体育の教師になることも、なれたとしても希望する部活動を担当することも容易ではない。学生に期待を抱かせるほど、中学校の部活動、特に運動部活動の影響は大きい。その部活動が大きな転換点に来ているが、簡単には進んでいない。
教育課程外の活動である部活動について、中学校学習指導要領総則には次のようにある。「生徒の自主的、自発的な参加により行われる部活動については、スポーツや文化、科学等に親しませ、学習意欲の向上や責任感、連帯感の涵養等、学校教育が目指す資質・能力の育成に資するものであり、学校教育の一環として、教育課程との関連が図られるよう留意すること」。教育課程外であるが学校教育の一環という曖昧な位置付けがこの問題の整理を難しくしている。そもそも、学校の教育活動に教育課程の内外という概念を持ち込むことがおかしい。
学校における働き方改革推進の文脈では、部活動は「学校の業務だが、必ずしも教師が担う必要のない業務」とされる。やはり、部活動は学校の業務なのである。その歴史的経緯や部活動が担ってきた生徒指導上の教育効果もあり、欧米のように授業と部活動を切り離して考えることは難しいのが実情だ。
必ずしも教師が担う必要がないのであれば、地域に担ってもらおうというのが部活動の地域移行である。スポーツ庁が示した「学校の働き方改革を踏まえた部活動改革のスケジュール」では、今年度から部活動改革の全国展開が始まっている。具体的には、休日の部活動の段階的な地域移行の推進であるが、その趣旨は、休日の部活動の指導を望まない教師が部活動に従事しない環境の構築だそうだ。
この文言を裏読みすれば、休日の部活動の指導を望む教師がいるということである。本紙電子版10月16日付でも、全日教連調査結果を受け、「部活動『意欲あり』44%、『負担感』56%」という数字を報じている。部活動の指導をしたくて教職に就いた教師にとっては、休日練習も負担ではない。
定期的に試合を設定し、それをモチベーションに、部活動はその指導方法を確立させてきた。ここには中体連や各競技団体、企業などの関与や思惑もある。学校や教育委員会も、部活動の指導ができる教師を重宝して人事を行ってきたという背景もある。各地で地域移行が思うように進まないのは、指導者の確保や広域部活動のハードル、子どもたちの減少という対外的要因だけではなく、内部の問題が整理されていないことも大きい。
長野県が中学校の部活動の朝練を止めたのは10年前だ。今では普通のことだが、当時はニュースになるくらい画期的だった。睡眠時間や学習時間を確保することがその目的であるが、都内では試合前の朝練を可とする地域もある。中学校の校舎の壁面には「○○大会優勝」などの垂れ幕が見られる。設置用の設備などもあって、もはや中学校の文化となっている。勝利至上主義というよりも、子どもたちのモチベーションと地域へのアピールということであろうが、全ての子どもたちが部活動に入っているわけではない。
部活動問題は、学校は何のためにあるのか、教師の本務は何かという本質的な問題に行き着く。何でも学校が引き受けてきたことが教師の長時間労働につながっているという問題を社会と共有し、しっかり分担するという視点で部活動を考えなければならない。
学校の責務は、教育課程の確実な実施により、豊かな人間性や確かな学力、健康・体力を育むことである。教育課程が対象としているのは全ての子どもたちであることを忘れてはならない。その意味でも教師は、授業に全力を尽くさなければならない。部活動指導が忙しくて授業準備がおろそかになることなど本末転倒である。
大学の部活動の不祥事などもあり、部活動の在り方を根本的に考え直す時にきている。監督の指示通りに動くことよりも、自ら考えて動くことが本来の姿だったはずだ。今夏の甲子園の慶応義塾高校がそれを再認識させてくれた。安全確保を前提に、スポーツを楽しむという根本に戻り、もっと子どもたちに任せてはどうだろう。子どもたちは部活動に何を求めているのか聞いてみることも必要だ。そう言えば、小学校の道徳の定番資料「星野君の二塁打」も来年度から消えるというではないか。