スウェーデンの地方新聞には、使われなくなった地元の校舎を若い夫婦が買ってリノベーションして暮らしている、という話題がたまに取り上げられる。その地域に古くからあり、幼少期の思い出が染み込んだ建物を、次の世代が上手に活用しているのをほほ笑ましく見ている人も多いことだろう。
今回の連載では、2回にわたって、時代とともにその役割を変えてきたスウェーデンの学校建築を振り返る。スウェーデンの学校を訪れる機会があったら、その校舎がどの時代に建てられたのか推察してみるのもよいだろう。
大きな街にある「カテドラル(聖堂)高校」といった名前がついた伝統校は、かつて教会付設の教育施設として建てられ、神職や大学進学を目指すエリートの若者が通っていた。大きな講堂に象徴される荘厳な建物が特徴だ。高い天井や石造りの校舎は音を反響し、教師の声を美しく響かせるので、講義をするとつい冗舌になってしまう。一方で、グループワークには不便で、暖房効率も悪い。複数の建物をつないだ構造も多く見られ、校舎内は迷路のように複雑になっていることもある。
一般の子供たちが通う学校ができ始めたのは1820年ごろからだ。19世紀の学校は、広場や教会、市庁舎や銀行と並んで街の中心に建てられた。著名な建築家が設計し、派手なエントランスや大きなホールが作られた。校舎の設計は、建築家にとっては名を遺す大仕事だった。地域にとっても、街を代表する建築物ということで、威信を懸けた事業だったのだ。
内装も凝ったものが多く、床は石造り、壁はレンガ、広い廊下と大きな階段があり、木彫りのドアや窓枠など、調度にもお金がかかっていた。一般の子供たちが通うようになり、座学や集会が中心のエリート養成から役割が変わったため、大きな講堂や集会室がない校舎もある。代わって、食堂や体育館、シャワー室などが設置されるようになり、生徒の健康に関心が向けられたことがうかがえる。
ゴットランド島のヴィスビーにあるサンクト・ハンス基礎学校の校舎には、その名残を見ることができる。1859年に建てられたこの校舎は、左右対称で、中央にエントランスがある。エントランスにはラテン語で「敬虔(けいけん)さは智恵の始まりである」と書かれ、ローマ数字で建築年が刻まれている。全体的に教会のような雰囲気を持ちながらも、教会で一般的な平屋ではなく、2階建てだったのが学校建築としての特徴だ。この建物はその後3階建てに増築され、一時高校として使われた時期もあったが、現在は就学前学級から6年生までの子供たちが通っている。
1842年には隔日登校による6年制の義務教育が始まった。これにより、田舎にも、集落の中心に学校が建てられていった。教室は1部屋か2部屋のことが多く、都会の学校のような豪華さはない。
一般住宅と似た作りではあるものの、教室に設けられた南向きの大きな窓が特徴となっている。黒板に光を当て、生徒たちが明るい教室で勉強できるようにと考えられた。当時は教師の待遇が悪く、家族が住み込みで働き、養蜂や野菜作りをして生活費を得ていたという。ストックホルムの野外博物館スカンセンには、当時の校舎が展示されている。
1940年ごろから建てられた校舎は、全国どこでも似通っている。当時の学校監督庁が細かな規則を作ったためだ。見栄えよりも機能を重視したこの時代は、レンガ積みの建物が一般的だ。子供の数が増え、土地利用の制約も受けやすくなってきたことから、2階建てから3階建ての建物が多くなった。
かつてのような見栄えはなくなったが、ぱっと見て学校だと分かるような建物になった。エントランスや階段の床は大理石あるいは石灰岩が使われた。モザイクや壁画のような芸術的な内装もよくみられた。1946年に学校給食が義務化されたため、この時代に建てられた校舎には調理室と食堂のスペースが設けられているのが特徴だ。
スウェーデンの学校建築を見ると、歴史や由来を背負ったユニークな建物から、次第に画一的な校舎へと変遷していったことが分かる。エリート教育の古い校舎は趣があるが、いまの授業には使いにくい。教育の機能を重視するようになった校舎は、多くの子供を受け入れるようになり、体育館や給食室を備え、使い勝手が向上した。しかし、スウェーデンの校舎はこの後、「醜い校舎」の時代へと突き進む。