1年かけて1000人の大人と出会い、学びを深めてきた東京都板橋区立板橋第十小学校(冨田和己校長、児童595人)の4年生の子どもたちはいよいよ、3学期になると自分の生き方と向き合うことになる。これまでの学びを基に言葉にしていくだけでは、まだ何かが足りないと感じた4年2組担任の小泉志信教諭は、ここでさらに新たな活動を入れることにする。その鍵を握るのは「100人のアーティスト」だった。
3学期も終わりに近付いた3月初旬の朝。明らかに保護者とは違う雰囲気を身にまとった大人たちが続々とやってきた。年代も服装もばらばらだが、どの人の表情からもこれから始まることへの高揚感が伺える。
集まったのは約100人のアーティスト。子どもたちはこの日までに、自分の将来の夢や好きなもの、大切にしたいことなどを言葉で表現した「人生設計」をまとめている。どの子どもも、中央に「自分はどんな人間になりたいか」が書かれ、そこから枝分かれするように、将来就きたい仕事ややりたい夢、どんなことが好きで、何を大切に生きていきたいかが広がっている。まさに、この一連の授業の目的である「子どもたちの人生の選択肢を広げる」ということが体現されている。
小泉教諭は「子どもたちがこれだけ書けていたことは、本当にびっくりした。語彙(ごい)も増えた。それも『起業』や『シェアハウス』といった、普通の小学4年生が使わないような言葉が出てくる」と、子どもたちの成長に目を見張る。しかし同時に、これで満足もしていなかった。
「この『人生設計』のままでは、言語能力に長けている子が有利になってしまう。言葉にするのが得意じゃない子も、これまで考えてきたことが素晴らしくて、自分の生き方は誰にも劣らないんだと、自信を持ってもらうにはどうしたらいいか」
この新たな課題を前に小泉教諭の頭にふとよぎった光景が、1学期に行ったアーティストを呼んだワークショップだった。
「そのときのワークショップが印象に残っている子どもも多くて、改めてアートが持つ力ってすごいなと自分自身も感じていた。100人の子どもがいれば100通りの人生設計があるんだということを視覚的に体感できれば、心から誰もが自分の人生に胸を張れるんじゃないか」
1学期に呼んだアーティストは約20人。普通に考えればこれだけでもかなりの人数だが、それぞれ違ったアートを生み出すためには、表現するアーティストも子どもと同じ数、つまり、1対1にしなければいけないと、小泉教諭はこだわった。そして本番直前には、何と100人を超えるアーティストが小泉教諭の呼び掛けに応じ、この日の授業が幕を開けた。
授業が始まる前、小泉教諭が集まったアーティストを前に念押ししたのは「この授業中、スマートフォンは見ないようにしてほしい」ということだった。その理由は「子どもたちと心から向き合ってほしいから」。子どもとじっくり対話を重ねながら、子どもが考えていることを引き出し、一緒に表現していく。このプロセスにこそ、この授業の狙いが凝縮されている。アーティストにとっても、こんな機会はめったにない真剣勝負だ。その瞬間、その場の空気が引き締まった。
アーティストが4年生の教室に向かうと、大人数の大人を前に子どもたちも少し緊張しているのが分かった。クラス担任の誘導でそれぞれの子どもたちの隣にアーティストが座ると、まずは自己紹介。少し場が和んだところで、まずは子どもたちが、自分で書いた「人生設計」を広げ、アーティストに発表する。子どもたちにとって、第三者の大人に自分の「人生設計」を話すのはこれが初めての経験だ。アーティストは子どもたちの発表に耳を傾け、感想や質問を伝えながらその子の思いをくみ取っていく。
そしていよいよ、アーティストと子どもたちは、1枚の画用紙に「人生設計」を表現する。どんな子がどんなアーティストと2人1組になるかは、ほとんど運命のようなものだ。子どもたちの語りから引き出した言葉を絵の中に入れる人もいれば、まずは手を動かしながら一緒にイメージを広げていく人もいる。水彩画、イラスト、貼り絵、クレヨンと、表現方法も多彩だ。1時間強という限られた時間に、子どもたちの思いとアーティストの表現が生み出した文字通り100人100通りの作品が完成した。
作品を誇らしげに見つめる子どもたち。「アーティストの人に、自分がこれから先どうしたいかって話をしたら、出てきたのは自分の知らない色だった」「未来の自分への応援やいろんな人への感謝の言葉を絵にできた気がする」と、どの子も満足げな表情を浮かべていた。
アーティスト自身にも、この体験はかけがえのないものになったようだ。
「表現がバーンって生まれる瞬間が、子どもと一緒だと多い気がする。一人で描くときよりも楽しいかもしれない」「子どもの緊張をほぐすのに少し苦戦したけれど、楽しかった。子どもは自分では想像もつかないような表現をする。すごく勉強になった」
子どもたちとすっかり打ち解けて、昼休みを一緒に過ごすアーティストらに話し掛けると、そんな言葉が返ってきた。
4年生として過ごすのもあとわずかとなった3月12日、「1000人の大人と出会う授業」の最後に、子どもたちは東京都渋谷区にある会員制共創施設の「SHIBUYA QWS(渋谷キューズ)」にやってきた。子どもたちを迎えたのは、渋谷キューズを拠点に活動する起業家や研究者など、日本の最先端で活躍するイノベーターや、これまでこの授業に関わってきた大人たち。板橋第十小では、この「1000人の大人と出会う授業」を、渋谷キューズが公募している未知の価値に挑戦するプロジェクト「QWSチャレンジ」に応募し、プロジェクトとして採択されている。その成果発表を兼ねて、この日は子どもたち自身が世界に一つだけしかない作品を携えて、自分の「人生設計」をプレゼンテーションするのだ。
テーブルごとに3~4人の子どもに2人の大人が座り、自己紹介をすると、子どもたちは順番に自分の「人生設計」を、アーティストと共に描いた絵と共に発表する。それを聞いた大人はポジティブなコメントを返し、第三者の視点からその子の「人生設計」の価値を伝える。
「周りの人を笑顔にしたい」
「つくった料理でみんなが『おいしい』と言ってほしい」
「好きなことをたくさんやって自由に生きたい」
子どもたちの「人生設計」は、その子の根っこにある価値観や思いから枝を伸ばして、さまざまな可能性へと広がっていく。
多くの大人と出会う中で「すごい人はいろんなことに疑問を持ち、実際にやってみたり、ときには間違ったりしている」と気付いたある子。将来なりたい仕事は、プロゲーマーにYouTuber、漫画家、小学校の先生、そして学校のルールを変えるための会社をつくることだそうだ。「学校ではもっと良くできるルールや勉強方法がいっぱいある気がする」と疑問を投げ掛ける。いつかそれらを解決し、自分で学校をつくってみせると語る。
またある子は「周りの人や自分を大切にする人」を掲げる。就きたい仕事は動画編集。授業では、子どもたちにとって今や憧れの職業であるYouTuberだけでなく、YouTuberを支えている人たちとも出会った。「YouTuberを支える仕事もあるんだ」と思い、まずはYouTuberと会ったり、動画編集ができたりする人になりたいと考えるようになったという。
一見すると10歳らしい将来の夢かもしれないが、どの子の「人生設計」にも「自分はどう生きるか」と、この1年じっくり向き合ってきたプロセスが刻まれている。そしてその触媒になったのは、これまで出会ってきたさまざまな大人たちだ。
発表が終わると、「人生設計」を裏返して、同じグループになった子どもたち、大人たちがその子に向けて寄せ書きをしていく。発表した本人も、未来の自分へ向けてメッセージを送る。発表会が終わりを迎えるころには、どの子の「人生設計」も、その子の背中を押す言葉でいっぱいになった。
発表がひと段落した休憩時間、渋谷キューズの眼下に広がるビル街を興味津々に見つめる子どもたちの後ろ姿は、どこか誇らしげだった。
(下に続く)