国士舘大学体育学部こどもスポーツ教育学科教授/全国連合小学校長会顧問
今年も日本人にとって忘れてはならない日が近づいている。今年は戦後80年。戦争体験が記憶から記録へと変わりつつある今、改めて平和教育について考え、その手法を確立していきたい。平和は誰かから与えられるものではない。あらゆる他者と共に創っていくものである。学校や学級の平和も子どもたちと教職員で創っていくものだ。これを体験的に学ぶことが、平和教育の始まりである。
教員の処遇改善などを盛り込んだ改正給特法が6月11日、成立した。附帯決議として解決すべき重要課題が整理されたことは、一定の評価ができる。しかし教育行政がうたっていることと、学校現場の実態には大きな乖離(かいり)がある。今回は給特法改正を巡る議論から、3つの矛盾を指摘したい。全ての教員が安心して教育にまい進できるよう、環境を整えるのが教育行政の役割であるはずだ。
教師は自分が受けてきた教育や学習経験を背景に、その影響を受けながら指導を行う傾向がある。この教師の再生産性は、教師の成長の阻害要因となるだけでなく、教育改革を遅らせることにも働く。
個別最適な学びの実現に向けて、さまざまな取り組みが行われている。その一つである自由進度学習は、学習の進度と内容を子どもたち自身が選択することによって個別最適化を図るものである。一斉指導に比べれば決して効率はよくないし、負担感も大きいが、子どもたちの学びの質を高めるための大切な営みである。ハードルを下げ、自由進度学習への助走を始めるための方策を考えていきたい。
自民党、公明党、日本維新の会で合意した「高校無償化」。公私や保護者の所得に関係なく、高校の授業料を一律に無償化することは「平等」である。ここにきてさまざまな懸念が出てきているのは、「公平」の視点が欠けているからではないだろうか。教育の在り方が、個別最適な学びを保障する「公平」の方向に動いているのに、今回の施策はそれに逆行している。
昨年末の諮問「多様な専門性を有する質の高い教職員集団の形成を加速するための方策について」を受け、中教審で議論が始まっている。文部科学省はさまざまな施策を推進してきたが、状況は悪化の一途をたどっている。複数の方策を同時並行に進めるパラレルアプローチと、短期的・中期的な両面戦略が必要だ。例えば、採用手続きの簡素化と高度専門職の育成を、同時並行で進めるのである。
学習指導要領の改訂に向け、中教審の諮問が行われた。「分かりやすく、使いやすい学習指導要領」を標榜するのならば、次の学習指導要領に教師の声を反映するべきである。教師の側も、待ちの姿勢では主体性が発揮されない。教師の学びと子どもたちの学びは相似形でなければならない。学習指導要領を教職員のものにするために、主体的・対話的で深い学びで次期学習指導要領を考えていこう。
TIMSS2023の結果を見ると、男女で算数・数学や理科への関心に差があることが分かる。子どもたちに最も近い保護者や教師自身のアンコンシャスバイアスが、ジェンダーギャップを生んでいることは否めない。性別による決め付けだけでなく、文系・理系の二項対立も、子どもたちの人生にはマイナスだ。人によって皆違う、単純には分けられないといった、多様性への基本的な理解が重要になる。
教員の給与を巡り、財務省と文科省の処遇改善案が波紋を広げている。どちらも問題の本質から目を背け、現場に責任を転嫁しようとする、昨今の行政にありがちな話だ。単に在校時間を減らすだけでは、教育の質は下がる。この問題の根本は、仕事の量と人の数が見合っていないということに尽きる。教職調整額と「乗ずる数」、この2つの数字を計画的に改善していくことこそが戦略になる。
教員採用試験の早期化が進んでいる。しかし教員養成に関わる立場からも、効果は薄いことを実感している。学生にとっては早めに合格が決まる安心感はあるが、教職の魅力向上にはつながりにくく、結果として学生を自治体間で奪い合うだけになる。問題の本質は、教師を目指す若者を増やすことである。労働環境を整えてようやくスタートラインに立てる。やりがいや魅力の発信はそれからだ。
来年度予算の概算要求で文部科学省は「小学校における教科担任制の拡充」として2160人の定数改善を要求した。教科担任制が拡大すると新規採用教員が教える教科が減り、成長の場が失われるという声もある。しかし、新規採用教員が教科担任による質の高い指導を目の当たりにし、児童理解や指導法を学ぶ場にもなる。そのためにも教科の専門性を有し、指導力の高い教員が教科担任を担うべきだ。
学校は常に学習指導要領の実現を目指している。しかし、それが難解であればその趣旨は理解されにくく、求めるものが多過ぎれば実現されにくくなる。次期学習指導要領では、学校現場の実態を把握した上で、必要なことを簡潔に示すとともに、学校の裁量範囲を拡大して自由度を高め、実効性のあるものにしたい。本稿では具体的な提言と共に、次期学習指導要領の在り方について考える。
4月から息つく暇もなく走り続けてきたが、夏休みにはいったん立ち止まって自身を振り返り、これから何をすべきか考えたい。そこで、自身にミッションを課してはどうだろうか。読書などの「夏休みの宿題」を自分に出す、研修会や研究会に参加する、同僚と対話する――。最重要ミッションは、夏休み明けに子どもたちも教師も皆、元気な姿で再会し、よいスタートが切れるようにすることだ。
教職員のウェルビーイング向上には、自ら主体的に学校経営や学校改善に参画していくことが欠かせない。では、学校改善を進めていく上で大切なことは何か、教職員と校長の立場に立って、それぞれ3つの勘所・心得をお伝えしたい。教職員には、学校が組織として動いていることを理解し、具体的な改善策を提案してほしい。校長は教職員を応援しながら、学校改善を加速させることが重要だ。
教育改革や学校改革が叫ばれるが、本当に重要なのは教育目標の実現に向けた不断の「学校改善」だ。新任・転任の校長の中には「しばらくは様子を見る」と言う校長と、「この学校のここを変えたい」と言う校長がいるが、着任時の違和感こそ学校改善の端緒であり、学校改善の絶好のチャンスだ。教職員をはじめ学校内外の関係者と協働し、組織の力を最大化していくことが、校長の役割である。
2008年度の都教委の通知を受け、都内の小中学校では土曜授業を実施してきた。学校公開でわが子の様子を見られるなど、保護者の評判は良い一方、教員の疲弊を招いた。学校週5日制の本来の趣旨に照らせば、土曜日は家庭や地域が子どもたちの教育を担うはずだ。土曜授業はその役割分担を不明確にし、さらには「教育のことは何でも学校が担うべき」という社会の思考を強化させたのではないか。
中教審特別部会で主任教諭制度が議論され、2009年度から制度を導入している東京都教委の報告が行われた。東京都の主任教諭制度は大変有効だ。学校運営上では、決裁ルートに校務分掌の長や学年主任である主任教諭を位置付けることで、学校運営への参画意識が高まる。教員のキャリア形成の明確化にもつながる。今後は職級と処遇の連動で給与にメリハリを付けることも検討すべきだ。
「教員の修士化は、本気で今必要なことだと考えている」という文科省課長の発言は、真の教育改革への道筋が見えた気がした。修士化は高度専門職としての教員の質を担保するし、教員の処遇改善にも資する形にすれば教職の魅力が増して教員のなり手不足解消にもつながる。大学再編を加速させることにもなる。教員の修士化を「てこ」にして真の教育改革を進めることを考えていきたい。
学校の年度末と新年度は慌ただしい。小学1年生は、幼児教育から小学校教育へのスムーズな適応を図るためにスタートカリキュラムが用意されている。2年生以上の学年にも、教職員にもスタートカリキュラムが必要ではないだろうか。多くの学校では40週以上の授業を行っているはずなので、1週目をスタートカリキュラムに充てても、標準授業時数は確保でき、スロースタートは可能だ。
22年度に精神疾患で休職した教員は過去最多になった。心身に不調を感じても、休めば同僚に迷惑がかかると思ってなかなか受診できない教員がいる。心身の不調を感じている余裕もなく、仕事に追われている教員もいる。結局、授業時数や事務量が増え、皆が疲弊していく。この連鎖を止めるには、精神疾患の主な原因となるストレスの軽減を図り、定数改善をセットで考えるべきである。
部活動改革は、学校は何のためにあるのか、教師の本務は何かという本質的な問題に行き着く。地域移行が思うように進まないのは、中体連や各競技団体の思惑があるほか、学校や教育委員会が部活動の指導ができる教師を重宝して人事を行ってきた背景など、内部の問題が整理されていないことも大きい。スポーツを楽しむという根本に戻り、もっと子どもたちに任せてはどうだろうか。
中教審の教員養成部会が4年制大学への2種免許取得課程の設置案を了承した。全ての教員に専門性の向上が求められる中で、2種免許の教員を増やそうとするのは、文科省の自己矛盾ではないか。本制度により配置される教員が、専門性を発揮するためには、加配教員増や小学校高学年の専科加配の推進など教職員定数の改善がセットとして制度化されることが必要である。
「慮る」(おもんぱかる)は、「よく考える、思いを巡らす」という意味だが、ここには、相手の事情や周囲の状況について考えるというニュアンスが含まれている。児童生徒理解は、教師の専門性の最たるものだが、「慮る」という域にまで達しているだろうか。特に、さまざまな問題を抱えている子どもたちの心を慮ることはできているだろうか。
全国学力・学習状況調査の結果が7月末に公表された。今回の児童生徒質問紙調査で新たに加えられた「普段の生活の中で、幸せな気持ちになることはどれくらいありますか」という項目は「幸福感」に関わるものだ。これは、今期の教育振興基本計画のコンセプトの一つである「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」への対応である。
『あなたの授業力はどのくらい?』(ジェフ・C・マーシャル著、池田匡史ら訳、教育開発研究所刊)という本のタイトルにはハッとさせられた。教員であれば誰もが授業力向上を目指しているはずだ。しかし、改めて「どのくらい」と問われると答えに困る。それほど、授業力とは漠然としており、その基準も曖昧だ。
本紙5月11日付記事「学校のマンパワー拡充『義務教育のコストが変わる』萩生田氏」では、自民党の萩生田光一政調会長によって、小学校高学年の教員一人当たりの授業持ちコマ時数を20時間程度に、給特法の教職調整額を少なくとも10%以上に増額という具体的な数字が示された。
「3日、3月、3年」という言葉がある。3日続けば、3カ月はがんばれる。3カ月続けば3年は続く。3年やり通せば一生のものとなる、と解釈される。修行や芸事に通じる言葉であるが、逆に考えれば、「3日目、3カ月目、3年目」に危機が訪れるということでもある。6月、新規採用教員がその3カ月目を迎える。
4月に入学した1年生がやっと学校に慣れた頃に迎える大型連休は、子どもたちにとってプラスにもマイナスにも働く。新しい環境で生活していくことは、大人が想像する以上に疲れるものだ。その疲れを家庭で癒やす期間と考えればプラスの作用となる。一方、せっかく定着してきた生活習慣が後退してしまうのがマイナスの動きだ。
かつて、交通機関が運休したり遅延したりすると、駅員に詰め寄る人々の光景が見られた。彼らの憤りの根本は、運休や遅延ではなく、その後の情報がないことにある。人と人のつながりは情報を共有することから始まる。情報がないことや少ないこと、正確でないことは人を不安にさせる。
教員採用試験の低倍率化が続いている。一般に採用試験と言われることが多いが、正しくは「選考」である。特定の職に就くための適格性の有無を判断するという意味で、競争試験と異なる。教員採用選考に合格すると、教員としての適格性があると判断されたことになるが、低倍率にあってその基準は大きく下がっている。
新1年生の児童数が気になる時期になってきた。入学予定者が71人から105人までなら3学級。学区域への転入によって1人でも増えれば4学級となる。他の学年も同様だ。境界線上の学年では、2つのクラス分け案を作っておくことになる。定期異動事務も終わっており、学級増となれば初任者が配置される。
「夏休みのアクティビティは特にない 生活困窮世帯の半数」「低所得世帯の約3割が学校外の体験ゼロ、収入の格差顕著に」――。昨年、本紙は子どもの貧困と体験格差について報じた。学校もいつの頃からか、夏休みの自由研究の在り方や夏休み明けのスピーチのさせ方にも気を遣うようになり、授業でも家庭での経験をあえて問うことをしなくなってきた。
国連の障害者権利委員会は今年9月、「障害のある子どもの分離された特別教育が永続している」として、特別支援教育の中止を勧告した。それに対し文科省は「日本の施策は障害者権利条約のインクルーシブ教育の実現に沿っている」との見解を示した。通級指導教室の存在がその根拠のようだが、論点をずらす、お得意の「ご飯論法」にも聞こえる。
早ければ教員採用選考試験(以下「教採」)の前倒しの対象となるかもしれない、本学の2年生74人にアンケートを行った。教採の早期実施に「賛成」は23%、「反対」は39%、「どちらともいえない・分からない」は38%だった。メリットとしては「教育実習に集中できる」「合否によらず準備ができる」などが挙げられた。
本学で今夏、群馬県で行われた3泊4日のキャンプ実習。アクティビティや食事作りの合間に「先生、ナナフシを見つけた」と手に乗せて見せてくれた女子学生がいた。それを見て固まっている学生もいる。コクワガタを見つけたと喜んでいる男子学生もいた。子どもの頃からこうして生き物に触れてきたのではないだろうか。
1971年に制定された給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)。教職調整額が4%である根拠は、当時の平均時間外勤務が月約8時間であったことによる。現状の勤務実態に合わせれば調整額は20%になってもおかしくない。50年以上この調整額が変わっていないことがやっと問題視されるようになった。
厚労省・警察庁の「令和3年中における自殺の状況」(2022年3月)によると、21年中の小中高生の自殺者数は473人(前年499人)であった。先月公表された文部科学白書には「前年と比較して減少したものの、引き続き憂慮すべき状況にある」とある。数の増減ではなく、子どもたちが自ら命を絶つようなこと自体を憂慮すべきだ。
「進みつつある教師のみ人を教うる権利あり」。ドイツの教育学者ジステルエッヒのこの言葉は、今、強く求められている「学び続ける教師」につながるものである。学び続ける教師」は、いつの時代にも求められる教師の普遍的な条件であることが分かる。しかし、学び続ける内容と方法は時代と共に変わっていく。
「面接試験を受けるのは初めて」と言っていたSさん。ほとんどの人が初めてなので安心していただきたい。面接練習を重ねる度に、自信をもって自分のことや教育への考えを伝えられるようになってきた。何より、あなたらしい笑顔が出てきたことがよかった。面接官はたくさんの教員を見てきた人たち。
新年度、東京都では約50校で正規教員が配置されないという事態に陥った。採用予定者名簿に登載されたものの、他の職に就いた合格者が想定数を超えたことが原因だという。他の地区でも同様の事態が発生している。常態化する教員採用選考の低倍率化は、「合格しても教員になることを選択しない採用予定者の増加」という新たなフェーズに入った。
兼任園長をしている頃、園長の下の名前が「えんちょう」なのだと思っている子がいた。担任の「なお先生」や「けいこ先生」と同じように「えんちょう先生」なのだ。生活科の学校探検で校長室にやってくる1年生に「園長先生!」と呼ばれることもある。4月の1年生の「あるある」だが、そんな子どもたちが入学して最初に覚えるのは、担任の先生の名前だ。
吉村英明先生(故人)は、今でも忘れられない校長先生のお一人だ。初任校で最初にお世話になった先生は、ご経験もお人柄も教育者としても、まさに尊敬できる大校長だった。師範学校ではサッカー部、ご専門は国語。書家でもあった先生は達筆で、週案のコメントが解読できないこともあった。そんな先生に何度か食事に誘っていただいたことがあった。
文科省が初めて実施した「教師不足」に関する実態調査で、日本の学校の危機的状況が数字として明らかになった。同時に示された教員採用選考の倍率も危機的状況を示している。小学校では過去最低の2.6倍となり、若者の教員離れが加速している。選考と呼んではいても、必要数を確保するための競争試験になっているのが実情だ。
2021年末、文科省は2つの調査結果を公表した。詳細はすでに教育新聞も報じているが、「令和2(2020)年度公立学校教職員の人事行政状況調査」では、精神疾患による教職員の病気休職者は19年度よりわずかに減少した。しかし、ここ10年は5000人前後の高止まりで推移しており、状況は何も改善されていない。
コロナ禍にあって、子ども本人や家族が罹患(りかん)したり濃厚接触者になったりした場合だけでなく、発熱などによる予防的欠席や同居家族への感染防止のための欠席についても出席停止・忌引き等として扱われている。この出席停止という言葉のイメージがよくないという指摘を受け、文科省は設置者の判断で指導要録上の名称を変更しても構わないという見解を通知した。
10月初めに就任した末松信介文科相は、就任後初めての会見で、教育現場を積極的に訪れて「見る力」をつけたいと話した。その言葉の通り、精力的に多くの学校を訪問していることに敬意を表する。ただ、訪問された学校は最先端を走っている理想的な学校ではないだろうか。それは日本の学校の現実ではない。
今年度の全国学力・学習状況調査の児童質問紙調査に「英語の勉強は好きですか」という設問が新設された。「当てはまる」が38.3%、「どちらかといえば、当てはまる」が30.0%で、肯定的な回答は68.3%となる。7割近い子が「英語の勉強が好きだ」と答えていることになる。ちなみに、「算数の勉強が好きだ」と答えた子は67.8%、「国語の勉強が好きだ」は58.6%である。
教員免許更新制の廃止が決まった。萩生田光一文科相による「抜本的見直しを」という諮問に対し、中教審小委員会が結論を出したものだ。来年の通常国会に教育職員免許法改正案を提出し、2023(令和5)年には新たな研修制度が始まる見通しとなった。
小学校高学年の教科担任制について検討してきた文科省の会議体「義務教育9年間を見通した指導体制の在り方等に関する検討会議」が、7月に報告書を公表した。この中で優先的に専科指導の対象とすべき教科として、外国語・理科・算数・体育の4教科が示された。
「校長室はあるのに、どうして副校長先生の部屋はないの?」校長室に遊びにきた3年生からこんな質問を受けた。「副校長先生の部屋は職員室なんだよ」と答えたものの、逆に校長に校長室が与えられている意味を考えさせられることになった。学校探検で訪れた1年生からは「校長先生は、ここでどんなお仕事をしているのですか」と問われる。
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